説明者は、内閣府と資源エネルギー庁、そして東京電力(株)だった。
資源エネルギー庁の担当者は、第一原発構内で、処理水を貯蔵するタンクが大きな面積をしめて、廃炉作業の障害になることなどから、6年以上の議論を重ね、IAEAの評価も受けながら、処理水を海水で薄めて海洋放出とする方針を決定したと説明。
2年程度で放出の準備をし、放出にあたってはタンク内の処理水を再処理して管理基準値内とし、分離できないトリチウムはサブドレンからくみ上げた水同様1リットルあたり1,500ベクレル以下となるよう薄め、年間の排出総量を22兆ベクレル(事故前の東京電力福島第一原子力発電所の上限の管理基準値)という。
放出前には二重に検査をし、放出後の海水もモニタリングし、国内外の原発でも同規模以上に放出している事実も含め、情報発信していくという。
また、シミュレーションでは、年間22兆ベクレルを放出した際に、バックグラウンドレベル(1リットル中1ベクレル)を越えるのは、排出先から南北1.5kmの範囲で、これを越えるとバックグランド以下になり、環境影響は非常に小さいとしました。
内閣府からは損害賠償の考え方が説明され、東京電力ホールディングスの新妻フェローが、同社に寄せられる「不信と懸念を真摯に受け止め、信用していただけるようガバナンスを強めていく」などと謝罪した後、廃炉カンパニーの担当者が、処理水放出の方法等について説明した。
説明は、基本的にこれまでに明らかにされてきたことで、特に目新しいことはなかったと思うが、質疑への答弁も含めて気にかかるのは、2年後の放出は決定事項で、そのために説明していると聞こえてくることだった。
私自身は、トリチウムを含む処理水の取り扱いについて、国や東電に求めていたことがあった。2014年のいわき市議会の東日本大震災復興特別委員会で、資源エネルギー庁と東電の出席のもと、事故前の原発でも「海に年間2兆bq、気体(水蒸気)として2兆bq、合計4兆bqで、管理上の目標は22兆bqでした」(東電答弁)という規模でトリチウムが排出されていたことを含めて、住民に積極的に説明することを求めたのだ。
当時は、地下水バイパス計画でくみ上げた水を、1,500ベクレル以下に希釈して放出する計画が問題になっていた。漁業権者である漁業者にその許可を求めるため、漁業者が反対する住民らとの板挟みで苦しむ状況がある中で、本来の責任者である国と東電が前面にたってこの問題を解決するためにも、その安全性などについて住民に積極的に説明すべきという考えがあったのだ。
これに対して、資源エネルギー庁の担当者からは「前から出していたから大丈夫」ととられかねないと難色を示す実に消極的な答弁があった。
トリチウムを放出する、現代的な課題でいえば処理水を放出することによって風評被害が発生することは今も昔も変わらない。放射性物質に対する懸念を持つ方は変わらずに存在している。こうした方々も、放出の安全性等を社会的に浸透させ、風評被害がおきないバックグランドを作るのは、原発事故を発生させた国と東電の責任だ。このことには、今回の処理水放出の方針決定の有無にかかわらず、真剣に取り組んでこなければならなかったはずだ。
ところが、昨年、政府小委員会がまとめた、海洋放出が現実的という方針を含む報告書に関する市議会との文書による質疑(コロナ流行で対面での会議は避けた)で分かったのは、国によるトリチウム等に関する説明は、ホームページを通じたり、福島県に関わるイベントの中、場合によっては県内開催のイベントも含めて、説明の実績にされているにすぎないことだった。
これでは、国・東電等の真剣さが問われるというものだ。
ところが国・東電は、廃炉の進捗を人質にして、2年後には処理水を放出する方針を打ち出した。質疑でも。「放出まで2年あるので、それまで国民に説明していきたい」という趣旨の答弁があった。国民的に説明し理解を広げる国と東電の義務をこれまで果たしてこなかったにもかかわらず、廃炉を進めたければ、有無を言わずに放出を受け入れろという姿勢だ。原発事故被災地である福島県民、そして本市市民らに二者択一を迫る姿勢は、言語道断と言わざるをえない。
