城郭ビイスタ論 上文字クリック
驚愕! 内畝 外畝 城郭遺跡の研究!
対話者
長谷川先生!
多賀町寺院城郭敏万寺の「内畝」素晴らしいです。
令和2年6月27日と6月28日是非見学したいと思
います!
あの信長の作った旧二条城にも内畝が存在した事
を知り大変な驚きです!
長谷川
何を今更驚かれているのですか?
多賀敏満寺の二重堀も内畝も田畑先生が
見学しようと言われる意図が解りましたか?
対話者
解りました。理解出来たら。スゴイ楽しい!
ところで内畝があるなら外畝もあるかと思います。
長谷川
素晴しい着想ですね。初心の初心に貴方は帰って
おられます。素朴に素直に純真に城址遺跡を見る。
対話者
余呉城郭研究会さんでは、福井の「アラレ」ちやん
が大変話題爆発しまして、彼女の事で話題沸騰です!
Unknown (アラレちゃん)2020-06-24 21:58:17先日は
飛び入りさせて頂きありがとうございました。新たな
世界を体感でき大変有意義な時間を過ごす事ができま
した。何度でも訪れたくなるあのような素晴らしいと
ころが近くにあり幸せに思います。また参加させて頂
きたいと思っています。歴女の友人も誘いますね。
先生、館長さん、社長さん、いろいろ教えていただい
先生、館長さん、社長さん、いろいろ教えていただい
た皆様、本当にありがとうございました!
Unknown (長谷川博美)2020-06-25 01:09:08
(アラレちゃん)様へ
見学に御参加を賜った事に感謝致します。
当時、皆様に挨拶されていた人は常務様
です。私は滋賀の人と言うより福井嶺南の
感性をもった人かも知れません気比史学
会とか敦賀若狭や敦賀気比松原感覚の人。
滋賀福井県境を江越地域とも言います。
今後とも、宜しく、御願いを申上げます。
見学に御参加を賜った事に感謝致します。
当時、皆様に挨拶されていた人は常務様
です。私は滋賀の人と言うより福井嶺南の
感性をもった人かも知れません気比史学
会とか敦賀若狭や敦賀気比松原感覚の人。
滋賀福井県境を江越地域とも言います。
今後とも、宜しく、御願いを申上げます。
対話者
城郭遺跡が。理解出来たらば、スゴイ楽しいもの!
ところで内畝があるなら外畝もあるかと思います。
長谷川
2020/6/20玄蕃城で外畝を既に私達は見学していま
す。左が敏満寺や旧二条城の二重堀と内畝の図解
です。右が玄蕃尾城の様な二重土塁の場合の外畝。
対談者
しまった玄蕃尾城の外畝を見逃しましたよ!
長谷川
そんな事ありませんよ!現地では二重土塁
としてチヤント解説しています。当然私は
皆さんが外畝を見学し認識していると思い
ます。私は二重土塁をよく見て下さいと!
対談者
でも私は玄蕃尾城の外土塁を見逃した!残念です。
長谷川
残念な事はありませんよ!ちやんと外畝の写真は
前川常務の激写フオトグラフで残っていのすよ!
対談者
あれまあ~すばらしい!外畝が激写されています!
さすがは巨大超弩級城郭遺跡「玄蕃尾城」ですね!
長谷川
そればかりでありまんよ!
堀底を驀進する余呉城郭研究会と外畝を進む
宮本さんの姿が激写されています。これが現実!
対談者
6/27と6/28の敏満寺「内畝」絶対に行きたいです!これ
絶対に見たい寺院城郭遺構です!田畑隊長の眼力スゴイ!
▼古城の跡で物思いにふける田畑隊長「多賀みておき隊長」
久徳城は織田信長傘下となった久徳左近の古城
この城の外郭にも二重堀が過去に存在しました。
内畝も残っていました。足利義昭の為に信長が作
た旧二条城の内畝の写真にも衝撃をうけました。
内畝は理解出来ました。それでは外畝「外郭土塁」
が有るのか?先週登った織田信長の重臣柴田勝
家の玄蕃尾城の外畝の写真をみるたびに長谷川
先生の視点の違い着想に驚いております。そして
田畑氏が玄蕃尾城見学の後に、敏満寺城見学を
計画される策にも感心致します。しかし玄蕃尾城
も敏満寺双方を比較見学せずに、それぞれの城
を見学していては広い視座にたった城郭遺跡の
見学ではなく、ただの郷土史ハイキング会になっ
ている可能性があります。先生の視座比較研究
の素晴しさに感心致します。明智光秀の坂本城
に城畔「しろくろ」なる土塁を連想させる、つまりは
畝「うね」や「畔」く」の小字名がある事にも驚きま
す。
近江の小脇山城でも山頂の山城と山麓の館跡を見学
させております。私や城址見学のひとにとりそれらはジ常識であっても文字だけ歴史の人には文字に書かれた場所や看板しか見学しないのが文字歴史の限界。
感謝御礼を申上げます。この
投稿が如何に貴重なのかを
よく解っておられる2名様です。
確かにそうでした。思い出しました!
が有りましたし箕作城にも山麓の土塁があります。そうそう鎌掛城にも山麓に下屋敷ありましたね。塩津浜にも背後に城跡あれましたし、小脇館の背後にも小脇山城がありました。まあこれ一般的な事なのかもしれません。山城と山麓居館の関係を覚えておきましよう。彦根城だって本丸山頂に本丸天守が山麓には土塁に囲まれた表御殿があります。中世には山下「さんげ」とよばる初期城下町が近世大名は城下と呼びました。