伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む市議会議員。市政や市議会、日常の活動などを紹介していきます。

フォーラム90の講演聴いていわきの地の成り立ちの面白さを知った

2020年12月08日 | 講演会
 講師は、いわきアンモナイトセンターの研究員・歌川史哲さん。東京都足立区生まれで、筑波大学で地史学古生物学研究室に所属し、「伊豆半島の新生代地史」をテーマに、関係を維持しながら生活する生物の集合体である「群集」の変化を研究し、民間事業者に勤務しながら理学博士を取得、2018年4月からアンモナイトセンターに勤務しているという。

 生まれが87年だという。88年生まれの我が家の娘の一つ上となるーーオオゥ!ーーという感じ。あまり意味は無いのだが、そうか、そういう年になったのだだだなぁーとあらためて実感する。

 さて、肝心の講演の内容だが、地層の年代の決定は、概念が先にあるのではなく、その地層に含まれる化石によって決定されていくのだという。

 まず、基礎的な知識として地層のでき方などが説明された。



 図はネットを参考に私が作ったもの(パソコンってやっぱり便利)だが、浸食によって川などで海に運ばれる石などは、重い物から順に陸地に近いところに沈む。海岸に近いところから順にれき(小石等)、砂、泥が沈むことになり、これに圧力等が加わることで、それぞれ「れき岩」、「砂岩」、「泥岩」となる。いわゆる堆積岩だ。これはよく知っている。

 もう一つは「付加体」。初めて聞いた言葉だ。



 この図も私が作図したもので正確性にかけるかもしれない。地球の表面を覆う地殻は移動しており、海洋の地殻(プレート)が大陸のプレートに沈み込んでいる。この移動にともない大陸プレートが引きずられ蓄積したひずみが開放される時に地震が起きる。この海洋プレートが沈み込む場所では、プレートの上に堆積した沈殿物が、大陸プレートでこそげ落とされ陸側に付加されていく。こそげ落とされた堆積物を「付加体」という。

 さらには地質年代の決め方。
 古い順に原生代、古生代、中生代、新生代と続き、例えば中生代は同じく三畳紀、ジュラ紀、白亜紀で構成されるなど、それぞれが複数の年代区分で構成されている。この年代区分は、地層に含まれる化石によって区分されてきたのは先に記した通り。


図は産総研・地質調査総合センターのホームページより引用


 それぞれの地質区分が何年前になるのかはウラン・鉛年代測定法を利用して測定しているという。ウィキペディアによると、ウランが放射線を放出して鉛に変化する性質を利用した測定法で、「238U(Uはウラン)から206Pb(Pbは鉛)までの一連の崩壊に対応する半減期は約45億年、235Uから207Pbまでの一連の崩壊に対応する半減期は約7億年である。そのためウラン・鉛年代測定法は、だいたい100万年以上の時間が経過しているウランを含有した試料に用いられ」と説明されている。

 さて、ユーラシア大陸の端っこに位置する日本列島は、もともと大陸の一部だった2つの陸地が切り離され、沖合で近づき、その割れ目は堆積物で埋められてつながり現在の姿になったという。白亜紀の頃は日本は大陸の一部で、そこから徐々に東側に移動していったようだ。



 この図も、講演で見聞きした曖昧な記憶を私が図にしたもので正確性にかけるかもしれない。その前提で説明すると、緑の線が大陸、赤い線が日本列島になる部分。図のように大陸から離れた2つの陸地が沖合で近寄った。陸地の間にあった海は堆積物で埋まり、これがフォッサマグナと呼ばれる構造になったという。フォッサマグナは線ではなく面で広がっており、北側の端っこは関東ローム層(富士山が噴火してできた火山灰層)があるため確認が難しいものの、現在は、銚子辺りが北限と考えられているという。

 私の認識では、フォッサマグナはもっと西南側、糸魚川静岡構造線辺りの線状の構造で岩盤の割れ目と思っていた。全くの誤認だった。2つの陸地の間の溝が堆積物でつながった。ある意味埋め立て地だったというのだから驚きだ。

 このフォッサマグナを境として、日本列島は西南日本と東北日本に分かれる。いわきはいわずもなが東北日本だ。西南日本は中央構造線を境に内帯(大陸側)と外帯(太平洋側)に分かれるという。

 また、現在の日本列島のもともと大陸の一部だった地層は、能登半島辺りの石川県をはじめとした数地域にすぎず、ほとんどは付加体あるいは堆積物由来の地層で構成されているとされているという。これも新鮮な知識。調べると古生代から新生代までの間に大陸に底付けされた地層となるようだ。この地層が隆起して現在の日本列島を形成したのだろう。当然、いわき市付近も付加体等による地層で構成されていることになる。

