伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

会派を牛耳りミスリード。この誹謗中傷はひどい。なんだこの人

2021年10月25日 | 市議会
 その一連のツイートがこれだ。画像をクリックすると、元ツイートが表示される。



 このツイートはこう書いている。

Misao Redwolf @MisaoRedwolf
 福島県いわき市議選が終わった。共産党候補が驚きのトップ当選。通常4人たてるところ2人出馬に絞った成果。会派を牛耳りながらトリチウム汚染水問題でミスリードをした、元共産党市議の影響力を削ぐための方策だったであろうが、効果ありすぎたのか、当該者は落選。共産党の底力を見た思い。


■共産党は2人に絞った?

 何がテキトーでデマかというと、1つは「通常4人たてるところ2人出馬に絞った成果」の部分。2人に絞ったのではない。2人しか立てられなかったのだ。

■5年前のタスキ事件

 ここにいたるまでには大きくは、2つの問題があった。
 1つは5年前の市議会選挙での、当時の地区常任委員会、県委員会の一部幹部の対応の問題だ。

 5年前の市議選で、共産党からは私を含む4人が立候補し、全員が当選した。
 この選挙の前、すなわち選挙活動ではなく、政治活動をしている期間のことになるが、当時の地区委員長や県書記長(現県委員長)など選挙対策本部は、立候補を予定するメンバーにたすきを着けて活動することを押しつけようとした。選挙管理委員会は、うち1人が街頭でたすきをつけ、のぼり旗を立て街頭宣伝していると、私をはじめ現職の市議会議員に注意するよう求めて来た。この事実を伝えると、選管の指導は間違いで、タスキ着用は合法と自分達の主張を押しつけようとしたのだ。

 当時、候補者となろうとしていた現職議員は、この指導を受け入れず、選管の注意以降はタスキの着用はしなかったのだが、選挙後も、選対本部の幹部達は自分達の主張を強引に押し通し、正当化しようとし続けた。

 また、のぼり旗の問題もあった。
 公職あるいは公職につこうとする者が掲示できる名前入りの看板は、規定のサイズの後援会用と政治事務所用で合計12枚と決められており、届出をすることが必要だ。たしか、名前入ののぼり旗は、この関係で規制される。

 その規制を逃れるためにひねり出されたのが連名のぼりなのだろう。選挙前、個人の名入りのぼりではなく、連名のぼりなるものを作成し使用しようとしたことがあった。中央委員会の選挙オルグのアドバイスだったのだろう。選挙の6ヶ月前になると、個人の名入りポスターは規制される。しかし、演説会告知の形式をとった連名のポスターは例外的にはりだすことができる。だから演説会告知の連名のぼりも問題がないという理屈だったと思う。

 私は、のぼりはのぼりでポスターではないと、この作成と使用を拒否した。貴重な募金でまかなわれる政治活動で、使わないものにお金をつぎ込むなど無駄遣いもはなはだしいと考えたのだ。しかし、のぼりは作成され、選対本部は設置されていた私の事務所にこっそり届け、事務所メンバーにこの掲示をさせた。気づいた私が取り外したのはいうまでもない。

 その1年後の市長選前に、立候補を予定した陣営から(共産党は自主投票)連名のぼりの是非を問われた市選挙管理委員会は使用できると見解を出し、それから、選挙のたびに見かけるようになった。しかし、市議選で使用しようとしたときには何の公式見解もなかった。共産党がよその選挙でもやっているから大丈夫という立場からの、いわばゲリラ的な使用という性格のものだった。

 少なくとも、共産党を代表して立候補しようとする者にこうしたテキトーな判断で活動をさせるなんてことは、私には理解できない。まあ、以前からあったことで、違和感を持っていたことではあったが、私自身、こうしたやり方に耐えられなくなったという側面もあったとは思う。

■間違いビラの隠蔽図る共産党地区幹部

 2つ目に、私が居住地でかかわった住民運動で、これと直接関わらなかった共産党県議会議員が、間違った見解を掲載したビラを配布することがあり、その対応をめぐる問題だった。

 間違った見解とは木の皮(バーク)は、ゴミか資源かに関わるもので、県会議員のビラには「ゴミ」と書いてあったのだ。つまり、木の皮を資源と偽ってゴミ処分をしようとしているという主旨で、その相手方にとっては誹謗中傷となりかねないことが書いてあった。
 
