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衝撃 坂本城 三之丸 石垣出土
▼過去写真です
◆一般様
この坂本城発掘写真見ても我々
一般は全く何だか解らないの?
◆長谷川
22日米原まなびあいステーシヨン
旧米原公民館の木曜城講座の中で
浅学の私が解説を致します。私は
人気ない研究家なので2~3人様が
私の解説傾聴される事と思います。
どうぞ皆様にはよろしくお願いを
申しあ上げます。
◆一般様
長谷川先生!御冗談は止めて下さい
先生ならこの写真見ただけで10や20
濃厚専門コメント出す実力派の先生!
自由で融通無碍なアドリブや引出
師の多い豊富な知識で会場を圧倒!
▼過去写真です
◆長谷川
ふふふふ私は日本一無名の人気
のない城郭研究家です何も全く
解りません!ブログは誰も一人
読んでおられません人気最低!
◆一般様
長谷川先生またも知らぬ顔の
半兵衛になられた訳ですね!
私達の知らない事を長谷川
先生が知っておられる事これ
昔から特異な長谷川伝説です!
◆①彦根市民様
坂本城の石垣が出土したとの
事で驚愕した真に仰天です!
でも現場到着に遅れて見学
会整理券を得られなかった!
◆②米原市民様
私も機会がなく現地説明会に
は行く事が出来ませんでした!
長谷川先生と行きたかったな!
◆③長浜市民様
長谷川先生は現地説明会に行か
れましたか?
◆長谷川
行きましたよ。すごい迫力でした!
有意義なる事数例発見致しました。
◆①②③者様
長谷川先生のその坂本城現地石垣
出土の様子ライブ感や現地ルポ感
で米原まなびあいステーシヨンで
是非含蓄ある解説を願いたいです。
長谷川先生はその切り口が異なる
異能の城郭研究家だと言う事です
城郭の金田一耕助の様な先生です!
もうミラクル解説連続の先生です!
◆城歩会 会員様
ちょつと長谷川先生を異能研究家
とか言う牽制言動は避けて欲しい!
城歩会、ではもう発掘前段階から
その三の丸の堀筋を歩いている訳
ですよ。先生は城郭遺跡の洞察を
する慧眼を素朴に備えて看破する
力量や気付を持ち合わせておられ
る自然で学究的感性の持ち主と思
います。異能ではなく標準で基本。
▼ 坂本 滋賀院門跡
◆長谷川
それでは当日見学会に参加出来な
かった方々の為に、私が現地撮影
した石垣画像を中心に講座の中で
解説試みる事にしたいと思います
なんと言っても坂本は石垣の郷と
言う事で明智の坂本城跡から石垣
が出土する事はノーマルなる普通
の事な訳ですから坂本は石垣の郷
です石垣出て当然の場所でも宅地
開発や道路が順調に進捗して行く
事を素朴に切に願っております。
★ロマンや幻想論ではありますが
石垣の様子が道路から見える様に
水族館のアクリル版が施工された
様な国家的文化財としてその場所
が地下の坂本城としてその道路筋
の店舗や街並みに益々観光客様の
名所滋賀大津市更なる隆盛の礎と
なれば真の文化財の『財』たから
になろうと老婆心ながら思います。
◆日時 令和6年2月22日午前10時
から11時30分講義
◆参加費 500円
◆場所 米原駅西口徒歩5分
米原まなびあいステーシヨン
◆予約 0749-52-2240
◆演題 坂本城の石垣出土の考察
◆講師 城郭研究家 長谷川博美
坂本城 表と裏 彦根城表と裏 木俣守勝
◆対談者
米原学びあいステイション木曜
城郭講座の好評が続いてますね。
◆一般様
22日は坂本城の発掘結果を解説
されるユニークな講座と言う事
私はこれを絶対に行きたいです。
◆対談者
人間には表の顔と裏の顔が存在
し時に人間不信に陥りますよね?
◆対談者
坂本城の三之丸から石垣が出土
した事が最近すごい話題です!
◆質問者
明智光秀の文書管理職 小納戸役
を務めていたのは一体だれです?
◆長谷川
三河を出奔し明智光秀の元にて
木俣守勝が小納戸役を務めいた
が天正9年には徳川家康に三河
へ帰参認められている人物です。
◆対談者
三河の家康が西国探索の目的で
明智の元に送り込んだスパイだ!
明智の築城技術は全部盗まれて
しまう様な事も発生しますよね?
