栃木 村上城の優れた測量術
はじめまして日本で最も無名
で不人気の城郭研究家長谷川
です。宜しくお願い致します。
日本の城の測量術を研究して
おります。市貝町様の城郭図
をお借りしてアマチュア学者
ながら自己流で分析致します。
どうぞ宜しく御理解下さい。
村上城 栃木県市貝町
村上城の解説文
村上城(むらかみじょう)は、栃木県芳賀郡市貝町にあった日本の城。
村上城は、観音山に築かれた山城で、東西約200m、南北250mの規模である。築城の時期については、文治3年(1187)平宗清の守る村上城が落ちたという「村上城落城記」の記述から平安時代末頃と思われる。
その後、永和4年(1378)、益子氏の一族村上新助藤良によって現在の遺構のような城が築かれた。これによって、村上城は宇都宮氏の勢力下に入り、那須氏に対する盾の役割を果たした。村上氏は、50年にわたって居住したと伝えられている。修理工事を行い、現在に至っている。
村上城は、観音山に築かれた山城で、東西約200m、南北250mの規模である。築城の時期については、文治3年(1187)平宗清の守る村上城が落ちたという「村上城落城記」の記述から平安時代末頃と思われる。
その後、永和4年(1378)、益子氏の一族村上新助藤良によって現在の遺構のような城が築かれた。これによって、村上城は宇都宮氏の勢力下に入り、那須氏に対する盾の役割を果たした。村上氏は、50年にわたって居住したと伝えられている。修理工事を行い、現在に至っている。
情報提供:市貝町生涯学習課様
◆対談者
私には素朴な城址の様に感じ
ますが?
◆長谷川
私の主観から見ると全国にも
比類のない計画的な縄張です
戦国大名の権力の境目に存在
する事から大名権力の指導や
設計縄張が介在した城郭遺跡
に感じます。伝られる遺跡の
年代観よりも戦国期の城郭の
要素が強い城址の様に感じる。
◆対談者
いやゆるい感じの城に思う事。
◆長谷川
では栃木村上城のビイスタを
試論的に分析してみましょう
このように相対型ビイスタを
用いた素晴らしい高度な縄張。
◆長谷川
南北も西側も整然と縄張
しています。
◆長谷川
これは近江鎌刃城本丸の
ビイスタ縄張に劣らない。
◆長谷川
また築城の名手藤堂高虎の伊勢
津城にも劣ってはいない縄張で
高虎のビイスタ縄張に劣らない。
◆長谷川
栃木県さくら市の勝山城航空
写真からも城館ビイスタ工法
を読み取る事は可能なのです。
◆一般様
すごいですね!令和の縄張
大理論城郭ビイスタ論とは!
◆長谷川
栃木村上城このように複数
のビイスタ工法を読み取れ
る優れた測量技巧の城郭!
◆質問者
栃木村上城中央ビイスタが
ありますか?
◆長谷川
優れた城郭遺跡なので読み
とれます。
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