◆長谷川
投稿内容は最初は難解に思えますが
しかし徐々に読み進むとシンプル単純
で大事な事に気付く一般の方に向けた
記事が含まれています。どうぞ宜しく
最後まで読まれる事を御い願致します。
◆縄張人
長谷川先生私も縄張図を書くのですが
この程度で良いと常に思っております。
これは大津の野々口丹波城ですよね?
◆長谷川
現代はお城ブームです。過去のバード、
ウオッチングの時にも一般大衆の人は
野鳥図を見ている人いませんでしたね?
人が行くから私も行くの集団心理です。
現代のお城ブームや各種お城イベントは
如何に一般大衆を動員のするかが目的と
目標にされてます、如何に楽しいかが
大切であり、お城観光の人に、縄張図は
必要とされていません。楽しく行く事や
気分転換やリクリエーシヨンの為の憩い
と言ってよい文字通り「観光行楽」です。
しかし御気楽な何百万人もの人々の中に
は城郭遺跡を学ぶ人が誰か御一人様でも
現れた幸甚と私は慎ましやかに思います。
◆縄張人
論題がずれています。私が今議論にして
いる事は大衆の事ではなく縄張図を書く
上での事です。以下の図面ならば私でも
誰でもが書く事が出来ます。アバウトな
見取図つまり縄張図など簡単に書けます。
◆長谷川
そうですか?簡単にね?私は中世城郭が
アバウトな手書きのフリーハンド感覚で
普請や作事され物とは到底根本的に考え
ていません。確かに自然地形には制約さ
れていますが、あくまでも人間の成した
造成、造形デザインされた形であり、人
工的な土木工学や建築や高度な幾何学が
存在したと私は考えております。その辺
の解釈の仕方や、中世城郭への取組方に
は時には、大きな個人差や時には偏見や
誤解が生じている場合や可能性をも含ん
でいると思いますが、私個人は、みんな、
仲良くを希望する融和主義者なのですよ。
◆縄張人
ところがですよ。私が縄張図を書いても
長谷川先生のような中世に城を普請した
時の緻密な現代で言うアバウト概略的な
縄張図よりも更に本格的土木「普請工事」
や作事「建築」を設計、計算し尽くした
メカニカルつまり当時のハイテク技術を
駆使して城郭を築いた500年前の現実の
世界が私の図面には残念ながら浮き上が
って来ない!でも長谷川先生の図面には
生々しく中世城郭築造の過程の様相まで
もが克明に浮かび上がってる事への驚き
があります。私は自分の図面こそが、優
れているさ一流であると100%確信して
いたてのに私は今は私の図面に自体には
到底、正直、未熟さを痛感致しています。
つまり私は500年前の実際の現実の城の
世界を知りたいのに、全く平成、令和の
視点でしか、中世城郭を捉えられていな
いのかと!自分の浅さを認識するんです。
長谷川先生の図面を見てると当時の水糸、
ドロー、ザ、ライン、つまり中世の設計
線「縄打線」までが生々しく見えてくる。
◆超城郭熟練者!
何だ!何だ!そんなものがどうしたんだ!
ところで「縄打」って?何だよ!それは?
▲長谷川
これでしたね!基本中の基本です。
『朝倉築城記』に記録されてます。
◆超城郭熟練者!
ふん!そんな事など俺は知ってるぞ。
生意気な事を言うな生意気な!「怒」
◆みんな
アナタは『築城記』と言う書物を知って
るだけで!充分に咀嚼し理解出来てない。
知ったかぶりなら誰でも出来る朝飯前よ!
◆長谷川
言い争いはやめて下さい。みんな仲良く!
学門は怒りや言い争いの世界でありません。
◆縄張者
長谷川先生の縄張図は私の図面と比べて
根本的に違う所があります。『築城記』
には塀の外に犬走りを置くと書いてる。
もっとも是は基本中の基本なのですが
犬走なんか見たく無いと言われる人は
城を見る気が根本的に無いと言われて
いる事と全く同じ意味と思いますよ。
◆縄張者
私は、これを認識出来ていません。でも
長谷川先生の図面は是を全て捉えてます。
私は永遠に長谷川先生のレベルまで一生
追い付ないのかと?重く真面目に考えて
しまう。私の図面は永久に59点程度かと?
◆長谷川
金城温故禄にも城の側面の法面の犬走や
塀の外の犬走りも明確に記録されている。
◆長谷川
良いではありませんか!1点地道に加点
すれば70点になる貴方に30点伸びシロが
あると言う事楽しみが残ってます!あまり
城郭純粋君になるより気楽行きましよう。
気楽に仲良く。素朴に仲良くが大切です。
伊坂城犬走▼「現在はもう存在しません」
◆縄張者
しまった!これ見学してません!
