へぇ~、でした。
本日午後に開かれた、遠野町地域づくり振興協議会の敵総会後に開かれた「まちづくり講演会」のお話しを聞いての感想です。
「上遠野中学校の校歌を作った詩人・草野心平」と題した講演で、いわき市立草野心平記念館主任学芸員の長谷川由美さんが語った草野心平の人間は、芸術家ってやっぱりどこか変わっているのね、そんな印象をもたせるものでした。
1903年に小川町に生まれた心平は、祖父に溺愛されながら育ち、自宅近くを通る人を待ち伏せ噛みつくなど癇が強い少年だったといいます。
福島県立磐城中学校、現在の磐城高校を中退した後、中国広東省広州の嶺南大学に留学した際に詩を書き始めたといいます。
講演で晩年に書いたという「噛む・少年思慕調」という作品を紹介してくれました。ふるさとへの思い、少年時代の習癖を恥ずかしむような懐古の思いが詰まったような作品でした。
カエルに関する詩以外に鑑賞したことがなかったのですが、この作品を読んで、彼に新たに興味が湧いたのは収穫でした。
心平の生涯は結構破天荒で、定職と呼べるようなものはなかったようですが、居酒屋「火の車」を回転した際には、店をやりながらカウンターの中で自ら酒をあおる。よく酒飲みの酒屋は商売にならないと聞きますが、酒飲みの居酒屋が長続きするはない。
こんな調子で生きていたと聞くと、なかなか面白い人、そんな興味も湧いてきました。
さて彼が作った上遠野中の校歌には、「八汐見の古城のふもと」や「見はるかす四季の山々」(上遠野中は高台にあって、田人方面の山々を正面に臨むことができる)、「荷路夫山」「鮫川」の当地ならではの言葉が織り込まれています。
彼は、現地を訪ね、その風景を見ながら校歌の詩を書くことが多かったといい、この校歌も現地を訪ねて書いたに違いないというのです。
ただ、その記録は残っていなくて、おそらくそれは、彼がメモや日記などを紛失することは日常的だっことから、当時の記録も紛失したと思われるという。みつかれば世紀の発見になるかも。言い過ぎか?
また校歌には、「真と善」「未来」という言葉が織り込まれていますが、この言葉は心平が好んで使った言葉だったといいます。
この校歌が制定されたのは1954年のこと。同中の記録には、校歌を作るために5万なにがしかの寄付が集まったとあるといいます。この金額全部ではないにしろ、相応の金額が支払われたのだろうといいます。ちなみに当時の物価は白米が10kgで1000円だったとか。
そして校歌は、作詞が草野心平、作曲が渡辺浦人です。この二人はいわき市歌の補作者でもあるとか。なるほどでした。
約1時間の講演。興味深く聞かさせていただきました。
ちなみに講演前の総会では、木桶製作者である遠藤芳子さんが、木桶の技術伝承を評価されて感謝状が贈呈されました。
謝辞に立った遠藤さんは、夫と木桶作りを営んでいたものの、注文が減ったために別に職を持ち、10数年木桶作りを休んだ後、市の地域振興担当員に「遠野を明るくするためにぜひ」と言われ、悩みながらも夫の弟子に15日間学んで木桶作りを再開したことを振り返り、感謝状の贈呈にお礼をしていました。
感謝状贈呈時の写真を撮ろうと考えたのに、後ろ姿だったために断念したのだけれど、撮っておけば良かったなぁー。
総会では開会時に祝辞をさせていただきました。
総会の開催おめでとうございます。
いわき市議会は、今日の午前中に田人で開かれたのを最後に、市内13会場で議会報告会を開いてきました。遠野地区での開催では、まじめに人を集めないといかんな、とご指摘をいただきましたが、私は四倉と川前の会場を担当しました。
一昨日夜に、川前の報告会で、住民のみなさんの様々な意見を聴いてきたのですが、保護区域のあり方を含めてイノシシの対策を強化すること、道路の改修を進めてほしいこと、などなどの声でした。