市議会の全員協議会の質疑では、政府と東電が2015年に「関係者の理解なしには処理水のいかなる処分も行わない」と明言したことを踏まえた発言もあったと思うが、トリチウムによる健康被害の報告はなく、「風評被害をおこさない国民の理解が不可欠」として、「放出まで2年あるので、国民に説明していきたい」などの答弁がなされていた。
とにかく、2年後には海洋放出をするという国、そして国の方針に従属していますと影に隠れようとする東電の計画に沿って、処理水の海洋放出が進むのだろうということが、確認できたように思う。
これほど、被災地をバカにした話はないだろう。
私も、処理水の処分について、地上保管以外の方策は必要だろうという思いがある。地上保管のみを継続しようとするなら、双葉郡の住民の、故郷に寄せる思いを踏みにじる可能性を感じるからだ。
もし、双葉郡の住民のみなさんが、所有地を放棄して、他地区での生活を臨むとする希望が大半だとしたならば、地上保管でもいいのだろう。しかし、そういう状況はあるのだろうか。
福島県知事をはじめ、多くの自治体の長や議会が、国や東電が説明する責任を果たしていないと指摘していたと記憶している。国や東電にはこの声に応えることが求められているだろう。
そのために必要なのは、国及び東電が、2年後に放出するという前提を外すことだろう。これを前提とする限り、すすめようとしている安全性の説明が、たんなるガス抜きにすぎないととらえられるし、実際の問題としてガス抜きに止まってしまうだろう。
私は、まずは、トリチウムに関する国民的な理解を深め、その理解の上に処理水を処分する方針を示すことだろうと思う。福島県以外で放出するにしても、なにをするにしても、そのことをなくしてスムーズな対応を進めることは困難だろう。
そこで、国や東電に問いたいのは、説明する事業をすすめながらも、2年後、国民的な理解が広がらず、すなわち、処理水を放出することによって風評被害が拡大する事態があればどうするのかという問題だ。
国や東電は、様々な対応をしても風評被害が発生した場合の賠償を、被害者に寄り添って果たしていきたいと繰り返していた。この表現を、過去、何度聞いてきたことか。しかし、ADRで被害救済ができないなど、何度もこの言葉は踏みにじられてきたように思う。
あらためて国と東電に問いたいと、私が思ったのは、「2年後、処理水の放出に懸念を示す、一般的な声が幅広くあったときに、それでも処理水を放出するのか」ということだった。
質疑では、2年の間に説明をするという言動はあったが、その説明に理解が広がらなかった場合の、国や東電の対応については言及がなかった。このことを聞いても、「説明する」としか答えないのだろうけれど、漁業者との約束との観点からは、これに明確な答えを得ることは、非常に重要だったように思う。
あらためて国や東電には求めたい。2年後には放出の方針決定を凍結すること。そして、トリチウムをはじめとした放射性物質に関する国民的な理解を深め、風評被害が発生しない土壌を育成すること。その上に立って、処理水への対応方針を決定すること。
廃炉を国民的理解のもとにすすめるためにも、こうした国・東電の対応は大切なのではないだろうか。そう思う。
資源エネルギー庁の担当者は、第一原発構内で、処理水を貯蔵するタンクが大きな面積をしめて、廃炉作業の障害になることなどから、6年以上の議論を重ね、IAEAの評価も受けながら、処理水を海水で薄めて海洋放出とする方針を決定したと説明。
2年程度で放出の準備をし、放出にあたってはタンク内の処理水を再処理して管理基準値内とし、分離できないトリチウムはサブドレンからくみ上げた水同様1リットルあたり1,500ベクレル以下となるよう薄め、年間の排出総量を22兆ベクレル(事故前の東京電力福島第一原子力発電所の上限の管理基準値)という。
放出前には二重に検査をし、放出後の海水もモニタリングし、国内外の原発でも同規模以上に放出している事実も含め、情報発信していくという。
また、シミュレーションでは、年間22兆ベクレルを放出した際に、バックグラウンドレベル(1リットル中1ベクレル)を越えるのは、排出先から南北1.5kmの範囲で、これを越えるとバックグランド以下になり、環境影響は非常に小さいとしました。