長谷川
番場城でも犬走を見ないとこんな感じに。
◆長谷川
犬走を計測するとこの様になります。
◆縄張者
しまった!私の図はまるで子供の絵だ。
◆縄張者
これは、一般大衆の人または城址探訪を
日本で50年間続けられた人の含蓄や城郭
遺跡概念と長谷川先生の図面には大きな
隔たりが生じてると思います。私も城址
に関しては、かなり、シビアな本格派図
だと自負していたのに長谷川先生の図面
には全く私の認識出来ていない中世城郭
の現実の生々しい世界が存在しており私
は長谷川先生には、遠く及ばないのかと
いや城郭遺跡にもしかしたら、私は中世
城郭に対して厳粛に真摯に対峙しては
いないのでは無いのかなとも思います。
私はもっと別の
城郭研究視点や、より深淵な城址の見学
の仕方が、潜在している様に思うんです。
自分が認識していたメインロード中央道路
とは異なる別のアナザーサイドの奥の細道
がある。でも?もしかすると500年前には
長谷川先生の図面の世界が普通だった可能
性はゼロではないと思います。
長谷川
もう一度佐々木六角の和田山城を復習して
おきましよう!さあ最初に一歩からです。
縄張人
①そうなんです!①の図は私も解るんです!
縄張人
②でも私の図面は②や③の線が出て来ない!
これが私は悔しいんです。負けてなるかと
いくら頑張っても私の図面には出て来ない!
③
◆長谷川
良いではないですか?気楽に楽しく行く事!
城郭縄張図は競技で無いので十人十色です!
◆兄貴君
でも薩摩イモのイラストみたい図とか!
アジの開きみたいな、図面いやだよなあ!
もし藤堂高虎に直接面接する機会がある
と仮定したら。イモのイラストみたい図
を高虎に見せててハイ私が一流の現代の
縄張り研究家ですと言ったら、巨漢の高虎
に「未熟者!無礼者!」と罵倒されて即刻
首の骨折られる可能性あるかも!?ああ
令和と言う時代に生れて本当に良かった?
◆長谷川
そうです。のほほん。大甘大切な事です。
◆縄張人
私は思うんです。藤堂高虎は築城名人と
徳川時世で謳われた人ですが築城や甲良
大工の作事何れも、一流だった可能性が
あります。あの有名な徳川秀忠にアバウト
な城郭図面と詳細な城郭図面の二種を見せ
て秀忠がより詳細本格的な図面の縄張図を
選んだ事に対して藤堂高虎は二代将軍徳川
秀忠はさすが人傑の人物である。縄張図の
優劣をも看破する優れた将軍であると世間
に喧伝し徳川幕府体制にヨイショした株式
会社藤堂城郭建設の裏側が見えてくる城郭
コンサルタントで、処世術に非常に長けた
近江商人的、達人とも言えると思います。
また
長谷川先生のブログ記事を読んで反応し
理解している非常に少数の2~3人の人も
こはスゴイ人だと思います。いやいや?
本当は10人20人と居るとしたら私は本当
に未熟で、お恥ずかしい限りです。
◆長谷川
今は令和です。元和ではありませよ。
また500年前の中世でもありません。
気楽に行きましょうよ!本物が流行する
時代では無いのですよ。楽しく、気楽に
みんな仲良く朗らかに行く事が大切です。
◆縄張人
いや長谷川先生に気付いた人が数名いる
事に驚いてます。世の中にはいるのだと!
◆長谷川
さて貴方は、大変重要な事に目覚められ
ました。これは「まなび」と言うよりも
「気付き」と私は思います。人間がふと
思う気付いた瞬間が非常に重要と思いま
す。何故なら気づいた事は、二度と一生
忘れる事はなく脳内にあるランプが点灯
した事になります。脳科学ではシナプス
の結合と言う記憶を司る分野と思います。
◆長谷川
縄張人さんは自分の作成した縄張図には
縄打線を見出す事が出来ない、もしかし
て城址を観察したり考察する別の手法が
別の世界が存在しているのではと未知の
世界つまり新しい研究のテーマを発見さ
れた事になり。簡単に言うなら気付です。
◆一般様
長谷川先生のブログ読んでいますと今
先生は一定の事業所や一定の見学組織に
全く属しておられません。簡単に言うと
PRの心理よりも世の中の人々に何か?
重要な事を伝えようとしておられると私
は思います。長谷川先生を支持する組織
も先生の仕事さえも全く無い孤立状態で
◆長谷川
私が何回か講師で訪れた城郭遺跡見学で重要
な事に気付かれた人は、おられると思います。
◆縄張人
初歩的な気付きの事ならば、私は
この会話に関わりたくありません!
◆長谷川
縄張人さん貴方は一般の人より、自分は
城址の事を知っているという慢心がある。
しかし私の図面を見て何かを感じた事は
貴方は自分の心の中にある自分に気付い
たと私は思います。自分は充分知ってる
と思ったが私の図面を見て何か気付いた。
◆縄張人
長谷川先生自身は城郭縄張奥義を極めて
慢心はありませんか?心に驕りは無い?
