伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

轟音ひいたF-2戦闘機の下、トロロアオイ植え付け

2022年05月25日 | 遠野町・地域
 戦闘機は、たぶん航空自衛隊百里基地から飛来したF-2。時折、遠野上空を通り過ぎるが、今日の飛行はいつもとは違った。


南に向けて遠ざかるF-2戦闘機


 戦闘機に限らず、自衛隊機あるいは米軍機が上空を飛ぶ際の高度は、民間の旅客機等に比べて低いという特徴がある。時おり飛来するF-2は、より低く、そのエンジン音の大きさも半端ない。

 遠野の上空を飛ぶ通常の一般的な航空機は、成田行きの諸外国から便や西日本以北やアジア等から米大陸に向かう便となる。前者は着陸に向け高度を落としているので、後者の半分程の高度で飛んでいく。
 その際のエンジン音は、けっこう響く音ではあるが
ゴー
というイメージとなる。

 しかし、F-2の場合は違う。
 近づきつつある時は、
ゴー・・・キーン・・
と音の圧力を高めながら、通り過ぎて姿が見えなくなっても、
ドーオンオン
と反復するエンジン音が届いてくる。

 その音はいつもと変わりないのだが、往復にかけた時間が全く違うのだ。
 この上空を飛ぶF-2は、茨城県の百里基地に配属される第3航空隊に所属する機体だと思う。これまで見かけたF-2は、南方から北方に飛び去った後、20分程度過ぎてから北方から南方に飛び去るパターンがほとんどだった。しかし、今日は違った。昼頃、南から北に飛び去った後、帰ってきたのは午後4時頃だったのだ。往復の時間差が4時間程度あった。

 この時間差が意味するのは何なのだろうか。報道された昨日の中国とロシアによる共同軍事演習が思い起こされる。
 この演習は、中ロそれぞれ2機の爆撃機が日本海で合流した後、日本海から東シナ海、太平洋にかけて日本周辺を飛行したというもの。ロシア軍の情報収集機も飛行した。これに対し航空自衛隊は、スクランブルで航空機をあげて監視・情報収集を実施した。領空侵犯はなかったという。23日の日米首脳会談、24日の日米に加えオーストラリア、インドを加えたクアッドの首脳会合に対する示威行動とする見方があるようだ。


画像は朝日新聞のネット記事より


 中ロの軍事演習の翌日の通常とは異なるF-2の飛行にはどんな意味があるのか。
 4時間の時間差の理由をいくつか考えてみた。
 1つは、松島基地に着陸し、陸上で時間を過ごした後、百里に戻った。松島といわき間の往復をF-2の巡航速度で飛ぶと約20分しかかからないので、目的地がそこだとすると着陸意外に考えられない。
 2つに、三沢基地の北側にあるらしい米軍と共同使用する射爆場での演習をした。いわきと三沢往復は約1時間なので、射爆場で陸上攻撃の演習をしたと考えれば、一定時間がかかるだろうが、それでも4時間はかかりすぎかな・・。
 3つに、気仙沼辺り沖や三沢沖にある訓練空域で空戦の訓練か、3機なので敵味方に分かれて模擬戦を行った。

 以上が考えられたが、可能性が高いのは3つ目の理由かな。自衛隊の動きは中ロも監視しているだろうから、こうした訓練を実施することで、戦闘力の高さを示して相手国を萎縮させる。中ロ共同訓練の翌日に3機の編隊で飛んだ理由としてもっとも可能性が高いような気がする。このような訓練をしていたら、3時間程度の時間差があっても不思議はないと思う。

 以上はあくまで想像の世界の話しだが。

 ただ、中ロと日本との関係を考えると、やはり防衛のあり方を考えざるをえない。
 中国は、日本の固有の領土である尖閣諸島を自国領土だと言い出した。同島周辺に大規模なエネルギー資源が発見されたことがきっかけだったらしいが、それまでは見向きもしなかった島の価値に気がついたとたんに領有を言い出したのは、実利主義の嗜好が強いといわれる中国らしい。あわせて、太平洋に軍事展開する際に自由に航行できるルートを抑えておきたいという軍事上の動機もあるのだろう。

 また、ロシアとの間には北方領土の問題を抱え、また、ウラジオストックの軍港から太平洋に展開しようとする際に、冬季、流氷に覆われる海域を避けるために、日本よりのルートの確保を渇望しているとも聞いた覚えがある。

 両国ともに、日本とは領土問題に加え、軍事戦略上の背反背反もある。その上困ったことに、両国とも、こうした問題を背景に置きながら軍事的な圧力をかけてくる。中国は、尖閣諸島近海に軍の艦艇が展開させており、軍事演習をしていたこともあった。ロシアもウクライナ侵攻後だが、北海道近海で軍事演習をしている。そして昨年は、中ロの艦艇が合同で津軽海峡を抜けて太平洋を南下し、大隅海峡を抜けて東シナ海にいたる訓練を実施した。途中、ミサイルの発射訓練もあったようだ。日米両国に対する示威行動とみられているようだ。