内閣府からは損害賠償の考え方が説明され、東京電力ホールディングスの新妻フェローが、同社に寄せられる「不信と懸念を真摯に受け止め、信用していただけるようガバナンスを強めていく」などと謝罪した後、廃炉カンパニーの担当者が、処理水放出の方法等について説明した。
説明は、基本的にこれまでに明らかにされてきたことで、特に目新しいことはなかったと思うが、質疑への答弁も含めて気にかかるのは、2年後の放出は決定事項で、そのために説明していると聞こえてくることだった。
私自身は、トリチウムを含む処理水の取り扱いについて、国や東電に求めていたことがあった。2014年のいわき市議会の東日本大震災復興特別委員会で、資源エネルギー庁と東電の出席のもと、事故前の原発でも「海に年間2兆bq、気体(水蒸気)として2兆bq、合計4兆bqで、管理上の目標は22兆bqでした」(東電答弁)という規模でトリチウムが排出されていたことを含めて、住民に積極的に説明することを求めたのだ。
当時は、地下水バイパス計画でくみ上げた水を、1,500ベクレル以下に希釈して放出する計画が問題になっていた。漁業権者である漁業者にその許可を求めるため、漁業者が反対する住民らとの板挟みで苦しむ状況がある中で、本来の責任者である国と東電が前面にたってこの問題を解決するためにも、その安全性などについて住民に積極的に説明すべきという考えがあったのだ。
これに対して、資源エネルギー庁の担当者からは「前から出していたから大丈夫」ととられかねないと難色を示す実に消極的な答弁があった。
トリチウムを放出する、現代的な課題でいえば処理水を放出することによって風評被害が発生することは今も昔も変わらない。放射性物質に対する懸念を持つ方は変わらずに存在している。こうした方々も、放出の安全性等を社会的に浸透させ、風評被害がおきないバックグランドを作るのは、原発事故を発生させた国と東電の責任だ。このことには、今回の処理水放出の方針決定の有無にかかわらず、真剣に取り組んでこなければならなかったはずだ。
ところが、昨年、政府小委員会がまとめた、海洋放出が現実的という方針を含む報告書に関する市議会との文書による質疑(コロナ流行で対面での会議は避けた)で分かったのは、国によるトリチウム等に関する説明は、ホームページを通じたり、福島県に関わるイベントの中、場合によっては県内開催のイベントも含めて、説明の実績にされているにすぎないことだった。
これでは、国・東電等の真剣さが問われるというものだ。
ところが国・東電は、廃炉の進捗を人質にして、2年後には処理水を放出する方針を打ち出した。質疑でも。「放出まで2年あるので、それまで国民に説明していきたい」という趣旨の答弁があった。国民的に説明し理解を広げる国と東電の義務をこれまで果たしてこなかったにもかかわらず、廃炉を進めたければ、有無を言わずに放出を受け入れろという姿勢だ。原発事故被災地である福島県民、そして本市市民らに二者択一を迫る姿勢は、言語道断と言わざるをえない。
市議会の全員協議会の質疑では、政府と東電が2015年に「関係者の理解なしには処理水のいかなる処分も行わない」と明言したことを踏まえた発言もあったと思うが、トリチウムによる健康被害の報告はなく、「風評被害をおこさない国民の理解が不可欠」として、「放出まで2年あるので、国民に説明していきたい」などの答弁がなされていた。
とにかく、2年後には海洋放出をするという国、そして国の方針に従属していますと影に隠れようとする東電の計画に沿って、処理水の海洋放出が進むのだろうということが、確認できたように思う。
これほど、被災地をバカにした話はないだろう。
私も、処理水の処分について、地上保管以外の方策は必要だろうという思いがある。地上保管のみを継続しようとするなら、双葉郡の住民の、故郷に寄せる思いを踏みにじる可能性を感じるからだ。
もし、双葉郡の住民のみなさんが、所有地を放棄して、他地区での生活を臨むとする希望が大半だとしたならば、地上保管でもいいのだろう。しかし、そういう状況はあるのだろうか。
