出席できなくて悔いが残りました。
10月20日に文化交流施設「アリオス」で開催されたいわき市戦没者追悼式のことです。諸般の事情で参加できなかったのですが、後日の報道で遺族の追悼の辞が心を打つものであることを知りました。
福島民報いわき版では、その内容について次のように紹介していました。
「木内さんは幼いころに戦死した父について『父の思い出は少なく寂しいと思ったことはなかったが、戦死したフィリピンに行ったときに父の市が現実味を帯びた』と声を詰まらせながら語った。女手一つで育ててくれた母の苦労を振り返りながら『平和と発展は多くの命の犠牲の基に築かれている。平和維持のために英知を集めなければならない』と訴えた。」
ああ素晴らしい追悼の辞だったんだと思い、聞くことができなかったことを悔みました。せめて原稿を見ることはできないかと考え、担当課に問い合わせると、ご本人の了解のもと原稿を見せてくださいました。
そこには新聞記事にとどまらず、様々なことが語られていました。
いまNHKの連続テレビ小説「べっぴんさん」で戦後の日本の暮らしが描かれています。闇市がにぎわう一方で食料不足や預金の封鎖で生活がままならない庶民の暮らし、一方、戦地から夫が帰らない中で生活のために女たちが苦闘している状況がよく伝わってきます。ヒロイン・すみれの女学校の同級生がキャバレーに勤め、「残された娘を育てるためになんでもしなくちゃいけないの。でもここは最後の最後に来るところよ」(だったと思ったけど)とすみれに語った言葉が忘れられません。
そういえば前の「とと姉ちゃん」でも裕福に育ったヒロイン・常子の同級生・綾の出征した夫が帰らず、生活のために女給をする場面が描かれていました。この作品では、綾と同じ女給たちがやがて結婚をして常子が発行する雑誌を支援する場面が描かれ救われる思いがしましたが、あの時代には生きるためにどんなことでもするという実態が普通にあったのでしょう。
遺族の追悼の中でも、父がいないために経済的に大変苦しい思いをしたことや、訪ねたフィリピンで父の死に現実味を感じ、合わせてお母さんの苦労が次々と思い出されて涙したことなども語っていました。遺族の方々は、ドラマと同じ体験を重ねてきているのですね。
そして追悼は、今についても語っていました。
戦後一貫して平和国家をめざしてきたわが国の周辺で挑発的な領海侵犯が繰り返されるなど安堵できない状況があるなかで、平和を維持するために英知を集めなければならないし、戦争を知らない人が多くなる中で遺族が恒久平和を念じながら、歴史の教訓を風化させることのないように語り継ぎ、ふたたび戦争を繰り返すことがないように努力していかなければならない。そんな決意も語られていました。
過去におこった事実を歴史の中に埋もれさせることなく、こうした遺族の思いを今の社会に活かしていかなければならないと思います。
憲法に違反する安全保障関連法制の制定が強行され、青森の自衛隊部隊に対して「かけつけ警護」をはじめ武力行使――すなわち戦闘を前提にする任務を実行させようとしている現実があります。
そして派遣される南スーダンでは、政府軍と反政府軍の停戦協定は事実上破れ、いまや戦闘状態にあることが伝えられています。
安保法制発動の前提条件である「停戦」さえも破れている中で、駆け付け警護などの任務を付与する。そんな判断をしてはならない。それがあの戦争の犠牲となった人々の遺族の思いに応える道なんだろうと思います。
遺族の方の言葉を直接聞くことができなかったのはとても残念でした。でもその思いを引き継ぐために努力をしたいと思います。
10月20日に文化交流施設「アリオス」で開催されたいわき市戦没者追悼式のことです。諸般の事情で参加できなかったのですが、後日の報道で遺族の追悼の辞が心を打つものであることを知りました。
福島民報いわき版では、その内容について次のように紹介していました。
「木内さんは幼いころに戦死した父について『父の思い出は少なく寂しいと思ったことはなかったが、戦死したフィリピンに行ったときに父の市が現実味を帯びた』と声を詰まらせながら語った。女手一つで育ててくれた母の苦労を振り返りながら『平和と発展は多くの命の犠牲の基に築かれている。平和維持のために英知を集めなければならない』と訴えた。」
ああ素晴らしい追悼の辞だったんだと思い、聞くことができなかったことを悔みました。せめて原稿を見ることはできないかと考え、担当課に問い合わせると、ご本人の了解のもと原稿を見せてくださいました。
そこには新聞記事にとどまらず、様々なことが語られていました。
いまNHKの連続テレビ小説「べっぴんさん」で戦後の日本の暮らしが描かれています。闇市がにぎわう一方で食料不足や預金の封鎖で生活がままならない庶民の暮らし、一方、戦地から夫が帰らない中で生活のために女たちが苦闘している状況がよく伝わってきます。ヒロイン・すみれの女学校の同級生がキャバレーに勤め、「残された娘を育てるためになんでもしなくちゃいけないの。でもここは最後の最後に来るところよ」(だったと思ったけど)とすみれに語った言葉が忘れられません。
そういえば前の「とと姉ちゃん」でも裕福に育ったヒロイン・常子の同級生・綾の出征した夫が帰らず、生活のために女給をする場面が描かれていました。この作品では、綾と同じ女給たちがやがて結婚をして常子が発行する雑誌を支援する場面が描かれ救われる思いがしましたが、あの時代には生きるためにどんなことでもするという実態が普通にあったのでしょう。
遺族の追悼の中でも、父がいないために経済的に大変苦しい思いをしたことや、訪ねたフィリピンで父の死に現実味を感じ、合わせてお母さんの苦労が次々と思い出されて涙したことなども語っていました。遺族の方々は、ドラマと同じ体験を重ねてきているのですね。
そして追悼は、今についても語っていました。
戦後一貫して平和国家をめざしてきたわが国の周辺で挑発的な領海侵犯が繰り返されるなど安堵できない状況があるなかで、平和を維持するために英知を集めなければならないし、戦争を知らない人が多くなる中で遺族が恒久平和を念じながら、歴史の教訓を風化させることのないように語り継ぎ、ふたたび戦争を繰り返すことがないように努力していかなければならない。そんな決意も語られていました。
過去におこった事実を歴史の中に埋もれさせることなく、こうした遺族の思いを今の社会に活かしていかなければならないと思います。
憲法に違反する安全保障関連法制の制定が強行され、青森の自衛隊部隊に対して「かけつけ警護」をはじめ武力行使――すなわち戦闘を前提にする任務を実行させようとしている現実があります。
2016/10/21、河北新報
そして派遣される南スーダンでは、政府軍と反政府軍の停戦協定は事実上破れ、いまや戦闘状態にあることが伝えられています。
2016/10/25、河北新報
2016/10/26、河北新報
安保法制発動の前提条件である「停戦」さえも破れている中で、駆け付け警護などの任務を付与する。そんな判断をしてはならない。それがあの戦争の犠牲となった人々の遺族の思いに応える道なんだろうと思います。
遺族の方の言葉を直接聞くことができなかったのはとても残念でした。でもその思いを引き継ぐために努力をしたいと思います。
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