城郭 長谷川博美 基本記録

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織豊大名の築城技術と城郭ビイスタ論

2023-11-04 07:34:27 | 日本各地の城ビイスタ工法

織豊大名の築城技術と城郭ビイスタ論

◆対談者

相変わらず長谷川先生のビイスタ

動画の再生数が伸びております。

◆対談者

さてさて上記の新発見された

賤ケ岳合戦の陣城林谷山砦の

件なんですけど文禄慶長の役

於いて加藤清正が韓半島に

築城した西浦城の原形的な砦

だと話題騒然な訳なのですよ!

◆長谷川

登り土塁、竪土塁が倭城の登り

石垣のルーツ系譜である事など

は日本中の人が知ってる事です

世話人様の竪土塁の写真自体が

衝撃的に感じられたのかもね?

 

▼近江 賤ケ岳城 ビイスタ工法

◆長谷川

賤ケ岳城などは扇子の様な形で

縄張されていると思わます此れ

が豊臣秀吉門下生だった秀吉の

家臣団には継承されている事で

しょう。▼ウイキペデイア引用

西生浦倭城(せいせい[1]ほわじょう、ソセンポわじょう、

서생포왜성)は、

文禄・慶長の役加藤清正により、現在の大韓民国蔚山

広域市蔚州郡に築かれた倭城(日本式の)。

◆対談者

加藤清正も西浦倭城でこの形式

城郭ビイスタを使っていますか?

◆長谷川

日本中世の古い城東近江市の

和南城もそのルーツ先駆的な

遺構として私は評価してます。

是非みなさまと勉強会を開催

したいと考えているのですが

永源寺地区の有志様の協力を

ば得たいと考えている所です。

▼和南城の城郭遺構写真

◆長谷川

日本の城の測量方法が西浦倭城

に受け継がれていると思います。

髙田徹さんに許諾を取って西浦

倭城の原図に赤線を引くと矢張

織豊系ビイスタ工法が読取れる。

A地点からはクサビ型ビイスタ

◆長谷川

よく観察するとAとBのWビイスタ

も存在致します。

◆反論者

でも日本の城の測量にはこの様

な測量法は存在しないですがね?

◆長谷川

享保期まで日本の城の測量術

は伝承されていた訳なのです

私は何も空論を述べてません

加藤清正の西浦倭城は1234等

複数放射状測量技術ビイスタ

工法を繊細駆使した縄張です。

 

◆長谷川

B地点から青腺のビイスタが

登り石垣の湾曲も含め縄張

◆長谷川

C地点から緑色のビイスタ線

◆長谷川

別のポイントからは典型的な

扇型ビイスタが読み取れます。

◆対談者

賤ケ岳合戦の羽柴秀吉方の

堂木山陣城にも西浦城の様

なビイスタは存在しますか?

 

◆長谷川

堂木山城は典型的な織豊系

城郭なのでビイスタ存在が

存在致します。

◆長谷川

織豊系巨大陣城として柴田勝家

の玄蕃尾城/内中尾山城も重複型

のビイスタ工法を用いています。

◆長谷川

柴田勝家の湖北平野進出を阻止した

のもこの堂木山陣城の重複ビイスタ

工法のなせるわざと言えるとかと?

◆長谷川

勿論織豊城郭の親玉とも言える

秀吉の天正大坂城の縄張もこれ

 

◆長谷川

織豊大名小西行長 熊谷倭城の

重複ビイスタ工法

 

↑登り石垣とは竪の石塁の事

 

 

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