福島県知事をはじめ、多くの自治体の長や議会が、国や東電が説明する責任を果たしていないと指摘していたと記憶している。国や東電にはこの声に応えることが求められているだろう。
そのために必要なのは、国及び東電が、2年後に放出するという前提を外すことだろう。これを前提とする限り、すすめようとしている安全性の説明が、たんなるガス抜きにすぎないととらえられるし、実際の問題としてガス抜きに止まってしまうだろう。
私は、まずは、トリチウムに関する国民的な理解を深め、その理解の上に処理水を処分する方針を示すことだろうと思う。福島県以外で放出するにしても、なにをするにしても、そのことをなくしてスムーズな対応を進めることは困難だろう。
そこで、国や東電に問いたいのは、説明する事業をすすめながらも、2年後、国民的な理解が広がらず、すなわち、処理水を放出することによって風評被害が拡大する事態があればどうするのかという問題だ。
国や東電は、様々な対応をしても風評被害が発生した場合の賠償を、被害者に寄り添って果たしていきたいと繰り返していた。この表現を、過去、何度聞いてきたことか。しかし、ADRで被害救済ができないなど、何度もこの言葉は踏みにじられてきたように思う。
あらためて国と東電に問いたいと、私が思ったのは、「2年後、処理水の放出に懸念を示す、一般的な声が幅広くあったときに、それでも処理水を放出するのか」ということだった。
質疑では、2年の間に説明をするという言動はあったが、その説明に理解が広がらなかった場合の、国や東電の対応については言及がなかった。このことを聞いても、「説明する」としか答えないのだろうけれど、漁業者との約束との観点からは、これに明確な答えを得ることは、非常に重要だったように思う。
あらためて国や東電には求めたい。2年後には放出の方針決定を凍結すること。そして、トリチウムをはじめとした放射性物質に関する国民的な理解を深め、風評被害が発生しない土壌を育成すること。その上に立って、処理水への対応方針を決定すること。
廃炉を国民的理解のもとにすすめるためにも、こうした国・東電の対応は大切なのではないだろうか。そう思う。
「が」の先のお考えを読むことできず、かみ合うコメントができるかどうか・・。
原発事故後、本市で安心・安全に暮らす前提として必要なのが、放射性物質の影響を正しく知るということでした。
そんなある日、新聞で事故前の原発でもトリチウムは放出されていたという2行程度の記載を読み、目からウロコが落ちた思いでした。
全国の原発でも、運転中の原発からは放射性物質が基準値内で放出されており、福島第一原発でも当然に放出されていたし、いわきに住むようになってから何度も聞いたエピソードに、
「原発の近くで釣れる魚は大きい。温排水が排出されているからだ」
というものがあった。結びつけて考えれば、放射性物質が出ているから問題と考えるのではなく、どの程度の量が出ているのかを問題にし、その量によって判断することが大切だと思う必要があるということを知りました。
そして放射性物質に対する理解が広がっていないもとで、十分な説明を国民に向けて行うことで、不安が一定解消されて風評被害対策にもなるのではないか、ということもあわせて考えました。
市議時代の特別委員会の発言は、こうした考えからのものでしたが、どうも、国などが十分に国民に説明していると考えることができない状況にあることから、このブログを書きました。
風評被害のある状況が残されていて、福島県内の漁業者をはじめ関係者が、今回の方針を認めたとなれば、反対する人々の批判は、これを認めた方々に一定程度剥いてくることは、原発事故後の体験からも明らかです。
こういう、事故の被害者である県民と国民を分断するようなことを国がやってはならないと思っています。そのためにも、国や東電は、放射性物質と放出に関する説明をしっかり国民に向けて情報発信し、国民的理解を広げることが必要だと思います。
事故の処理をすすめることが国や東電の責任なら、処理にともない発生する諸問題を解決していくことも国・東電の責任。こうした積極的な取り組みを、国も東電もすべきです。
今でも説明に十分な責任を果たしているとは思えません。
