官邸に深く食い込んでいたジャーナリストが、意識を失った女性をレイプした。被害を受けた女性が実名告発をしたそのことに驚きを覚えたものですが、その告発をした伊藤詩織さんが上梓したのがBlack Box(ブラックボックス=文芸春秋刊)です。
事件は、ジャーナリストの山口敬之氏が、ジャーナリストをめざす伊藤詩織さんを相談の名目で食事に誘い出した意識を失わせた上で自分が宿泊しているホテルに連れ込みレイプしたというもの。被害を告発して捜査した警察も、逮捕直前に菅義偉官房長官の秘書官を長く務めた中村格警視庁刑事部長(当時)の「逮捕見送り」の指示で、事件を不問に付してしまった。詩織さんは、レイプとある意味権力の不法行為という2重の苦しみに痛めつけられています。
詩織さんは、「恋愛感情はなかった」「私が『泥酔した』状態だと山口氏は認識していた」など事実を積み上げ、「検察と検察審査会は、これらの事実を知ったうえで、この事件を『不起訴』と判断した。あなたはどう考えるだろうか」と問いかけています。
山口氏は、レイプを否定しているようです。しかし、詩織さんが改憲という不特定多数の前でその発言内容の検証をされているにも関わらず、山口氏は「私を訴えた伊藤詩織さんへ」 と題する手記を月刊Hanada(2017年12月号)そんなに書いただけで、人の前では語っていないようです。本屋さんでこの本を探してみたのですが、手に入らず、手記さえ読むことができていないのですが、こうした経過を見ても、どちらの主張が正しいことを伝えているかは明らかだと思います。
詩織さん体験したようなことが許される日本であっていいはずがない。誰もがそう思うと考えるのです。
あとがきで彼女はこう書いています。
「人は変化を望まない。特に、この国には『レイプ』についてオープンに語ることをタブー視する人たちがいる。
そういう人たちは、誰から、何を守ろうというだろうか。
私は、自分のつかんだ真実を信じ、その真実の中で生きている。」
著名ジャーナリストのレイプ被害を受け、悩み苦しみながら告発したにもかかわらず、官邸に近い警察幹部の指示で事件そのものをもみ消しにされるという体験をした詩織さんは、レイプ被害者に対する社会の偏見に打たれ、捜査段階におけるセカンドレイプに打たれ、その結果としての不起訴という対応にまた打ちのめされてきました。彼女の力になってくれた人たちがいたのは事実だけれど、社会の仕組みは彼女を守るものとはなっていなかったということが、彼女の体験から分かってきます。
だからこそ被害者をサポートし守る社会を作り上げなければならないことを、各国のレイプ事件の対応を紹介しながら訴えています
そう本書の目的は、被害の告発とそれに対する正しい裁き、被害者を救済する社会の構築にある。だから詩織さんは前書きで本書の目的をこのように語ったのでしょう。
私が本当に話したいのは、「起こったこと」そのものではない。
「どう怒らないようにするか」
「起こってしまった場合、どうしたら助けを得ることができるのか」
という未来の話である。それを話すために、あえて「過去に起こったこと」を話してだけなのだ。
この本を読んで、あなたにも想像してほしい。いつ、どこで、私に起こったことが、あなたに、あるいはあなたの大切な人に降りかかってくるか、誰にも予測はできないのだ。
ないために
このような事件は、起こらない方が良い。しかし、日々のニュースは、残念ながら、こうした事件が続いていることを示しています。その意味では、詩織さんが告発し、問題提起した意味は大きいものがあると思います。
電通で過労自殺に追い込まれた高橋まつりさんやいじめで自殺に追い込まれた中学生の葛西りまさんの遺族が、実名で事件を告発した行動を詩織さんはみてきました。この行動が詩織さんに勇気を与えた。同じ思いをする人を少しでも減らしたいと考え、この事件を「よくある話」で終わらせないために、「被害者A」という記号ではなく、名前と顔がある人間として登場する決意をしたというのです。