 彼らの言葉による説明は、理解できるものではなく、根拠の提示を求めるといくつかの国の文書を示してきた。

 その中で、直接関わりそうな文書は一つだった。その文書は、あるものを資源かゴミか判断する際に、地方自治体は合理的な根拠をもって判断するよう求める助言文書だった。中には判断する際の項目の例示が4つ書いてあったのだが、これを絶対的な基準と読み違えて、バークはゴミと断定したようなのだ。文書をよく読めば、例示は例示に過ぎないことは分かる。実情に応じて、例示に新たに足したり、あるいはひいたりしながら合理的な基準を作りなさいとなっていた。実際問題として国語的理解が不足し、誤った断定をしていたことは明らかだった。

 そのことを指摘した上で、関係者や住民にビラが間違っていたことを明らかにし、謝罪することを求めた。住民運動に直接関わった私としては、当然の求めだと思っているし、間違ったことを伝え関係者に迷惑をかけたのだもの、「ごめんなさい」と伝えるのはあたり前だと思う。

 ところが、一部の常任委員はバークをゴミとする判断は正しいと最後まで固執した。また、ある者は誤りを自覚しながら、その隠蔽を図ろうとした。いや、隠蔽にとどまらず、隠蔽した上で、当時、最悪となっていた私との関係改善を図ることまで検討しようとしていた。

 普通であれば、「間違っていました。ごめんなさい。これまでの対応を誤りますので、今後ともいっしょに活動してください」と謝罪するのではないだろうか。間違っていたけれど、それは隠して、仲良くすることだけ求めましょう。こんな謝罪が通じるはずはない。ある意味、謀略的な手法だ。これを主導しようとしたのが、その後、地区委員長となった者だ。

 この考えや対応の誤りも、中央委員会関係者から指摘されることになり、この者は自己批判的なことを始めるのだが、数度の指摘を受けた後、自分以外の常任委員の対応については反省の姿勢を示していった。しかし、こと自分が関わった部分については、何度かの指摘を受けてなお、まともに反省することがなかった。とるべき責任のカヤの外に自分の身を置きたかったわけだ。

■ウソの放置が許されるのか

 私は、自分の誤りを理解しようともせず、住民についたウソをまともに反省できない人たちと、同じステージで活動することはむりと考え、また、その間の対応があまりに不誠実なことに仲間としての信頼も失ったため、離党することにした。

 おそらくこの人たちの中には、共産党でさえ文言として捨て去った「無謬」(理論や判断にまちがいがないこと)という言葉にとらわれているのだろう。でなければ、大人として必要な責任を自覚するということができない人だったのだろう。そう思わざるをえない

 その後、地区委員長となった者が、様々な場面で、自分にとって不都合なことには、小ウソをつくくせがあることも知った。

 私自身、離党する前のことであるが、彼が党員に対してウソをついたことを聞いていた。

 こういう経過だった。
 この者が、私が関わった住民運動をめぐって彼が謀略的な手法を用いようとした事を知り、その人間性に疑問をもった。そこで、この者とは、口頭でまともに対話することはできないと考え、今後の対話は文書で行うと伝えていた。文書はメールでも、ペーパーでも構わない。とにかく、何を言っているかを冷静に受け止め、明確に判断できる対話をしたいと考えたわけだ。

 ところが、この者から私との対話のための文書が来ることは一切なかった。「対話の基本は口頭」という勝手なルールを自分で決め、こちらが求める対話は拒否されていたのだ。文章を通して自分の本質と、自分のあらが見え、その証拠が残るのを嫌ったとしか思えない。

 ところが、この者は「どうして伊藤さんと話をしないの」と問いかけた党員に、こう話していた。
 「対話をしようとしているのですが、応じてくれないんですよ」

 白を黒というのはこういうことだろう。こういうふうに、自分にとって不都合なことではウソをばらまくのだ。これに腹をたてない人がいるとしたら、仏様のように悟った人だと思う。尊敬に値する。

 私と共産党地区機関の関係はこれらの問題を通して最悪な状態に陥った。信頼を一片も見いだせないのだから、もはや修復不能という感じだ。しかし、その中でも他の市議はこの関係を是正しようと努力をした。しかし、その努力も結果的に袖にされた。