人為的につくられるトリチウムについて
地球温暖化のように、人間活動は地球規模で環境に影響を及ぼしています。1960年代には、核実ました。下のグラフは、東京と千葉に降る雨にふくまれていたトリチウムの含量を示したものですが、核実験が盛んだった1960年代にはトリチウムが100ベクレル/Lにも達した年もありました。その後は核実験が禁止されたことから、徐々に減少し、現在は自然発生する量とほぼ近い水準まで下がっています。1960年代にもトリチウムによる害は観察されていませんので、現在のレベルのトリチウムが、環境や人間に深刻な影響を及ぼすとは考えられません。
子力発電所を稼働させると、トリチウムが発生します。すべての原発はトリチウムを、海か空に排出しています。それらの総量は経産省がまとめた資料にあります。現在、福島原発には1000兆ベクレルのトリチウムが存在すると考えられています。これらを毎年22兆ベクレル程度ずつ排出していく計画ですが、それとは桁外れの量のトリチウムが世界中で、環境中に排出されていることがわかります。これらの排出は、特に問題視されていないし、実際に問題が発生していません。また、近年の世界のトリチウム濃度が上がっていないことからも、環境中にどんどん蓄積していくような量ではないことがわかります。福島原発の事故によって、短期間の内に3400兆ベクレルのトリチウムが環境中に放出されましたが、すでに検出できない水準になっています。
トリチウムはなぜ除去できないのか?
福島原発の処理水をALPSという装置で放射性物質の除去を行っています。ALPSで処理をする前と後の核種の量を比較したのが下の図です(引用元)。縦軸の告示濃度比は、法律で決められた排水の濃度上限との比を示していて、赤線よりも下なら排水可能と言うことになります。ストロンチウムやセシウムなどの核種は、排出限界を大幅に下回り、処理後の青い棒グラフがほとんど見えないようなレベルまで除去できています。しかし、トリチウムだけは、殆ど減少していません。なぜ、トリチウムは除去できないのでしょうか。
セシウムやストロンチウムは、これらの物質が吸着しやすい素材を用いて、取り除くことができます。放射性のセシウムや放射性のストロンチウムを選択的に取り除くのではなく、放射性ではない普通のセシウムやストロンチウムも一緒に除去しています。水から不純物を取り除く処理をすることで、他の核種を取り除いているのです。
トリチウム水の場合、放射性ではないトリチウム水はすなわち水ですから、他の核種を分離した手法は適用できません。トリチウムを分離するには、放射性の水とそうでない水を分けることになり、物質そのものを除去すれば良かった他の核種と比較して、技術的なハードルが段違いに高いのです。
超高性能の遠心分離機を利用すれば、分子の重さの違いを利用して、水とトリチウム水を分離することは可能です。ただ、コストも時間もべらぼうにかかります。カナダは原発由来のトリチウムの純度を高めて販売しているのですが、1グラムあたり300万円と高価です。分離されたトリチウムは、水素爆弾の材料なので、核拡散禁止条約によって、日本はそのような設備を持つことが許可されていません。いろいろな意味で現実的とは言えません。
トリチウムは生物濃縮をしない。その理由は?
水とトリチウム水を分離するのが技術的に困難であるということは、生物濃縮が起こりづらいことを意味します。生物濃縮は、生物が特定の物質を捉えて放さないので起こります。トリチウム水の場合は、普通の水と性質の違いが殆どありませんから、トリチウム水だけを選択的に蓄積するような生物は見つかっていません。トリチウム水は、普通の水と一緒に吸収され、普通の水と同じように排出されるので、生物のトリチウム水の濃度は、環境の濃度とほぼ等しくなります。
トリチウムを濃縮する生物が見つかったら、世紀の大発見です。その生物がトリチウム水を集めるメカニズムを解明して、海水からトリチウムを集める方法が確立できれば、水の中からエネルギーを無尽蔵に取り出すことができるようになるかもしれません。
トリチウムの海洋放出は、他国から非難されるようなことなのか?