この決意が現実の社会に生きるように関心を持ち続けなければならないと思います。
事件は、ジャーナリストの山口敬之氏が、ジャーナリストをめざす伊藤詩織さんを相談の名目で食事に誘い出した意識を失わせた上で自分が宿泊しているホテルに連れ込みレイプしたというもの。被害を告発して捜査した警察も、逮捕直前に菅義偉官房長官の秘書官を長く務めた中村格警視庁刑事部長(当時)の「逮捕見送り」の指示で、事件を不問に付してしまった。詩織さんは、レイプとある意味権力の不法行為という2重の苦しみに痛めつけられています。
詩織さんは、「恋愛感情はなかった」「私が『泥酔した』状態だと山口氏は認識していた」など事実を積み上げ、「検察と検察審査会は、これらの事実を知ったうえで、この事件を『不起訴』と判断した。あなたはどう考えるだろうか」と問いかけています。
山口氏は、レイプを否定しているようです。しかし、詩織さんが改憲という不特定多数の前でその発言内容の検証をされているにも関わらず、山口氏は「私を訴えた伊藤詩織さんへ」 と題する手記を月刊Hanada(2017年12月号)そんなに書いただけで、人の前では語っていないようです。本屋さんでこの本を探してみたのですが、手に入らず、手記さえ読むことができていないのですが、こうした経過を見ても、どちらの主張が正しいことを伝えているかは明らかだと思います。
詩織さん体験したようなことが許される日本であっていいはずがない。誰もがそう思うと考えるのです。
あとがきで彼女はこう書いています。
「人は変化を望まない。特に、この国には『レイプ』についてオープンに語ることをタブー視する人たちがいる。
そういう人たちは、誰から、何を守ろうというだろうか。
私は、自分のつかんだ真実を信じ、その真実の中で生きている。」
著名ジャーナリストのレイプ被害を受け、悩み苦しみながら告発したにもかかわらず、官邸に近い警察幹部の指示で事件そのものをもみ消しにされるという体験をした詩織さんは、レイプ被害者に対する社会の偏見に打たれ、捜査段階におけるセカンドレイプに打たれ、その結果としての不起訴という対応にまた打ちのめされてきました。彼女の力になってくれた人たちがいたのは事実だけれど、社会の仕組みは彼女を守るものとはなっていなかったということが、彼女の体験から分かってきます。
だからこそ被害者をサポートし守る社会を作り上げなければならないことを、各国のレイプ事件の対応を紹介しながら訴えています
そう本書の目的は、被害の告発とそれに対する正しい裁き、被害者を救済する社会の構築にある。だから詩織さんは前書きで本書の目的をこのように語ったのでしょう。
私が本当に話したいのは、「起こったこと」そのものではない。
「どう怒らないようにするか」
「起こってしまった場合、どうしたら助けを得ることができるのか」
という未来の話である。それを話すために、あえて「過去に起こったこと」を話してだけなのだ。
この本を読んで、あなたにも想像してほしい。いつ、どこで、私に起こったことが、あなたに、あるいはあなたの大切な人に降りかかってくるか、誰にも予測はできないのだ。
ないために
このような事件は、起こらない方が良い。しかし、日々のニュースは、残念ながら、こうした事件が続いていることを示しています。その意味では、詩織さんが告発し、問題提起した意味は大きいものがあると思います。
電通で過労自殺に追い込まれた高橋まつりさんやいじめで自殺に追い込まれた中学生の葛西りまさんの遺族が、実名で事件を告発した行動を詩織さんはみてきました。この行動が詩織さんに勇気を与えた。同じ思いをする人を少しでも減らしたいと考え、この事件を「よくある話」で終わらせないために、「被害者A」という記号ではなく、名前と顔がある人間として登場する決意をしたというのです。
この決意が現実の社会に生きるように関心を持ち続けなければならないと思います。
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