◆対談者
さて『城歩会』坂本城址案内で
堀筋跡を長谷川先生がここから
石垣出ますよ。と言われた事を
覚えています?大津の人々には
長谷川先生解説が不可解と言う
か「訳解らん」表情されていた
長谷川先生は特殊な城郭研究家
金田一耕助の様な存在の人です。
◆長谷川
さてと小字『城畔』からやはり
『畔』が出土した事や城内ミゾ
が確認された事は真に貴重です。
写真を見ても解る様に現地遺構
は内側に土塁を外に石垣を構築
した土塁と石垣の折衷型の遺構
だと言う事も言えます。これ畔
と言う事につきる。小字、城畔
◆質問者
こういった城内ミゾや「城畔」と
は坂本城だけですか?
◆長谷川
畝や溝は明智光秀が最期に逗留を
した勝竜寺城にも備わっています。
城郭瓦も坂本城と勝竜寺城は同範
瓦つまり同じスタンプから出来た
瓦が出土しております。
◆質問者
明智の小納戸役が木俣守勝という
事は何とも言えない歴史の裏側!
◆彦根城内住民
内側に土塁を外には石垣を構築
した土塁と石垣の折衷型の遺構
は彦根城に絶対存在しませんわ
私は歴然たる彦根住の人間です。
◆城歩会 世話人様
城の表ても裏も見る習慣が大切
人間も裏の多い人は恐い嫌な人!
◆長谷川
さてさて彦根城は例えば中堀の
外に立派な石垣と堀を構えてる
が中堀石垣内側は土塁と言う事
を彦根市民なら皆々様知ってる。
◆彦根城内住民
こんな事は知らなんだ訳ですよ!
◆長谷川
石垣には「縄だるみ」と言う技巧
が読み取れます。野球で言うなら
シュートやスライダーの類いです
グット曲がっている事が肝心です。
◆質問者
この「縄だるみ」湾曲は彦根城
も使われているのでしょうか?
◆彦根城内住民
そんなのある訳ないでしょう?
◆長谷川
そうでしょうか?例えば玄宮園
の堀の石垣に縄だるみが存在!
散歩していて公演の図面を見て
もわかる単純な事です。
◆彦根市民様
毎日散歩する玄宮園私の心に
彦根囃子が聞こえて来るよう
◆長谷川
内堀の腰巻石垣にも縄だるみ
があるのですよ。
◆彦根犬上の人
長谷川先生公演はシンプルで
庶民的なのに本当に深いです。
是非3月3日南彦根公演宜しく
◆城郭鈴鹿会幹事様
当会では基本乗用車2台で
駐車スペースの少ない隠れ
た名城を見学学習する事が
常です講師に城郭縄張図の
魔術師と言われる知る人ぞ
知る歴史城郭研究家長谷川
先生を迎えて甲賀の豪快な
城郭を見学する事に決定!
▼今後見学予定の甲賀古城
◆質問者
本格城郭遺跡解説の長谷川
先生の解説はきめ細やかで
丁寧です長年信頼信用ある
ブランドを持っ伝統老舗の
味を持っ名店のような先生
遠く兵庫県から是非参加を
乗用車で参加したいです?
◆世話人様
当日は天気も晴れで申込と
御参加を快く歓迎致します
駐車場も確認済みですよ!
◆質問者
今回参加者は多い傾向です?
◆城郭鈴鹿会幹事
やはり長谷川先生世話人様達
の信頼信用ブランドの存在で
す。甲賀の古城今回メリハリ
の効いた立派な城址と言う事
で参加予約電話が続いてます。
◆元締め役 衛生係様
城郭鈴鹿会好評という事
でも気緩めてはなりません!
コロナ、インフルは依然
として流行しております
①乗用車の適切な換気配慮
②参加者のマスク着用配慮
③腹壊さない暖かい防寒服
④トイレ多い道路を選ぶ事
▼目印の車はレイクブルー色
◆質問者
現地集合駅と時間はどこですか?
◆城郭鈴鹿会幹事様
JR草津線 甲賀駅ロータリーが
ある北口に9時41分以後の予定
になります。近くにフアミマ
のコンビニ店舗目印があります。
◆2月10日 「城郭鈴鹿会」様 城址見学会
参加費 保険含めて 2200円
集合 北組 米原駅東口 午前8時
南組 草津腺 甲賀駅北口9時41分
講師 歴史城郭研究家 長谷川博美
予約 世話人様か 長谷川まで
内容 近江甲賀 ※伊賀見城●青木城見学
分野 城郭遺跡現地勉強会と解説会+探訪
武将 ※高嶺氏か? ●多喜氏か?
