城郭 長谷川博美 基本記録

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静岡県三島市山中城址の観光発展を願って

2022-07-02 09:07:26 | 規矩術、ビイスタ工法、城郭平面幾何学、

◆対談者

さて令和の時代に入り城郭研究

も浅読みから真剣な『深読み』

の時代に入って来ました長谷川

先生今回もデープな深読み研究

論で是非お願い申し上げます!

◆長谷川

城郭ビイスタの学術動画の再生回

数が3000回を超え全国の城郭関係

者の皆様には謹んで御礼を申し上

げます。私は著書を全く持ち合わ

せない全くのアマチュア城郭研究

家です。今回の投稿の趣旨は三島

市に存在する山中城址が益々観光

で探訪客様が増える事を願っての

投稿である事を御承知おき下さい

◆対談者

私達初心者が作成した動画が3000回

再生され、全く信じられない事です

◆日野町の人

佐久良城のビイスタ解説に本当に

驚いた日野の城の技術の高さを!

これ日野が元来技術が高かった!

 

◆高島市民

まさか大溝城の天守台の形状が

こんな形だとは誰も思わないよ

灯台下暗しとは、この事ですね

城郭ビイスタ工法は確実ですね

◆山中城ウイッキペデイアより

永禄年間(1558年 - 1570年)に

北条氏康により築城される。

北条氏の本拠地である小田原の

西の防衛を担う最重要拠点で、

城は東海道を取り込む形で造

られていた。北条氏政の代に

豊臣秀吉との関係が悪化すると、

山中城は改修し防備を固める

ことになるが、結局間に合わず

未完成のまま豊臣軍を迎える。

1590年(天正18年)、小田原

征伐豊臣秀次率いる6万8千の

軍勢が山中城を攻撃、守将は

北条氏勝松田康長松田康郷

蔭山氏広間宮康俊ら3千。間宮

康俊寄親北条氏勝等を撤退させ

て自らは手勢200を率いて三ノ丸

~岱崎出丸辺りで豊臣方に苛烈に

抗戦した為に、豊臣方も部将の

一柳直末など多くの戦死者を出し

た。しかし戦力差甚だしく猛烈な

力攻めの結果わずか半日で落城し、

北条方の松田・間宮などの武将や

城兵の多くが討死した。戦後、城

は廃止された。

 

◆対談者

静岡県三島市の山中城の事を

長谷川先生是非御教示下さい

 

◆長谷川

解りました堀障子の事ですね?

 

◆対談者

いいえ堀障子は誰でも知って

いますよ後北条氏の城に城郭

ビイスタ工法が存在したのか

各曲輪の位置決めの基根を知

りたい城郭ビイスタを知る事

 

◆滋賀県人

そんな三島市の山中城まで

滋賀近江の歴史と関係ない。

 

◆長谷川

天正18年近江水口岡山城主

は中村一氏です。山中城の

攻撃では羽柴秀次の先方を

勤め山中城に一番乗りした

武将が北近江小倉の渡辺了

です。また浅井郡出身田中

吉政も参加しており山中城

は近江繋がりと言える城。

 

◆対談者

後北条氏の山中城にビイスタ

工法は存在するのでしょうか?

 

◆反論者

しないよ絶対!後北条ビイスタ

工法などは使わないです絶対!

 

◆長谷川

複数の曲輪位置決めのビイスタ

が山中城各所に存在致します。

◆質問者

箱根口の山中城を攻撃した中村

一氏の水口岡山城にもビイスタ

が存在しますか?

 

◆長谷川

高田徹氏の水口岡山城図に複数

のビイスタ工法が読み取れます。

▼水口岡山城 南より

▼水口岡山城 北より

◆質問者

中村一氏の家臣だった北近江出身

の渡辺了は渡辺水庵勘兵衛として

知られ北近江浅井郡出身です浅井

郡を代表する、小谷城もビイスタ

工法で作られているのでしょうか?

 

◆長谷川

本丸のグループ、京極丸のグループ

大嶽城も各所にビイスタ工法を採用!

◆一般者

すごいですね!全く新しい令和の

日本城郭理論が広がっています。

 

◆反論者

ふん!ワシは絶対に認めんぞ反対!

 

◆対談者

三平方の定理ピタゴラスの定理を

絶対認めないと言っても無駄な事

 

◆対談者

先生山中城の解説に戻って下さい

 

◆長谷川

特に西ノ丸、西櫓の位置決めは

赤線と青腺で緑腺で形成されて

います。これは前述した彦根城

本丸ビイスタ図と同様の重複型

ビイスタ工法を採用しています。

◆観光様

城郭幾何学の長谷川先生です。山中

城の西ノ丸や西櫓の障子堀を幾何学

で分析して下さい。我々は障子堀が

アバウトに作られていると思ってる

でも?もしかすると整然とした幾何

学を応用した可能性があるのでは?

◆長谷川

幾何学測量し山中城西ノ丸の

堀障子を配列したと思います。

西ノ丸西櫓ともに、ビイスタ

工法を読み取れて山中城の中

てでも特に縄張が秀逸ですね。

◆一般様

すごいわ!こんな学問ある訳?