農業予算が、議会費も含めて3%しかないのは少なすぎるのではないか、というご指摘もありました。中山間地の主要な産業は農林業ですので、この予算が少ないということは、地域の振興にもつながらない、というご指摘です。
意見を聞きながら、どこでも同じような課題を抱えていることを実感すると同時に、地域の振興に対する地域のみなさんの切実な気持ちを聞かされたように思います。
遠野町においても、似たような課題を抱えているわけですが、その中で、地域振興協議会に集うみな様が、ボランティアリズムを発揮しながら、様々な振興策に取り組んでおられることは、地域にとって大事なことだと思います。
また、遠野伝統である遠野和紙づくりの技術の継承では、地域おこし協力隊としてあらたに2人目の方の採用が決まったとお聞きし、伝統が継承されようとしていることを、心強く思います。
良く地域おこしのツボは何かという時に、様々な人のお話しを聴いてきましたが、アイデアを持って熱心に取り組むことにあるということを学んできました。
きょうの総会が、そのようなきっかけとして盛会となりますように祈念して、お祝いとさせていただきます。
こんなことを話して祝辞としました。
先立つこと午前には、錦地区で同地区の党後援会のみなさんと街頭宣伝をしました。
街宣場所の選定は、地元の方に任せて宣伝カーをすすめ、5ヶ所の道路脇に車を停めて街頭演説。びっくりしたのは、勿来支所前の旧6号線で街宣を始めた時、消防ポンプ車をはじめ3台の消防車両が出動していったことです。次の瞬間、火災を知らせるサイレンが鳴り響きました。
中断して車両を見送り、サイレンの終了を待って再開しました。火災はどの程度だったのかが気がかりです。
植田にある共産党の事務所に戻ると、室内に八重のドクダミの花が飾ってありました。めずらしいこと・・。
朝の愛犬の散歩では、サイハイランの開花を見つけました。木陰にひっそりと咲いています。
名前の由来は戦国武将が手にして、号令をかける際に振りかざす、采配似ているからだとか。地味なガクに隠れた花の紫色。慎み深い花ですね。
ちなみにこれを掘り返して持ち帰っても、根に蓄えた養分を使い尽くして数年で枯れてしまうといいます。おそらく、生育する土地に存在する菌類からも養分を得ているからだろうと。花の個体数は激減しているという記述もあります。
その他の山野草もそうなんですが、持ち帰って自分だけで楽しもうとせず、花はその咲く地をたずねる楽しみ方をしたいものです。
ハルユキノシタも咲き始めました。
近くにナワシロイチゴが花をつけていました。
例の名の分からぬ花、もしかしたらタニウツギの花の色がピンクに変わり始めていました。やっぱりタニウツギで間違いないようです。
明るいひだまりに誘われてコジャノメがやってきました。
この時期、ジャノメチョウ類を数多く見かけます。
夕方の空。きょうも日が暮れます。
夕刻にはオートキャンプ場の運営委員会の総会で、レストラン「チロル」に出かけました。
ここでも祝辞。
総会の開催おめでとうございます。
八潮見城の散策路を歩きました。そして明日は滝富士登山があり、いっしょに登りたいと思っています。果たして足はもつのか、大いに不安ももっているところです。
かように遠野には良い物が様々ありますが、遠野オートキャンプ場もその一角をしっかりと担っている思います。
先ほどの会長さんのあいさつで、宿泊客は関東圏からの客がほとんどというお話しを聞き、原発事故による放射性物質への不安が解消しつつあるのだと喜ばしく思いますが、同時に、先だって行事案内を見ているとスターウォッチングでしたか、星を見る会が開かれるようですけども、様々なイベントに取り組みながら、キャンプ場の魅力を高めているご努力に頭が下がる思いです。
今日の総会で、いっそうキャンプ場の魅力を高め、このキャンプ場がにぎわいますことを祈念し、祝辞とさせていただきたいと思います。
今週、諸団体の総会が続きました。これが今シーズン最後の総会かな?