 そのいわき市の北部に、「双葉層群」と呼ばれる地層がある。「群」という言葉から分かるように複数の地層の総称で、古い順に「足沢(あしざわ)層」「笠松(かさまつ)層」「玉川(たまがわ)層」というそうだ。

 地層の年代は、前記の通り含まれる化石によって決められるが、
「足沢層」からはアンモナイトやサメの歯、琥珀などが出土し、
「笠間層」からは恐竜等、
「玉川層」からは首長竜等が発掘されて地質年代が決定されている。
ちなみに歌川講師が所属するアンモナイトセンターの発掘体験では足沢層を対象にしているという。そういえば先だって参加者の・・小学生だったように記憶しているが、サメの歯を発掘したと報道されていた。

 また、足沢層から二枚貝のイノセラムス・ウワジメンシスが出土するという。宇和島で初めて見つかったので「ウワジメンシス」だ。一方、玉川層からはイノセラムス・ヒゴエンシス(だったと思う)が出土する。熊本で初めて見つかったので「ヒゴ」とつく。「♪~あんたがたどこさ、肥後(ひご)さ、肥後どこさ、熊本さ」でおなじみの熊本の旧名だ。これらの貝が生息していた年代には400万年の差があるという。目がくらむような長い時間だ。

 双葉群層は、中生代白亜紀(約1億4,500万年前から6,600万年前)後期(約1億50万年前から6,600万年前)の地層で、この頃の大陸の配置は現在と同じという。この年代の特徴は、海水面の上昇と温暖化のピーク。原因は海底火山の噴火にあるという説があり、海面は現在より100m程高かったという。

 調べると遠野町の我が家の辺りで標高がだいたい90m弱。ということは、当時は遠野あたりも水深10m程の海の底だったということになる。今の地球の姿から考えると仰天する海面の高さだ。遠野の山林で泥岩に葉っぱの化石を見たことがある。当然と言えば当然ありうることだったのだ。 

 この海の底で双葉郡層は形成された。このうち足沢層と同様の化石が、北海道で見られる蝦夷層群やさらに北方のサハリンでも見られるという。ここから、サハリンから北海道、岩手県久慈市、いわき市そして銚子付近に伸びる海盆(海のへこんだところ)の存在が推定されているという。

 また、双葉群層のれき岩の層には「チャート」という赤色の「れき」がある。ここに閉じ込められている微生物の化石は三畳紀中期、年数でいうと約3億年前のものとなる。

 ここで年代鑑定に使われているのは放散虫等の微生物の化石。進化で変化するため、時間の経過で特徴が異なるという。これら微生物の化石の観察は電子顕微鏡が登場したことによって可能になり、日本の地史学に変革をもたらした。日本では大型の化石の出土は少ないため、電子顕微鏡以前は化石で年代を決めることが難しかったという。しかし、電子顕微鏡の登場で微生物の化石を調べることができるようになり、日本の地質研究が大きく前進することになったようだ。

 白亜紀の地層に3倍から6倍も古い時代の三畳紀中期の化石が含まれるのはご想像の通り。いったん隆起して陸地になった三畳紀の地層が、浸食で削れ、海に流れ込んで堆積した結果だ。

 双葉群層で発掘されるチャートと同じ微生物を含むものは足尾山地でも発掘されるという。足尾山地は群馬県北東部から栃木県南西部にまたがる山地だ。白亜紀の頃のいわき市と足尾山地は近い場所にあった証拠。微生物の化石の分布を調べることで、当時の日本列島の形を考えることができるという。古代の日本列島の図をよく見るが、この図が化石の発掘の成果の一つだったとは驚きだ。

 れきが発掘される双葉群層。本文の初めの方に書いた通りれきを含むれき岩は、堆積岩のうちもっとも海岸に近い場所で形成される。白亜紀の頃のいわき市は浅い海の底だったのだ。その浅い海はサハリンから銚子付近まで続いていた。また、九州から関東にかけても当時は浅い海だったと考えられている。サハリンから九州に続く浅海の中心・へそがいわき市・常磐地区ということになる。

 こうしたことから歌川さんは、「常磐地区を研究することは大切」と強調した。一方、参加者の質問等に答える中で、この大切さが広く共有されていないことも指摘していた。

 恐竜等が闊歩していた時代の記録が確認され、人間生活の痕跡である貝塚や竪穴式住居跡、中田横穴の壁画、古墳があるいわき市、そして、最近、いわき平城に当時の館の礎石が発掘された。いわき市には悠久の地球の歴史が刻まれているということをあらためて確認できた講演会で、大変、興味深く聞かせていただいた。そのいわき市に住む者として、そのいわきの歴史には興味を吹構えていきたいとも思う。

