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驚愕! 源義経のイメージ? 劇作家の暗喩的手法の潜在

2022-03-02 18:25:17 | ドラマ鑑賞
驚愕! 源義経のイメージ? 劇作家の暗喩的手法の潜在

◆対談者
NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」見てたら
全く私の従来の源義経のイメージと違う訳です!

◆一般者
私の義経のイメージはブサイク小兵で山野を行く
狼のような粗野で攻撃的アグレッシブな人間です。

◆対談者
ちがう!ちがう!美貌で繊細で機敏な軍事才能に
恵まれ兄源頼朝の鎌倉府創業を補佐した英傑だが
兄頼朝に次第に嫌われ疎まれ悲劇の最期を迎えた。

◆一般
それ判官贔屓と言うのよ。才能美貌に恵まれた人
が悲劇の結末を迎えた事を弁護して惜しむ精神性。

◆長谷川
私は大河ドラマを当然史実に忠実な歴史再現劇と
して鑑賞していません。登場人物のキャラクター
が織りなす創作された群像劇で戯曲や小説や文学
要素の世界として脚本家の出や演者演技力を鑑賞

◆対談者
でも源氏の源義朝の御曹司で九男坊にあたる高貴
な義経が今回の大河では野盗の射ぬいたウサギを
平然と夜盗を瞬時に欺き騙し弓で殺害してウサギ
を横領するサイコパスの様に弓で射殺す卑怯な人
物が義経だと言う印象は全くないです。分別ある
武家階級の貴族階級出身のお坊ちゃまの印象です。

◆長谷川
今回の義経と彼の郎党が芋煮鍋を食べる場面とは
戯曲として非常に秀逸です。先ず鍋は鎌倉を暗喩
します。次に鍋の中の複数の里イモはこれは鎌倉
に集合した坂東武者達「イモ武者」「田舎武者」
を暗喩しています。この里イモは、ぬめりが有り
義経の箸にも棒にもかかりません。しかし義経は
里イモを事もなげにイモを箸で刺す、刺箸という
食事の作法としは最低の野卑な食べ方をしますが
彼の郎党達は義経の不作法を諌める事は全くしま
せん。義経の郎党は形式や様式には無頓着と言う
事の比喩です。軍隊で食事は迅速に食すのが軍事
の基本である事は古今東西の常識で義経の郎党
達は形式や格式や様式を全く無視して鍋の中の
里イモを突き刺して刺箸で食事を済ませてます。
これは義経と彼の郎党が軍事家である事を暗喩
してます。頼朝は戦略家であり梶原景時は頼朝
の軍監として従軍し源義経と全くソリが会いま
せん。義経は瞬時に敵の要害地形の欠点と脆弱
な軍事構造を看破して巧妙に撃破する能力に優
れた軍事才能があれど自分自身が鎌倉殿頼朝の
家臣として坂東武者達と協調性や社会観察力と
コミュニケ―ション能力は脆弱といえます体制
の中に自分が置かれた場合の自己客観観察力に
欠点があります。局地戦における戦術家として
の才能はあるが自らの地位を集団の中に調和さ
せ保身維持する「空気読み」に欠ける中庸なき
武将です。さて、後白河法皇は策略家「策士」
義経の性格や鎌倉側の体制を読み切って義経を
伊予の守護職を任官させるなど、鎌倉の頼朝と
京都の義経の両者の勢力を仲違いする離間の計
を使い今度は義経を排除する策略に出ますが、
義経は九州に逃げる事に能わず義経が奥州平泉
の藤原氏の元に逃げると是を口実に坂東武者達
は藤原氏も共に滅亡させる大戦略を展開します。
ですから今回の源頼朝とその郎党達の食事風景
は義経主従のドラマにおける二重三重四重にも
印象づける今回のドラマ義経主従キャラクター
の巧妙な多重暗喩手法を作家が駆使してます。
大河ドラマは昨今録画して見る人々が存在して
義経主従の怪奇とも言える場面を再度視聴する
人を計算尽くしたSNS評も含めた番組作りが
されていま。

◆長谷川
鎌倉府は株式会社「鎌倉府」ともよべる連合組織
です。義経は会社に報告、連絡、相談、稟議書も
なく、勝手に、伊予守に任命された事を集団組織
の掟破り、つまりルール違反と感じなかった政略
への疎さ甘さが存在したと言え、また義経郎党も
鎌倉に戦況報告する場合の報告基本様式5W1H
に欠けて戦場戦況報告を感情論を基に報告した事
も鎌倉府なる組織一種の企業体から拒絶されます。

◆長谷川
鎌倉幕府体質から鎌倉武士社会の法整備、掟書きは
鎌倉府の規律は御成敗式目として成立されました。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
御成敗式目(ごせいばいしきもく)は、鎌倉時代に、
源頼朝以来の先例や、道理と呼ばれた武家社会での
慣習や道徳をもとに制定された、武家政権のための
法令(式目)である。貞永元年8月10日(1232年8月
27日:『吾妻鏡』)制定。貞永式目(じょうえいしき
もく)ともいう[1]。ただし貞永式目という名称は後世
に付けられた呼称で、御成敗式目の名称が正式である。
また、関東御成敗式目、関東武家式目などの異称も
ある。また、日本最初の武家法である。
1185年に鎌倉幕府が実質的に成立して以降、東日本
を勢力下におく鎌倉幕府と、西日本を勢力下におく
朝廷による2頭政治が続いていたが、1221年(承久3年)
の承久の乱で、鎌倉幕府執権の北条義時が朝廷を武力で
倒し、朝廷の権力は制限され、幕府の権力が全国に及ん
でいったが、日本を統治する上で指標となる道徳や
倫理観そして慣習が各地で異なるため、武家社会、
武家政権の裁判規範として制定された。

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3 コメント

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Unknown (hisaizuraiden)
2022-03-02 08:08:22
先週の大河ドラマの芋煮鍋の場面は非常に印象的でした。長谷川先生の御解説で、より一層脚本の意味合いを知ることができました。ありがとうございます。
返信する
Unknown (長谷川博美)
2022-03-02 14:10:45
ドラマの脚本の妙や作家や物書きの妙味や、城郭構造の設計つまり構成の妙味も両者には技巧や技術が潜在しています。貴重な貴方様のコメントに敬意と感謝を慎み申し上げます。
返信する
Unknown (小説志望)
2022-03-02 14:27:48
シナリオ脚本の読み方(解釈)や城の解説解釈の深さ戯曲の深読み、城の認識への専門知識も含めて長谷川先生の解説や解釈は本当に表層的なうわべだけの大衆的な流し読みや、流し見の城探訪ではなく物事の本質を洞察しようとされる鋭い意思が感じられ先生の非凡さを感じます。大河の義経の芋煮鍋の場面などまったく何を暗喩したものなかのか?私には皆目見当もつかなかったのですが海の中の百尺底の水の気持ちなど常人の誰が知ろうかと思います。
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