本日午後に開かれた、遠野町地域づくり振興協議会の敵総会後に開かれた「まちづくり講演会」のお話しを聞いての感想です。
「上遠野中学校の校歌を作った詩人・草野心平」と題した講演で、いわき市立草野心平記念館主任学芸員の長谷川由美さんが語った草野心平の人間は、芸術家ってやっぱりどこか変わっているのね、そんな印象をもたせるものでした。
1903年に小川町に生まれた心平は、祖父に溺愛されながら育ち、自宅近くを通る人を待ち伏せ噛みつくなど癇が強い少年だったといいます。
福島県立磐城中学校、現在の磐城高校を中退した後、中国広東省広州の嶺南大学に留学した際に詩を書き始めたといいます。
講演で晩年に書いたという「噛む・少年思慕調」という作品を紹介してくれました。ふるさとへの思い、少年時代の習癖を恥ずかしむような懐古の思いが詰まったような作品でした。
カエルに関する詩以外に鑑賞したことがなかったのですが、この作品を読んで、彼に新たに興味が湧いたのは収穫でした。
心平の生涯は結構破天荒で、定職と呼べるようなものはなかったようですが、居酒屋「火の車」を回転した際には、店をやりながらカウンターの中で自ら酒をあおる。よく酒飲みの酒屋は商売にならないと聞きますが、酒飲みの居酒屋が長続きするはない。
こんな調子で生きていたと聞くと、なかなか面白い人、そんな興味も湧いてきました。
さて彼が作った上遠野中の校歌には、「八汐見の古城のふもと」や「見はるかす四季の山々」(上遠野中は高台にあって、田人方面の山々を正面に臨むことができる)、「荷路夫山」「鮫川」の当地ならではの言葉が織り込まれています。
彼は、現地を訪ね、その風景を見ながら校歌の詩を書くことが多かったといい、この校歌も現地を訪ねて書いたに違いないというのです。
ただ、その記録は残っていなくて、おそらくそれは、彼がメモや日記などを紛失することは日常的だっことから、当時の記録も紛失したと思われるという。みつかれば世紀の発見になるかも。言い過ぎか?
また校歌には、「真と善」「未来」という言葉が織り込まれていますが、この言葉は心平が好んで使った言葉だったといいます。
この校歌が制定されたのは1954年のこと。同中の記録には、校歌を作るために5万なにがしかの寄付が集まったとあるといいます。この金額全部ではないにしろ、相応の金額が支払われたのだろうといいます。ちなみに当時の物価は白米が10kgで1000円だったとか。
そして校歌は、作詞が草野心平、作曲が渡辺浦人です。この二人はいわき市歌の補作者でもあるとか。なるほどでした。
約1時間の講演。興味深く聞かさせていただきました。
ちなみに講演前の総会では、木桶製作者である遠藤芳子さんが、木桶の技術伝承を評価されて感謝状が贈呈されました。
謝辞に立った遠藤さんは、夫と木桶作りを営んでいたものの、注文が減ったために別に職を持ち、10数年木桶作りを休んだ後、市の地域振興担当員に「遠野を明るくするためにぜひ」と言われ、悩みながらも夫の弟子に15日間学んで木桶作りを再開したことを振り返り、感謝状の贈呈にお礼をしていました。
感謝状贈呈時の写真を撮ろうと考えたのに、後ろ姿だったために断念したのだけれど、撮っておけば良かったなぁー。
総会では開会時に祝辞をさせていただきました。
遠野まちづくり振興協議会総会での祝辞
総会の開催おめでとうございます。
いわき市議会は、今日の午前中に田人で開かれたのを最後に、市内13会場で議会報告会を開いてきました。遠野地区での開催では、まじめに人を集めないといかんな、とご指摘をいただきましたが、私は四倉と川前の会場を担当しました。
一昨日夜に、川前の報告会で、住民のみなさんの様々な意見を聴いてきたのですが、保護区域のあり方を含めてイノシシの対策を強化すること、道路の改修を進めてほしいこと、などなどの声でした。
農業予算が、議会費も含めて3%しかないのは少なすぎるのではないか、というご指摘もありました。中山間地の主要な産業は農林業ですので、この予算が少ないということは、地域の振興にもつながらない、というご指摘です。