トリチウム水を海に流すのは、海に塩を撒くようなものだと筆者は考えます。そもそも環境に大量に存在するものを低濃度で流したところで、影響が出るとは思えません。他国も当たり前のようにやっていることですし、それによって国際的な非難をあびるような事で無いはずです。中国や韓国が日本を非難しているのは、純粋に政治的な理由によるものでしょう。本当にトリチウムの排出が問題だと考えているなら、まず、自国の原発を止めているはずですから。
他国の人は、日本で大騒動が起こっているので、何かとんでもないものを流そうとしていると勘違いしているのかもしれません。世界中で認められているトリチウムの排水で大騒ぎしているとは、普通は思わないでしょうから。科学を無視した日本国内の騒動が国際的な誤解を招いているのかもしれません。
風評被害か、実害か?
トリチウム排出において、唯一起こりうる問題は、風評被害であると筆者は考えます。風評とはいえ、経済的な被害や、精神的な負荷といった実害を伴うので、無視することはできません。
風評被害の原因は、放射性物質ではなく、人の心の中の不安や不信です。トリチウム水そのものではなく、日本政府や東京電力への不信感が風評被害を引き起こし、科学的な根拠も無く「危ない、危ない」と騒ぐ、メディアや特定政党の政治家がそれを増幅しているのです。
不正確な情報で危機を煽る人たち。正義感に駆られてそれを拡散する人たち。よかれと思ってそのような行動をとっているのかもしれませんが、やっていることは火の無いところに煙を立てて、人々の不安を煽り、一次産業従事者を苦しめて、原発事故の処理を妨害して、近隣諸国との間に不要な摩擦を引き起こしているように私からは見えます。
対派の言い分について検討してみよう
1)綺麗だというなら飲んでみろ
反対派から「安全性に問題ないなら飲んでみろ」という要求がしばしばなされます。民主党政権時代には、フリーのジャーナリストから「飲んでみろ」と詰め寄られた政務官が、処理水を飲んだこともあります。そんなことをしても、安心感は得られません。だから、現在もこのような問題が繰り返されているのです。
そもそも飲料水の基準と、環境排出基準は全く別物です。この瞬間も多くの河川の水が海に流れ込んでいますが、それらの水のほとんどは飲料水としては不適格です。「飲めるかどうか」と「海に流して良いか」は別問題なので、論点をすり替えるべきではありません。これは排出推進派にも言えることで、「飲めると聞いている」などといって、安全性をアピールするのは、賢いやり方ではありません。あくまで、環境に流しても問題が無いかどうかを論点にすべきです。
)問題ないなら、処理水を東京湾で排出すべきである
べつに東京湾に排出したところで、何も起きません。税金を使って、わざわざ水を運んでも、問題が解決するとも思えません。そもそも反対をする人たちが、それぐらいのことで納得するとは思えないからです。やりたければ、やれば良いけど、時間とお金の無駄でしょう。
3)他の核種も混じっているのではないか
これは重要な論点です。東電のデータを見る限り、トリチウム以外の核種の除去には問題がなさそうです。技術的にも十分可能だと思われます。近年は、福島県の一次産品はほぼすべて基準値以下になっており(下図)、トリチウム以外の核種を大量にばらまくとすぐに明らかになるでしょう。そういうリスクを冒してまで、東電が他の核種をこっそり排出するとは考えづらいです。
とはいえ、「国や東京電力が都合の悪い情報を隠してごまかしているのではないか」という疑問を持つこと自体は、無理からぬことだと思います。国や東電を信用できないからと言って、原発事故の処理を止めるわけにいきません。そこで、透明性をどのように高めていくかが重要な課題です。福島県沖の水質や生物のモニタリング結果を見ていれば、大きな変化があるかどうかはわかります。また、国際団体のIAEAが人を派遣して監視をすることになっています。IAEAが原発推進団体であることを問題視する人もいますが、外部の団体をいれるのは重要です。今後は、漁業関係者や第三者を交えながら、透明性を持って監視をしていく仕組みの構築が必要になるでしょう。