伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む市議会議員。市政や市議会、日常の活動などを紹介していきます。

トリチウムの問題でSNSが気になった

2021年03月04日 | 原発
 ツイートが取りあげたのは、2020年2月の「トリチウムとは」という福島民友の連載記事。この記事をとらえて、あるジャーナリストは「いまある溝を深め、当事者を追い込むことになってないか」と書き、別の大手新聞の記者が「同感です」「科学をふりかざしてこれが真実だ、と言われてもですね...」と返信している。

 問題の記事は、トリチウムから放出される放射線は、紙一枚で遮蔽できるなどエネルギーが小さく、「外部被曝は無視していいレベル」で、内部被ばくを考えても、1個の原子が放射線を出した場合の被曝量は、セシウム134や137、あるいは自然界にあり食品にも含まれるカリウム40よりもはるかに小さいことを紹介している。

 また、原発事故に由来して保管されるトリチウム量は、自然界で精製される、あるいは運転される原子炉から放出されているトリチウム量と比較しても少ないことなどを指摘し、「DNAを修復してヒトは生きていることや、福島第一原発のトリチウムが環境に与える影響が、人々に科学的に理解されれば、風評は起きないのではないか」「理解してもらう相手は国民にとどまらない。『復興五輪』の名の下に、世界が注視している」と結んでいる。


福島民友新聞「トリチウムって?」(2020年2月12日~15日)


 至極当然のことと思う。

 私も以前からこうした視点をもっていた。そのきっかけは原発事故後の、新聞記事だった。モニタリング井戸からくみ上げた地下水をの海洋放出に関する記事だったと思うのだが、その記事の末尾に原発は事故前の稼働時に、基準値内とは言え放射性物質を放出し続けていたことが記されていたのだ。

 わずか2~3行の記載にすぎなかったが、この気付きは大きかった。

 当時でも、原発事故による放射性核種の放出に関しては、住民間の受け止めの差が大きく、健康被害に関する不安はまだまだ大きい時だった。また、事故原発で何かしらの問題が発生すると、福島県産の農産物や福島県への訪問に不安を感じたキャンセル等が相次ぎ、風評による被害が大きかった時期のことだ。

 トリチウムに限っていっても、東京電力福島第一原発から年間4兆ベクレルが放出されており、管理上の基準は年間22兆ベクレルでした。40年間にわたって稼働する原発から放射性核種が放出され、そのもとで生活してきた。これは福島県内の原発にとどまらず、全国の原発でも同じことがおきている。しかし、事故をおこしていない原発では、福島のような風評被害は起きていない。それはなぜか。

 稼働する原発から放射性物質が管理基準値内とは言え放出されている事実を、多くの国民が共有していないことも一つの原因と考えられた。こうしたことから、私自身、風評被害対策として、これらの事実やトリチウムの科学的性質などを、国と東電が全国民に向けて説明し、理解を広げることを求めていた。公の場では2014年4月23日に開かれたいわき市議会東日本大震災復興特別委員会で、会議に出席した東京電力と資源エネルギー庁の職員に求めたのが最初だ。

ブログ「地下水バイパスの安全性の説明責任を果たすよう国と東電に求めてみました」=2014年04月24日


 しかし、国や東電には積極的な動きはなく、トリチウムの処分方法をめぐって両者が本格的に動き出したトリチウム水の取り扱いに関する小委員会の報告書を受けてからの、資源エネルギー庁への質問でも、この点を正していた。

ブログ「国の回答読んでみたが・・あれれ」=2020年04月28日

ブログ「ご飯論法とはこのことか・・ALPS処理水再質問へのエネ庁回答」=2020年05月18日


 2度に渡る質問の中で、同庁は「『トリチウム等についての原発からの日常的な放出等の歴史的な経過や影響に関する科学的な情報の国民的規模での周知』については、ALPS小委員会の報告書においても『政府や東京電力は、マスメディアに対して、速報性はもとより、経緯や科学的知見など総合的で分かりやす情報の提供に努めていくべき』とされており、こうした指摘を踏まえて、政府としての取り組みも一層拡充しえ行きたいと考えています」としている。しかし、事故後からこれまでに費やされた取り組みは、福島や被災地が関わる復興イベント等での展示や講演会、ホームページへの記事の掲載程度のもので、全国民に向けて本格的に説明しようとするものとはとても見えなかった。

 こうした現状を考えても、民友新聞の記事のように、トリチウムに関する知識を普及しようとする試みは評価できるものと、私は考えている。

 ただ、難点は、福島民友が福島県の地方紙という立ち位置にある。新聞の配布範囲は県内が大半であろう。同社のHPにアクセスすればその記事を拝見することもできるが、県外からアクセスするのはよほど関心を持っている人と言えそうだ。こう考えると、記事の効果は限定的だ。見方によっては、風評による被害を受ける福島県民を説得するための記事と見られなくもない。それが、くだんのツイッターのツイートでの評価につながっているとも考えられる。

 しかし、記事の意図は、連載のまとめの部分の記載にあるのだろう。すなわち、先にも記載したが、「理解してもらう相手は国民にとどまらない。『復興五輪』の名の下に、世界が注視している」にある。国民に説明する責任は誰にあるのか、世界の注視に応える責任は誰にあるのか。原発事故をおこした国と東京電力にあることは間違いない。こうした記事の指摘を受けながら、国と東電が、風評被害の発生を根元で抑えることにつながる情報を、国民的規模で浸透させていくことこそ必要なのだと思う。

 昨年の市議会と資源エネルギー庁の質疑等で示された国の取り組みの方向性を早期に具体化していくことが求められていると思う。国と東電には強く望みたい。

 それにしても、この記事はほぼ1年前のものだった。ツイートも1年前のもの。なんで1年前のものが今頃ツイートあるいはリツイートされてきたのだろう。こちらもなぞである。


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