意見を聞きながら、どこでも同じような課題を抱えていることを実感すると同時に、地域の振興に対する地域のみなさんの切実な気持ちを聞かされたように思います。
遠野町においても、似たような課題を抱えているわけですが、その中で、地域振興協議会に集うみな様が、ボランティアリズムを発揮しながら、様々な振興策に取り組んでおられることは、地域にとって大事なことだと思います。
また、遠野伝統である遠野和紙づくりの技術の継承では、地域おこし協力隊としてあらたに2人目の方の採用が決まったとお聞きし、伝統が継承されようとしていることを、心強く思います。
良く地域おこしのツボは何かという時に、様々な人のお話しを聴いてきましたが、アイデアを持って熱心に取り組むことにあるということを学んできました。
きょうの総会が、そのようなきっかけとして盛会となりますように祈念して、お祝いとさせていただきます。
こんなことを話して祝辞としました。
先立つこと午前には、錦地区で同地区の党後援会のみなさんと街頭宣伝をしました。
街宣場所の選定は、地元の方に任せて宣伝カーをすすめ、5ヶ所の道路脇に車を停めて街頭演説。びっくりしたのは、勿来支所前の旧6号線で街宣を始めた時、消防ポンプ車をはじめ3台の消防車両が出動していったことです。次の瞬間、火災を知らせるサイレンが鳴り響きました。
中断して車両を見送り、サイレンの終了を待って再開しました。火災はどの程度だったのかが気がかりです。
植田にある共産党の事務所に戻ると、室内に八重のドクダミの花が飾ってありました。めずらしいこと・・。
朝の愛犬の散歩では、サイハイランの開花を見つけました。木陰にひっそりと咲いています。
名前の由来は戦国武将が手にして、号令をかける際に振りかざす、采配似ているからだとか。地味なガクに隠れた花の紫色。慎み深い花ですね。
ちなみにこれを掘り返して持ち帰っても、根に蓄えた養分を使い尽くして数年で枯れてしまうといいます。おそらく、生育する土地に存在する菌類からも養分を得ているからだろうと。花の個体数は激減しているという記述もあります。
その他の山野草もそうなんですが、持ち帰って自分だけで楽しもうとせず、花はその咲く地をたずねる楽しみ方をしたいものです。
ハルユキノシタも咲き始めました。
近くにナワシロイチゴが花をつけていました。
例の名の分からぬ花、もしかしたらタニウツギの花の色がピンクに変わり始めていました。やっぱりタニウツギで間違いないようです。
明るいひだまりに誘われてコジャノメがやってきました。
この時期、ジャノメチョウ類を数多く見かけます。
夕方の空。きょうも日が暮れます。
夕刻にはオートキャンプ場の運営委員会の総会で、レストラン「チロル」に出かけました。
ここでも祝辞。
総会の開催おめでとうございます。
八潮見城の散策路を歩きました。そして明日は滝富士登山があり、いっしょに登りたいと思っています。果たして足はもつのか、大いに不安ももっているところです。
かように遠野には良い物が様々ありますが、遠野オートキャンプ場もその一角をしっかりと担っている思います。
先ほどの会長さんのあいさつで、宿泊客は関東圏からの客がほとんどというお話しを聞き、原発事故による放射性物質への不安が解消しつつあるのだと喜ばしく思いますが、同時に、先だって行事案内を見ているとスターウォッチングでしたか、星を見る会が開かれるようですけども、様々なイベントに取り組みながら、キャンプ場の魅力を高めているご努力に頭が下がる思いです。
今日の総会で、いっそうキャンプ場の魅力を高め、このキャンプ場がにぎわいますことを祈念し、祝辞とさせていただきたいと思います。
今週、諸団体の総会が続きました。これが今シーズン最後の総会かな?
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