 さて講演では、その他にも様々なお話をお聞きした。

 白亜紀末期の恐竜の絶滅はメキシコのゆユカタン半島に確認された巨大隕石の衝突により、大量の粉塵が舞い上がって太陽光を遮蔽してしまったことが原因と聞いていた。しかし、原因はこれだけではないという説があるという。地球環境の変化は長期間にわたり続いており、緩やかに生き物の絶滅が続いており、隕石の衝突は決定打になったに過ぎないというのだ。

 ある説では、環境の変化は太陽系がたまたま星雲の中に入ってしまったことが原因だという。
 地球の歴史を知る上での指標となる物質の一つにイリジウムがある。イリジウムは宇宙からも供給されるよう。このイリジウムが7,300万年前から6,500万年にかけて増加していることが確認されているという。巨大隕石の衝突時はこの値がピークを示している。このイリジウムが増加している期間は、星雲の中を太陽系が通過していたと考えられるという。

 星雲は水素が濃厚な星域で、恒星が誕生する領域とされる。この星雲を通過している期間は、宇宙空間で拡散されるため地球に届く太陽光が減少したり、大量に降り注ぐ宇宙塵で大気中に雲が増えて太陽光を遮断してしまうなどが原因となり寒冷化する。その結果、生物の大量絶滅がゆっくりと進んだというのだ。

 これに関する論文をネットで見つけたのでアドレスを貼っておく。


星雲遭遇による白亜紀末の大寒冷化と大量絶滅


 双葉層群の地質、つまり足元のお話だったはずが、宇宙という壮大な空間のお話にスケールが爆発的に拡大した。宇宙を研究する学問は、その研究対象が数百億光年に及ぶ。太陽系の小惑星は、宇宙的スケールでは近いと考えられても、小惑星探査機ハヤブサが砂等を持ち帰るのに約6年もかかっている。やはりスケールの尺度が違う。天文学はその意味では派手な学問と思える。

 一方、こつこつと土を掘ったり岩を割って化石を発掘したり、石を割って微生物化石を顕微鏡で見たり。外国を調査するために移動したとしても、飛行機で地球上を移動するだけ。こう考えると地史学はどちらかと言えば地味。しかし、研究の結果にはとてつもなくスケールの大きな世界が表現される。地史学は、ミクロの世界からとてつもなく大きなマクロの世界を見ていたのだ。

 その事を知っただけでも、講演を聴いた意義は大きい。視野を広げてくれた講演に感謝をしたい。なお、図はペイント3Dというアプリケーション・ソフトを使用して作成した。


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4 コメント

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ミニミニリレー講演会 (Unknown)
2020-12-16 10:37:50
以前から興味を持っていました。
が、ネットで調べても古い情報しか見つからなくて・・・

どうやったら参加できるんでしょうか?

日時と演題等をどこかで公表していただけると嬉しいです。
興味あるものに参加したいなと思っているのですが。

それとも、何か参加資格等あるのでしょうか。
返信する
ミニミニリレー講演会の情報の取り方 (伊藤浩之)
2020-12-16 16:37:40
コメントありがとうとざいます。
参加資格があるわけではありません。

私は過去に参加し、また、話をさせていただいた経過もあって、「まざりな」というフォーラム90のニュースをいただいている他、フェイスブックで事務局を務める瀬川さんという方に友達になっていただき、ここから情報を入手しています。

もしフェイスブックにアドレスをお持ちなら、詳細については、メールをいただけるなら、そちらでお知らせしたいと思います。

なお、次回講演会は12月19日(土)午後1時30分から3時30分。櫛田光太郎さんが「野仏をたずねて~石仏、如意観音像(座)像」と題していわき市文化センター3階の大会議室で開かれます。

来年は、1月27日(水曜日)午後7時から9時で、1級建築士の豊田善幸さんが「中之作直してみんかプロジェクト」と題して、同じ会場でお話する予定となっているようです。

もしおこしの際は、マスク着用でお願いしますと会がお願いしています。
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情報をくださり (Unknown)
2020-12-17 12:08:21
ありがとうございます。

どちらかの日程で、都合が合えば参加をしてみたいなと思いました。
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お気軽にご参加ください (伊藤浩之)
2020-12-17 18:36:34
幅広いテーマを、いわき市ゆかりの講師がお話をするミニ講演会です。お気軽に聴講くださることを、主催団体も希望していると思います。

現在決まっている以降の日程について、機会があればブログに掲載しますので、ご覧ください。
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