伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

県内原発廃炉で思うことを議員だよりに書きました

2019年08月06日 | 市議会







住民の関心と監視で 安全・安心の廃炉確保を

東電第二・県内原発全基廃炉に思う



 原発事故から8年4ヶ月、7月31日に開かれた東京電力の取締役会で、福島第二原子力発電所の全基廃炉が決定し、県内原発全基廃炉が実現することになりました。原発事故後、市民から「もう原発はいらない」という声が上がり、県内原発全基廃炉は住民の共通する願いとなっていました。この声が行政を動かし、廃炉決定を導き出したわけです。今後、40年を超えるとされる廃炉作業を安全に進めながら、安心して暮らすことができるようにしていくためには何が必要か、考えてみたいと思います。


高まる原発ゼロ世論

 2011年3月11日、東日本大震災が発災し、翌12日東京電力福島第一原子力発電所1号機、また3月13日には3号機の水素爆発が伝えられました。テレビ画面には立ち上る爆煙が繰り返し映され、「これからどうなるのか」と不安が湧きだしてきたことを思い出します。

 事故後「原発はもういらない」の声が高まりました。いわき市議会は、12年7月定例会に市民から提出された請願「福島県内すべての原発の廃炉を求めることについて」を採択しました。

 14年3月までには県議会をはじめ、県内59市町村すべてが県内全基廃炉の決議等を採択しています。


残る第二廃炉決定

 こうした世論の高まりが、東京電力や国を動かしてきました。

 原発事故直後から廃炉の方針が示されていた福島第一の1号機から4号機に続き、15年12月には5号機、6号機の廃炉が決定され、福島第一は全基廃炉が決まっていました。

 県内には、この他に福島第二の4つの原子炉がありました。

 海抜15mにある福島第二は震災時、緩斜面を駆け上った津波が吸気口から浸水し、非常用ディーゼル発電機が使用不能になりました。幸い被災を免れた廃棄物処理施設の電源を使用して原子炉の冷却を継続することができたといいます。事故とはならなかったものの、冷温停止は薄氷を踏む作業で達成できたものでした。

 住民の声は、この福島第二の廃炉も求めるものでした。

 ところが、東京電力は、福島第二に関しては明確な判断を示しませんでした。廃炉を求められても、「地元の意見や国のエネルギー政策、福島第一原発の廃炉のバックアップ機能などを総合的に勘案して判断する」と繰り返すばかりでした。

 一方、国は「事業者が決定すること」と判断を丸投げし、住民の声に耳を傾けることはありませんでした。


廃炉の決断

 昨年6月、福島県知事と面会した東電の小早川社長は、姿勢をひるがえしました。「あいまいな状態を続けることは復興の妨げになる」と「廃炉の方向で具体的な検討に入りたい」と、初めて福島第二の廃炉を口にしたのです。

 それから1年余が過ぎた7月31日、福島第一の廃炉作業との兼ね合いや経営全般に及ぼす影響等多くの課題の検討を踏まえ、東京電力は正式に廃炉を決定しました。

 東京電力は、全4基の廃炉に40年を超える期間が必要としています。約1万本の使用済み核燃料は、乾式キャスクで構内に一時保管した後、廃炉終了までに全量搬出する方針としています。


安全廃炉実現のカギ

 住民の声が実現させた県内原発ゼロは大いに歓迎されます。

 しかし、方針が決定しても、明日原発がゼロになるわけではありません。ゼロになるまでの40年、50年という長期間にわたる安全な廃炉作業で、住民の安心を維持・高めていくことが求められています。

 また、福島県知事は、使用済み燃料について「県外への全量搬出という約束が実行されることが重要」と述べ、「国と東電に引き続き強く訴える」(福島民報8月1日付け)としており、作業の安全確保と同時に、同様の対応が本市にも求められています。

 実現のカギを握るのは緊張感でしょう。そのために欠かせないのが住民のみなさんの声です。これまで同様、福島第一、第二の廃炉作業に関心を持ち、監視を続け、問題があれば告発し是正を求めることが大切です。

 会派としても、より安全な廃炉作業がすすむよう、監視する立場で見守り、必要な情報発信に努めたいと考えています。

 今後とも、みなさんの声をお寄せいただきたいと思います。


文=伊藤浩之


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