阿波勝瑞城の城郭ビイスタ
◆質問者
四国阿波の守護所勝瑞城に
城郭ビイスタが備わってる
るのでしょうか?
◆長谷川
武蔵国比企郡嵐山町の大蔵館
にも城郭ビィスタは読み取れ
ました阿波勝瑞城しようずい
にも城ビイスタが存在すれば
城郭研究一助となる事でしょ
う。▼嵐山町大蔵館ビイスタ
◆長谷川
前者と非常に類似した城郭が
と言えると思いますが関東と
四国を隔てていても日本国の
城の縄張はビイスタ工法を通
して類似してると言えます。
◆長谷川
この様に日本国内の遠国であっ
ても日本国の城の縄張とは類似
した基本測量基準ビイスタ工法
で測量縄張された遺跡と言えま
す。余談ですが既に遺構消失を
した三河岩根城も重複型をした
城郭ビイスタ工法と言えます。
◆対談者
これだけ卓越した城郭縄張
分析方法を心得ておられる
本物城郭講師長谷川氏さん
が某城郭見学会を解雇され
る厳しい現代社会状況には
驚きを私は驚きを隠せない。
◆諧謔様 かいぎやく様
令和はニセ者や詐欺流行する
時代です。本物が捨てられる。
◆対談者
しかし令和の新しいオリジナル
城郭学として新しい流れを作り
だしておられます。これは明治
大正昭和平成には無かった令和
の学問体系が創出されています。
長谷川城郭論にはキレがある!
煌めきや閃光を強く感じます!
◆ウイッキペテイア引用
3年)に国の史跡に指定され、その後の発掘で新
たに確認された部分が2007年(平成19年)に
近年の発掘調査でその繁栄の一端をうかがうこと
ができた。現在も断続的に発掘調査が行われている[4]。
として、天下の勝瑞として名をなし、日本の
中世史上重要な城跡である。旧吉野川の南岸
南側には湿地帯に接している。現在は吉野川
の本支流に囲まれた吉野川平野の低湿地帯
中央部に位置するが、当時は湿地帯が多く、
川幅も広く攻めにくい地形であったと思われる。
海岸線も現在より内陸部にあり水上交通も
への往来も容易であった。当地域は暴れ川
「四国三郎」の分支流の多い場所で、平地
の要塞というよりも、守護の居館、政庁
としての性格の強い城で、城の構えは広大
であった。室町時代の守護所の様態をよく
伝える貴重な遺構である。中世地方都市
としては類例をみないほど城下町が繁栄し
として歴史の舞台となった。
境内地にあり、城跡は東西約80m、南北約60m
の方形で、周囲は幅14mの水濠が巡り、一部
であったと思われていた。しかし、近年に行われた
発掘調査によると、中富川の戦いの時に急造された
詰めの城、最後の砦として築かれた可能性が指摘されている。
◆質問者
阿波の国の守護所として都市計画
を長谷川先生に御教示を賜りたい。
◆長谷川
守護所城館部は未だ発掘が継続中
の事ですから 試論的考察の域に
留めますが、前述した勝瑞城また
城郭群屋敷群の都市計画縄張とは
放射状ビイスタを用いて守護所に
相応しい平面構成を持った城であ
つた可能性があります。
◆長谷川
重複ビイスタ論をば用いると阿波
の国に守護所に相応しい都市計画
が存在した事がうかがわれます。
◆長谷川
益々隆盛されます事を
謹んで申し上げます。
◆執拗質問者様
四国の丸亀城は城郭ビイスタで
築城されているのでしょうか?
◆長谷川
丸亀城は石垣を用いた近世城郭
ですが城郭縄張設計の基本形態
重複型ビイスタ工法も存在致し
ます。
◆長谷川
丸亀城扇型ビイスタ工法
◆長谷川
讃岐高松城ビイスタも貼り
付けておきました。興味の
ある方は下リンク記事青い
文字をクリック下さいませ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます