牛久城の縄張の基本を探る。
ウイキペデイア引用「牛久城」
牛久城(うしくじょう)は、茨城県牛久市城中にあった日本の城。
概要
[編集]牛久城は、城主の岡見氏によって天文後半(1550年頃)に築造された。
この城は、戦国期に築かれた東国の城の特徴を持ち、本丸がある城山
には石垣や天守を持たない典型的な遺構を残している。ここは
北条流の築城技術を取り入れて造られている。
◆対談者
長谷川先生の城郭ビイスタ論
は日本全国で通用する普遍論
とか汎用論と言われて令和の
新城郭理論と言われています。
牛久城に城郭ビイスタありま
すか?
◆長谷川
私は城郭を先輩研究家さんから
学びたかったのですが日本国の
先輩諸氏は城郭放射状縄張理論
を全く知られなかったのです。
私は成年でした。城の設計縄張
を研究する師匠のない孤立した
研究家です。その現状は令和の
現代も全く進展進捗してません。
◆長谷川
台地をAとB測量グリッド線
により概略縄張しています。
それぞれ本丸と二之丸北側
と東側に横堀が巡らされて
おり本来牛久城の主郭部は
本丸である事が解ります。
◆長谷川
しかし城郭の規模が拡張
されていく段階で二之丸
が城郭の求心点に変化を
遂げたと推測しています。
◆対談者
何を根拠にそう言われる?
◆長谷川
C地点の城郭の中軸をなす
中央ビイスタが読み取れる
からです。城郭幾何学理論
を今後も続けたいと思いう。
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