伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む市議会議員。市政や市議会、日常の活動などを紹介していきます。

雪の思い出

2015年02月03日 | 日記
 きょう自宅への帰路にFMいわき「シーウェーブ・いわき」のを聞いていたら、ラジピタというコーナーで「雪の思い出」をテーマに、視聴者の投稿を紹介していました。



 おじいさんにそりを作ってもらった、などの思い出が語られていましたが。自分もそり遊びをしたなー、という思い出とともに、子どもの頃住んでいた岩手県宮古市でもめずらしい大雪が降り、通学路脇の一段低い畑が道路と同じ高さまで吹き溜まっており、気付かずに滑り落ちて埋まってしまい身動きが取れなくなったこと、いわきに来てからのことだが、雪の日に福島に出かけ、渋滞する4号国道が渋滞し6時間かかって帰宅、途中郡山市内で前方の信号機が赤になってしまい、ブレーキを踏んだら後輪が流され、歩行者が通行する横断歩道ギリギリに、横断歩道と平行になりやっと停車し、事故をぎりぎり回避できたこと、また市内でスリップしてしまい、ガードレールに激突してしまい車を廃棄したこと、などあまり良くない思い出が蘇ってきました。

 でもこんなこともありました。労働組合青年部でスキー大会を蔵王で実施した際、班編成をして初心者の面倒を見ることにしました。私は、多少は滑れたのですが、初心者の女性がゲレンデで練習を積んだ後、頂上に登り地蔵坂といいましたか、幅の狭いゲレンデを降りながら旅館に戻ることにしました。

 ところがこの坂は急傾斜の上、凍結しており、幅も狭い。ボーゲンもまだまだ不確かな初心者にとってはきつかった。普通に滑れる方は10分もかからずに地蔵坂を降りることができるのでしょうが、まつげや髪の毛を凍りつかせながら斜滑降と尻もちで坂を刻みながら、1時間(いや1時間半だったか?)もかけて坂を降りました。時間がかかったために、まつげや髪の毛は氷つき、樹氷を身にまとった状態でした。

 そこからいくつかの連絡通路とゲレンデを横切り、旅館に近い最後のゲレンデの上に来た時、西の空に夕陽が金色に輝いていました。苦労して降りてきた初心者の女性が、美しい夕日に歓声をあげていたことも思い出しました。達成感と夕陽の美しさが気持ちを高ぶらせたのでしょうね。

 また自分が初めてスキーに行った時(やはり労働組合青年部のスキー大会)は、メガネを壊してしまいました。メガネがないため見えなかったデコボコに早いスピードで突っ込んだら体が宙に浮き、しばらく飛んだ後おしりから落下、大きな青あざを作ったことを思い出しました。

 あまりよい思い出がないな。落ち込んできそうなので思い出すのをやめましょう。



 雪にまつわる歌は、「なごり雪」が一番。中3の時にイルカさんが歌ってヒットさせた曲で、NHkのFM番組「リクエストアワー」でよく聞いていました(当時の担当は三宅アナだったんです)。最近の週刊誌で名残の雪という表現から「なごり雪」というタイトルにしたとのことで、この言葉はこの曲から生まれたようなのです。

 もう一曲は、新沼謙治さんの「おもいで岬」。雪は直接うたわれていないのですが、「消えた流氷」とから「冬はたずねる人もなく」とか、厳しい冬が歌い込まれた宮古市のとどヶ崎を歌った曲です。そしてもう一曲、やはり新沼謙治さんの「津軽恋女」。粉雪、つぶ雪、ざらめ雪など雪の種類が歌い込まれた歌。同県出身のひいき目ですかね。 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