城郭 長谷川博美 基本記録

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西方城と二条城のビイスタ工法

2022-10-19 00:38:24 | 関東の城 ビイスタ工法

◆対談者

長谷川先生の動画城郭ビイスタ

論が視聴数4300回を超えて日本

全国規模で話題になっている様

です。早速ですが栃木の西方城

と二条城のビイスタ工法御教示

を賜れば幸甚かと思っています。

◆対談者

先ず西方城ビイスタ解説

からお願い申し上げます。

 

◆対談者

このブログを初めて読まれ

れた方には明治大正昭和

平成と城郭遺跡の測量点

を模索する研究手法は日本

に存在しませんでしたが

令和になり長谷川先生が

この研究問題に取り組まれ

大変な話題になっています。

 

◆長谷川

栃木一西方町さまの益々の

観光発展を祈念してする

意味で投稿を致します。

先ず山城は自然地形のみ

と言う見解が日本全土に

は蔓延していますが築城

が土木工事である以上は

山を測量して地取りする

行為が忘れ去られていま

す。山城は人工地形です。

人工ならば設計測量施工

を人類とは常に人工的に

実施するものであります。

この城すごく縄張技巧が

高度な中世城郭で見事な

美しき扇型ビイスタ工法

が読取れます。

▼図①

◆対談者

やはり幾何学的な城はビイスタ

工法を施工したものが多いもの

見事な扇型ビイスタ工法ですね。

◆長谷川

このような規模も縄張も秀逸な

城はビイスタポイントが複数に

存在する可能性が存在致します。

◆一般様

素晴らしい平成の新城郭理論と

言えます。今後はこの理論知ら

ないようでは話になりませんね

▼図②

◆長谷川

図②は重複型 ビイスタを示して

いる様です。二方向から測量して

城郭を地取りしている形式です。

ウイッキペデイアから引用すると

西方城(にしかたじょう)は、下野国都賀郡

(現在の栃木県栃木市西方町本城)にあった城。

足尾山地の東端にある城山(標高221.3m)の山

頂から東麓にかけて築かれ、南北に8つの郭を設

けてそれぞれを土塁や堀切、土橋をもって区切っ

ている[1]

伝承では、永仁元年(1293年)に宇都宮泰宗の子

景泰によって築かれ、景泰はこの地の地名より

西方氏を称したという[1]西方綱吉の時代に豊臣

秀吉小田原征伐があり、これに従わなかった綱吉

は西方領を没収され、宇都宮国綱の家臣として

都賀郡赤坂(現在の市貝町)に移封されることで

家名を保った[2]。西方領は結城秀康に与えられた[2]

が、関ヶ原の戦い後に結城氏越前国に移封され、

その後藤田信吉に西方の地を与えられる(西方藩

西方領は結城秀康に与えられた[2]が、関ヶ原の戦い

後に結城氏越前国に移封され、その後藤田信吉

西方の地を与えられる(西方藩[1]。信吉は西方城

の南東側の標高150m付近に「二条城」と俗称される

新城を築いたとされるが、後に改易された[1]

◆対談者

二条なる新城にはビイスタ工法

が存在しますか?

◆長谷川

中央ビイスタ型の縄張が読取れ

ます。また美しい扇型ビイスタ

工法の跡も読み取れます。

 

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