◆長谷川

様々な幾何学を用いて城郭が

設計縄張されているようです

三島市文化財は素晴らしい!

◆長谷川 城とは

今後の研究課題になりますが確

かに子供が海辺の砂遊びで砂の

城をアバウトにフリーハンドで

作ってる訳ではありませんので

民俗学的に言えば箱根に幾何学

の究極とも言える寄木細工伝統

が存在致しますが山中城の西ノ

丸や西櫓にはビイスタ工法短冊

型の丁張分割法が読み取れます。

築城術は崇高な土木工学ですね。

 

◆みんな

すげえ!長谷川先生流石の洞察力!

 

◆対談者

よく考えて下さい。城に行っても

ただ感動するだけじやなく城郭遺

を読み取る各自のスキルアップ

を心掛けて下さい5000城巡っても

全くビイスタ工法にも気付かない

これすなわち貴方が城を本気で

見ていなかった事の証明ですわよ

 

◆対談者

日野佐久良城は本丸の前に馬出が

存在し美しいビイスタ工法を読み

取れて大変楽しく勉強してます。

 

◆静岡人

城郭ビイスタって聞いた事ないのです。

三島の山中城にも典型的ビイスタ工法

は存在しますか?

 

◆長谷川

山中城の西櫓は典型的な美しい

ビイスタ工法の設計で縄張です

北条流の縄張角馬出しと言える。

◆静岡人

おもしろいですね!ビイスタ工法!

◆反論者

こんな奇天烈な論述が日本の伝統

文化論かよ?聞いてあきれるぞ!

◆長谷川

頭脳を柔軟に持って下さい五世紀

の関東の豪族館「三ッ寺Ⅰ遺跡」

でも既にビイスタ工法東洋で言う

規矩術を用いて城館を設計してる

日本の伝統的設計文化の再確認!

◆長谷川

ちなみ二世紀の纏向弥生宮殿も

ビイスタ工法を使っていますね

◆長谷川

讃岐高松城だって立派なビイス

タ工法で作られているのですよ

 

◆長谷川

さてさて彦根の方に玄宮園は何処

にありますか?そうです。赤線の

手前の台形の場所が玄宮園ですね

この台形が城に存在した場合には

ビイスタ工法で作られた考える事

 

◆長谷川

ビイスタ工法で縄張された安土城

の小櫓二基もやはり台形ですね!

台形にはビイスタを読み取る事が

出来るヒントが隠れております!

▼安土城の台形櫓二基

 

 

◆長谷川

秀吉は天正10年段階で京都の

天王山に台形の天守を築城し

秀吉の天正大坂城天守も台形

です。

◆長谷川

近江八幡の秀次館の櫓台も台形

なのです要するにビイスタです

◆長谷川

関白秀吉が後北条の笠掛山城

を改修して石垣山一夜城築城

しますがこの天守も台形です。

◆対談者

 彦根城の巨大ビイスタ工法に

は日本中の城郭フアンが驚いた

山中城に岱崎出丸も含めて大

ビイスタ工法存在しましたか?

◆長谷川

彦根城の大ビイスタは特に南に

向けて堅固に城を意識して芹川

をも河川改修した大外堀がある。

安土にもみんな気付かない工法

ビイスタ工法が潜在しています。

山中城の陣形は鶴翼に構えられ

半日の強襲で落城したとは言え

山中城の鶴翼の陣に突入する事

は挟撃されるリスクは高いです。

▼安土城山腹の大ビイスタ構造

 

◆長谷川

今一度 武蔵杉山城や

◆長谷川

近江 安土城のビイスタ工法の理解を!

◆対談者

令和に現れた城郭ビイスタ工法論

による、長谷川先生の城郭研究論

動画が巷間で大変高い評価を受け

います日本土木建築史や築城史学

投げかけた衝撃は私達の想像を

超える視聴者数を記録して今更な

がら驚愕しています。私達が知っ

てる丁寧に城郭遺跡を解説される

素朴で身近な存在の長谷川先生の

本質が私達の想像する以上の資質

を持ち合わせておられた事に驚く

 

◆熟練城郭研究家

私は50年来城郭を研究してきました

城が存在した当時の測量方法を復元

して城郭築城構図を考察する長谷川

氏の研究手法は全く新しい時代令和

城郭研究の地平を切り開く新境地と

言える内容であり動画は城郭を志す

人には必聴と言える斬新な柔軟内容

 

◆反論者

馬鹿な事を言うな!私は私の信奉す

る城郭の先生から教えられた様式に

従って着実に城郭の知識を身に着け

て来た。それにより私の城址解説に

従う一般市民がおる訳だよ私の信奉

する先生が城郭ビイスタ論を発見さ

れず長谷川如き奴がビイスタ大論を

発見した事が先ず不愉快千万極まり

ない事だ真に気分が悪いビイスタ論

如きは絶対に認めない承服しないぞ

 

◆対談者

本末転倒しています。城を先生と

なすか?人を先生となすか?その

根本は城郭遺跡を率直に見る我々

の純粋な心で率直な精神こそ根本!

 

学問は純粋より出る知恵の泉です

先ず心澄まさずば城も見えですよ

 


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