 こうした国々とどう向き合っていくのか。なかなか難しい問題と思う。特にロシアのウクライナの軍事侵攻・侵略戦争を考えるとき、そのロシアと問題を抱えていることを考えるときに、いっそう複雑な思いになる。日本国憲法と防衛のあり方って、本当に大きく、複雑な問題だなと思う。



 まあ、そんな難しい問題もあるが、今日は、遠野和紙ボランティアの呼びかけで、トロロアオイの植え付け作業をしてきた。

 その呼びかけは、今日の昼前だった。2次健診を終えた後の時間帯だった。もっとも呼びかけメールを読んだのは、午後1時に5分前のことだったのだが。

 2次健診は、市の1次健診で肺がんの疑いが指摘されたために、時間をおいたが、受信してきた。CT検査の結果は何の問題もなしだった。

 肺がんの疑いでの2次健診は2回目となる。原因は、肋骨の骨折跡だ。

 2015年3月のある日曜日の雨上がりの朝、愛犬の散歩をしている最中、道路脇に1m程垂直に背中から落下したことがある。そこは基本的に土の地盤で柔らかかったのだが、運悪く背中側の肋骨部分に泥岩らしき固い岩が露出しており、激痛が走った。前方から来る車の音が聞こえたことで、脇に寄ったところ、コンクリートの構造物の上に流れてきていたキメの細かい泥で足を滑らせたことが落下の原因だった。

 藪に隠れて車からは見えなかったらしく、エンジン音を残して車は走り去っていった。そのとき、私はといえば、道路下に仰向けに伏せり、背中の激痛にもがいていた。いっしょの愛犬2頭が、道路の上から心配そうにのぞき込んでいたことを思い出す。

 痛みがひどいので日曜日に診療している整形外科を探して自ら運転する車で乗り付け、診察を受けた。骨折の所見はなく打撲という診断だった。痛み軽減のため痛み止めを処方され、胸のサポーターを購入して帰宅した。それから2週間は、寝起きも寝返りも、また体をねじる左腕を急に動かすなどのたびに激痛にもだえる生活をおくった。やがて1ヶ月を経過した頃、痛みもだいぶひき、日常の生活を取り戻していった。

 これが骨折だったと分かったのが、1回目の肺がんの疑いでの2次健診だった。2次健診で撮ったレントゲン写真の肋骨部分に、丸い影が写っていた。骨折が治癒した跡がそのように写るという。もっとも、最初の診断で骨折が分かったとしても、治療法に代わりはなく、たぶんサポーターが保険適用になるかどうかの違いだっただろうと思う。

 いずれにせよ、この骨折が原因で2次健診を受けたわけだが、やはり問題はなかった。1次健診の単純撮影写真を読影する医師の見立て次第ということなので、今後も同様に肺がんの疑いが発生しそう。1次健診の初見の資料は開封不可なので、確認もできないし、うーん困ったものだ。ただ開封して素人判断で必要な受診まで控えてしまっては、健診の意味がなくなるわけだけれども・・。

 肺がんの疑いから解放された直後のボランティアの呼びかけには、特に用事もなかったので応えることにし、まあ、5分で駆けつけることは無理なので、作業着に着替えた後開始時間の1時に15分遅れで到着した。幸い、作業前で多少は手伝うことができた。



 矢印の先に種がある。これに土を被せて植え付け完了だ。
 トロロアオイは、その根から抽出されるネリと呼ばれる粘性の成分が、紙すき時のいわば安定剤として使われる。紙の材料のコウゾの繊維を水中に均等に浮かべるために、水に一定の粘性をつけるために用いられるのだ。今年は、紙すきを少し練習したが、これが不足している紙料(水にコウゾとネリを混ぜ込んだもの)では、紙をすき上げることが難しいことを実感している。

 今日の作業では、約15mの畝に3cm感覚で種を直接植え付けた。1畝に約500粒、これを7畝で、約3,500粒の種をまいたことになる。発芽した後は、育ちの良い株を残しながら間引いていくわけだが、立派に実ってほしいものだ。

 余った種をもらって帰った。自宅でも植え付けて根を育ててみたいと思い、畑は確保した。種は育苗ポットに植え付けただいたい150株分になる。発芽してから畑に植え付けようと思う。

 ちなみにトロロアオイは、別名花オクラという。花は食べることができ、料理の材料として使われるそうだ。昨年は、酢の物にしたり、天ぷらでも食べてみたが、味にまったくくせはない。調味料の味付けを素直に表現する感じだ。花の付け根には粘りけががあり、食感はおもしろいと思う。今年も花を食べてみたいと思うが、花をつけると根の育ちにはマイナスとなるようだ。花をつける用と、根っこを育てる用に分けて育ててみたいと思う。

 秋の収穫が楽しみだ。


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