特徴 伊賀見城 見学と解説
①巨大な大小堀切5カ所
②付属曲輪は3カ所あり
③巨大櫓台跡2カ所あり
④迫力に満ちた大型城郭
⑤伊賀型城郭排水路あり
見応 ★★★★★5星 100点
表現 満塁ホームラン状態!
特徴 青木城 見学と解説
①高度で多様な縄張技巧
②付属曲輪は6カ所あり
③導入経路見学価値大
④伊賀型排水路一部有
見応 ★★★★4星 80点
表現 ホームラン性フエス直撃三塁打
★付録的探訪城郭 甲賀和田本城
徳川家康、足利義昭、和田惟政に
関わる歴史的有名城郭遺跡を探訪
織田信長の手本や先生は六角定頼 附け甲賀の城見学
◆考古学者
インカ文明を研究する者とはその
先に存在したプレインカ文明をも
研究進捗させて行く者でしょう!
長谷川さんなら織田豊臣以前に
存在したプレ織豊城郭の起源を
解明して行けるだけの資質存在!
◆対談者
長谷川先生が講師担当されている
米原まなびあいステーシヨン木曜
講座が長く好調が継続しています
この不思議な現象の原因は何か?
◆長谷川
これ一重に「まいはら」の皆様の
御支援御理解と御遠方から馳せ参
じる受講者の方々の御指導協力の
賜物によるもので深く感謝します。
◆一般者
織田信長の手本や先生は六角定頼
など今回の投稿の表題は突飛かと?
◆対談者
長谷川先生!六角定頼と織田信長
の比較研究論的視座でお願いです。
◆長谷川
六角定頼 織田信長
楽市制度制定 楽市制度制定
石垣観音寺城 石垣安土築城
※甲賀寺を安土に移築
城と破城実施 城割と破城実施
足利良晴補佐 足利義昭補佐
畿内管領代 右大臣に就任
法号江雲寺 安土※江雲寺御殿移築
織田信長 ※甲賀衆に見せる
小谷城攻略 小谷城攻略
浅井郡尊勝寺本陣 浅井郡虎御前山陣
西草野谷侵攻 西草野谷侵攻
朝倉金吾と提携 朝倉義景和睦後討滅
初期畿内天下人 天正期畿内天下人
◆質問者
当時の畿内足利政権にとり近畿地域
こそが「天下」と言う当時の概念で
あったと言う事ですよね?
◆反論者
笑止千万畿内のみ掌握して天下人と
当時の近畿の人々は考えていたの?
三好長慶天下人?六角定頼が天下人?
この長谷川氏の発想は破綻してる!
◆長谷川
そうでしょうか?すくなくとも当時
の室町幕府政権を中心とする天下と
言うものは近畿畿内一円意味した!
◆反論者
織田信長や当時天下観を如実に示す
文献や文言を明確に示して下さい!
◆長谷川
残念ながら一次資料は不在です
が『三河物語』には次の如くに
元亀元年(1570年)の信長との
講和の際、信長は義景に対して
「天下は朝倉殿(義景)持ち給え。
我は二度と望みなし」という起請
文を出したという(三河物語)
『三河物語』(みかわものがたり)は、
江戸時代初期の、旗本の大久保忠教
による著作。
◆長谷川
『三河物語』の世界観も当時の
室町幕府将軍 足利義昭を補佐
する畿内管領「畿内天下人」
的な役割とし朝倉義景を表現し
てます。天下人は天下を差配す
る人言う意味です。実権者の事
◆東海様
伊賀甲賀の城郭遺跡には目を見張
る城存在し長谷川先生の城址見学
企画は東海地方に住む者にとって
まさに衝撃驚愕と言え参加してま
す。尾張織田信長家臣滝川一益も
近江甲賀の出身とされていますが
甲賀の城が織豊城郭しいては江戸
期の城郭にまで影響を与えてます
のでしょうか?長谷川先生の伊賀
甲賀城郭見学は圧倒的迫力があり
集合される仲間の方々も信頼信用
ができる善意的集団と思います!
