伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

うっかりが火星人を生んだのか

2021年02月06日 | 雑学
 チコちゃんに叱られる!はなかなか楽しい番組だ。楽しんでみているうちに、雑学が多少は身についていく。もちろん、諸説がある場合もあるが、それはそれとして知識のない雑学に触れるのは楽しいものだ。

 今日の再放送番組で、一つのテーマが「火星人はなぜタコ型」だった。

 これは私は〝知っていた〟。誰だったか・・そうH・G・ウエルズが書いた「宇宙戦争」で、地球を侵略する火星人がタコ型で描かれていた。これが定着したのだ。これをチコちゃんに伝えれば、「つまんねぇ奴」と、チコちゃんがすね、漢字問題を出されるところだった。

 ところが、答えがこれでは「ボーッと生きてんじゃねぇよ」と叱りつけられるところだった。チコちゃんの答えは「うっかりして、うっかりして、どっきりしたから」。何のこっちゃ・・だが、「宇宙戦争」以前にタコ型の火星人が誕生していたのだ。

 続いて解説ビデオが放送されたが、ホワイトボードをはさんで慶應義塾大学の巽孝之教授にNHKの中山果奈アナウンサーが聞く形で解説が進められた。

 それによると、もともとイタリアの天文学者のジョヴァンニ・ヴィルジニオ・スキアパレッリが火星に発見した構造をスケッチし、この構造をたんに「溝」を意味する「canali(カナリ)」と呼んだ。ところが、これをフランスの天文学者カミーユ・フラマリオンが人工の河川である「運河」の意味を持つ「Canal(カナル)」と訳してしまったのだという。まず第1のうっかりだ。

 この時点で、火星には人工のものを作る生物がいる、すなわち火星人がいるのではということになり、巽教授はフラマリオンからみれば「(運河に)カナーリ似ていたんでしょうね」と親父ギャグを飛ばすが、中山アナは無表情でスルー。笑いを誘った。

 このフラマリオンの論文がアメリカに渡り、同国の天文学者パーシヴァル・ローウェルは火星人の存在を唱えたのだという。当時の望遠鏡ではボーッとしか見えない火星の構造を、くっきりした線で描き、このスケッチの線に名前までつけていた。

 火星に生物がいるなら、頭が良いのだから頭は大きく、重力は弱いのだから足は細い、そしてグロテスクに違いない。想像が広げられていったようだ。

 そしてH・G・ウエルズの途上となる。SF小説「宇宙戦争」を書いた彼が残した火星人のスケッチはタコ型だった。つまりそれまでに積み上げられた想像が形を成したわけだ。次の絵は、番組で映された画像の記憶を下に描いた。



 この火星人像が人々に定着していった事件があっという。米国で宇宙戦争がラジオドラマとして放送された際、音楽が流れている場面で、宇宙人が攻めてきたという臨時ニュースが流され、人々がパニックに陥ったというのだ。給水塔を宇宙人と勘違いし、銃撃した事例もあったという。かなりの衝撃だったのだろう。このドラマが100万に影響したとも言われているらしい。

 かくして火星人はタコ型が世界的に定着していったわけだ。

 もちろん、現代では、観測方法が飛躍的に発展し、ロケットまで送り込んで火星の観測や研究が進んでおり、火星の運河もタコ型の火星人も否定されているわけだが、タコ型の火星人はファンタジーの世界として、今後とも生き残っていくのだろうと思う。

 このテーマと同じく、勘違いから誤用し、定着していった事例はたくさんある。言葉の例はわかりやすいだろう。言葉のもつ意味が時代と共に変遷していく場合がある。つまり誤用が大勢となって、本来の意味と違う意味が定着していく場合だ。

 例えば「役不足」という言葉。本来は、その人の持つ力量に対して,役目が不相応に軽いこと、軽い役目のため実力を十分に発揮できないことをいう。しかし、役割を果たす力がない、その役割がその人にとって荷が重いという意味で使われることが多くなっている。「敷居が高い」という言葉も、本来は、不義理があって行きにくいという意味だが、今では高級すぎて行きにくいなど、分不相応という意味で使われることが多くなっている。

 NSPという岩手県出身の音楽グループがあった。中学生から高校生の頃だろうか、NHKFMの土曜日、当時岩手放送局にいた三宅アナの「リクエストアワー」で、良く曲を聴いた。「さようなら」「お休みの風景」など好んで聞いたし、ギターで弾いてみたりもした。NSPに「歌は世につれ」という曲があった。変わっていく世の中で、過去にしがみつこうとしても流されてしまう無情を歌った曲だ。

 言葉の意味が変わっていく現実は、この曲が歌った押しとどめることができない変化を体現しているものとなるだろう。しかし、タコ型の火星人の認識はこれからも変わらないと思われる。それが現実ではないといことが分かっても、ファンタジーとして人々の心の中に定着しているからだ。

 火星探査が進んでいる。生命の痕跡があるのではないか。あるいは生命があるのではないか。人々の知的探究心を刺激してやまない。もしかして、将来、生命の痕跡等が見つかることがあるかもしれない。それがもしかしたらタコ型かもしれない。今はまだ夢に見ておこう。


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