◆長谷川
いいえ私は、素人の初心者なのですよ。
400年前500年前の城の事はその当時に
私は生きておりませんから全くの素人
だと永遠に思っています。従って城郭
の先生は城郭遺跡自体だと今でも思い
ます。城郭見学で大切な事は城址観察
です。私は誰よりも、城郭の事を知ら
ない人間だと自覚しています。従って
私は城郭遺跡の解説に関しては自信が
ありません。私は城の事を全て知って
とる思う事より何も知らないんですと
堂々と気付く事の方が大切と思います。
素人に帰る、原点に帰る、真っ白な
白紙に帰れたらリセットした事つまり
再びスタート地点に立てたと言う事。
世阿弥の、初心忘るるべからずです。
◆縄張人
城郭で自分が自分に気付くとは何です?
一般市民が発見された伊庭山城の図も
私には驚愕する詳細繊細さを感じます。
もしかすると地元の人はこの遺跡には
全く興味も関心全く無いか知れません?
◆長谷川
それが世間と言うもの現実や実際です。
◆長谷川
例えば名古屋のミナミさんが虎口は何と?
私に質問されました。これは自分の心の
中に城を学ぼうとする自分に気付かれた。
私は是が非常に嬉しいミナミさんは一歩
確実に進歩された事が私として喜ばしい。
◆長谷川
例えばイワクラさんが東京に出張されて
急速に私の城址見学に参加する為に滋賀
まで、急遽帰られた事は、長谷川フアン
ではない城址を真剣に見学したい自分の
本心に、気づかれた事なんです。気付き!
◆長谷川
イケズキさんが山口から急遽滋賀へと
引き返された事は著しく城学習が進化
された事と遺跡を見る自分の心に徐々
に気付かれた事だと私は思いますよ。
◆長谷川
ご氏名は申しあげませんが自分自身が
城郭遺跡を見る心に気付かれた人々に
対して、私は有意義な事だと思います。
何故ならばそれらの人々は城を見る事
に開眼されたと思うのです。開眼とは
一瞬脳の中に閃光のようにヒラメく事
つまり城郭遺跡を見学するスイッチが
onオン、になった事を意味すると思う。
名前は上げられませんが、名古屋のあの
人も岐阜のあの方も、福井のあの方々も
兵庫の方々も三重の方々も滋賀県内の方
も開眼されている城を見る目人を見る目
は持ってらっしやると私は信じています。
◆超城郭熟練者!
経験50年のワシの智識はどうじや?一流か?
◆みんなの
鶴の一声!論外の人です!
私達は初心者なのです!貴方は初心に
城址見学の原点に帰る事が出来ない!
◆長谷川
私は何も知りません。ソクラテスの無知
の認識こそ智への出発と言う哲学に似て
ますが、ある立派な人が私は京都御所や
城郭にも東北に対する鬼門除けがある事
を知らなかったと正直に言われましたが
是は素晴らしい進歩です。何故かと言えば
そんな事ぐらい俺でも知っているぞと構え
高慢に考えた瞬間に人間は智へのスタート
つまり初心を失って向学のチヤンスと言う
貴重な人生の機会を無くす事があります。
知らない事は恥ずかしい事ではなく実は
智の出発点スタートラインなのですから!
◆縄張人
長谷川先生の藤堂高虎、織田信澄、明智
談議興味深く読まれせもらい、また小説
「近江商人轟陣兵」のに登場する人物達
の発する言葉にも興味を、強く抱きます。
◆長谷川
意外に歴史の中では忘れ去られてる。
信澄ですが父は信長と家督を争った
勘十郎信行こと織田信勝の息子です。
彼は柴田勝家に養育され、津田坊と
しての名も持っていましたが、幼少
期から柴田の元で育ち、安土城普請
では丹羽長秀と並んで安土の普請役
を務めています。妻に明智光秀の娘
一時は家臣に藤堂高虎を迎えた織田
信澄ですが織田信長安土居住の時節
には丹羽が佐和山城主で織田信澄が
湖の対岸の高島郡の大溝城主でした。
丹羽長秀は本能寺の変後織田信澄を
殺害し高島郡も自らの所領とします。
織田信澄は武人として一段優れた人
であった可能性が高く信長には大和
の国を下賜される事を主張したりし
ています。何やら織田信澄と明智と
秀吉や長秀らの派閥闘争が存在した
可能性が見え隠れします。またその
間隙に藤堂高虎が築城技術者として
登場している事も真に気になります。
良いねを賜り
大変驚いて
おります。
温かい励ましの
良いねを賜り
心より御礼を
申上げます。
長谷川博美
彗星り如く現れて
驚き入ります。
本当にありがとう
御座います。