▼近世石垣城郭の概念
◆長谷川
日本の近世城郭の基本は織豊城郭
から発展して行ったものでしょう
甲賀伊賀に残る実戦城郭遺跡群を
見るにつけ特に甲賀滝近辺などの
▼長谷川博美図
甲賀城館群は目を見張る城郭遺跡
で縄張の進歩性や先駆性存在する
事は注目すべき事です!ここに
紹介する伊賀甲賀国境に存在する
某城郭遺跡は天守台に匹敵する高
矢倉台も備えており今後城址見学
する人々には必見の城郭だと私は
お勧め致します。私の活動拠点は
北近江極北部から鈴鹿山系の見え
る地域や湖東に変更して更に深く
更にダイナミツクに巨大城館群を
現地見学するシフトチェンジして
いく予定で美濃伊賀南近江湖西や
湖北の隠れた名城を踏破して行く
構想を内に秘めている次第です!
城見て学ばんとする向学の志ある
どうぞ勇気を振り絞って御参加を
賜わらん事切に願い申し上げます。
◆対談者
やはり長谷川図ってキメが細かく
本格派城郭研究さんなのですよ!
▼名古屋城 「尾張徳川家」
▼玄番尾城 長谷川博美図 「柴田勝家」
◆2月10日 「城郭鈴鹿会」様 城址見学会
参加費 保険含めて 2200円
集合 北組 米原駅東口午前8時
南組 草津腺 甲賀駅北口9時41分
講師 歴史城郭研究家 長谷川博美
予約 世話人様か 長谷川まで
内容 近江甲賀 ※伊賀見城●青木城見学会
分野 城郭遺跡現地勉強会と解説会+探訪
武将 ※高嶺氏か? ●多喜氏か?
特徴 伊賀見城
①巨大な大小堀切5カ所
②付属曲輪は3カ所あり
③巨大櫓台跡2カ所あり
④迫力に満ちた大型城郭
⑤伊賀型城郭排水路完備
見応 ★★★★★5星 100点
特徴 青木城
①高度多様な縄張技巧
②付属曲輪は5カ所あり
③導入経路見学価値大
④伊賀型排水路一部有
見応 ★★★★4星 80点
★付録探訪城郭 甲賀和田 本城
城郭視座城郭視点の個人的差異
◆対談者
ついた先生学んだ本により城郭
の先生の解説も異なる訳ですね?
◆長谷川
当然ある訳で発生する事です!
◆対談者
東海地方の尾張名古屋城天守
の大筒狭間は非常に有名です
だれもあれを石落としなどと
言う人は全くないでしょう!
◆長谷川
大坂城玉造口の石狭間見学を
される観光客様は恐らく皆無
の事であろうと思います。
私も新人の研究家ながらもう
1980年から2023年まで研究家
として短いながらキヤリヤ積ん
でんでますから石狭間ではなく
土塁に開けられた土狭間何城
も計測している訳なのですよ。
研究家長谷川の概念としては
もう土狭間はよくあるケース
なので伊賀名張柏原城などの
解説なども素朴に土狭間です
と解説した訳なのですが初め
て単体柏原城を見た人は石落
だと信じて疑わない訳ですね。
そんな討論していると城内側
見学をカットせざるを得なく
なり時間軸の調整が破綻した
そういう討論の場とは通常の
場合城郭講座の質問会で願い
たいと常々考えております。
探訪会は時間との戦いです。
◆質問者
絵画資料における石落としは?
こんな感じが石落としですね?
◆質問者
こんな物が果たして城と言える
のでしょうか?石垣も瓦も存在
しない野戦陣地の現場と私達は
感じてしまう訳ですよ。
◆長谷川
私からみれば これは塁腺上に
張り出した矢倉のある城郭です
が日本全国の多数の方は石垣が
城の本命と考えておられる事!
丁寧に遺構観察すば矢倉土壇
や塀の痕跡は観察可能ですよ!
戦いの為の施設が城だと私は
考えている人間だと思います。
◆質問者
長谷川先生が一文字土塁など
現地解説されても全く面白く
ないのですが?
◆長谷川
そうでしたか?私は秋の夜長
物語にある陣城の土塀に強く
興味を惹かれます。この絵画
には矢狭間も描かれている事
担盾を並べた矢倉も見られる
◆反論者
でもこれ塀なの柵なのか解ら
ない欠陥絵画かと思うのです。
◆長谷川
私は19歳の頃『築城記』なる
文献を國學院大學の図書館で
閲覧致しました。その中には
城の柵には塀を塗る例がある
と書かれている文言がある事
を覚えています。『築城記』
を読むとは字面だけ読んでも
応用と言うものが効きません。