■2人しぼったは創作

 これらが、共産党公認の現職市議会議員を立候補しない判断に追い込んだ背景にあるのだ。

 共産党として、一人も候補者を出せないかもしれない事態になっても、新たな候補者を用意できない。私は、立候補することにしていたが、離党しており、党外の人間だ。追い込まれた地区幹部は、タスキの問題を引き起こした当時の地区委員長と前回の市議選で引退した元議員を擁立するしかなかった。これが実体だ。

 この経過に、Misao氏がいう4人を1人に絞ったという事実は全くない。ほぼ創作だ。昨年の市議選でのトップ当選を含め2人の得票合計、また、前年の県議会議員選挙の結果から十分予測できる選挙結果からすれば、共産党は4人立てれば良かったのだ。現実に、できなかった結果がトップ当選であり、なにも驚くに値しない。共産党はだいたい1万票の基礎票があると考えていいのだから。

 2人しか擁立できなかった原因を作ったのは、現在の地区委員長をはじめ、常任委員会のメンバーであった、現在の共産党市議団の2人の市議、そしていわき市選出の現職共産党県議たちだった。そのことを共産党としてどう考えるのだろうか。

■影響を削ぐ。高評価にびっくり

 こうした事情だから、ツイートの後段にある「元共産党市議の影響力を削ぐための方策」などということはあろうはずがない。

 ここでいう元共産党市議は私のことであることは間違いない。その私の「影響力をそぐ」が、どこに対する影響力かは、このツイートからは判別しがたい。市議会に対して影響力を持っていたと考えていたとすれば、「お褒めにあずかりありがとうございます。身に余る過大な評価に身が引き締まる思いです」とお礼をしたくなる。しかし、共産党に対する影響力という意味ならば、私が離党した段階で排除されている。共産党に限らず、部外者ってそういうことでしょう。

 若い頃、共産党員として活動する身近な人たちの姿勢にシンパシーを感じて入党した私としては、共産党の幹部のこの姿を見てがっかりの思いを強くした。一般の党員は、社会的に共産党に対する偏見が存在したもとでも、節を曲げることなく、組織を支えながらがんばってきた人々なのだけれど・・。この幹部達ときたら・・。

 ある時、ある共産党県幹部に、「思想は同じでも、信条は違うようだ」と話したことがあった。その時には、これほど信条が違うとは思わなかったのだが。

 それにしても、私はMisao氏のことは基本的に知らない。Misao氏が私のような市議会議員を知っており、そして、市議会での活動まで一定知っていたのはなぜなのだろう。しかも、その情報は、どこかある種のフィルター越しに、ゆがんで伝わったような感じはするのだが。

■私が会派牛耳った?

 Misao氏の2つ目のテキトーでデマなところは、「会派を牛耳りながらトリチウム汚染水問題でミスリードをした、元共産党市議の影響力を削ぐための方策だったであろうが、効果ありすぎたのか、当該者は落選。共産党の底力を見た思い」という部分。

 「会派を牛耳る」なんていったら、他の会派議員に叱責されそうだ。たしかに会派の代表として、メンバーと自分の意見を持ちながら議論し、その結論をもって様々な対応をしてきた。たしかに、市議会の各種会議で問題が提起され、その場で態度表明せざるをえない場合もあったが、その際も、事後報告し了解をとりながらすすめてきたと思っている。牛耳るとはまったく違う。

 「牛耳る」の意味をひもとけば、「団体や組織を支配し、思いのままに動かす」とある。私が思いのままに他の会派メンバーを動かしていたなどというMisao氏は、いったい何を根拠にいっているのだろう。私の仲間だった会派メンバーが聞いたら、基本、怒るのじゃないだろうか。

■ミスリードとは何をさす

 また、続いて「トリチウム汚染水問題でミスリードをした」という。ミスリードしたとは、どういうことだろう。Misao氏の思い描く主張と異なるので、それがミスリードだというのだろうか。それとも、共産党として何らかの方針を持っていて、それと違った方向の行動をとったのでミスリードだったというのだろうか。

 そもそも、「汚染水問題」とはなんだろう。保管タンク内に貯留される放射性核種を十分に取りきらない事故由来の水であったり、現在も東電福島第一原発構内で発生する放射生核種が高濃度に含まれる水の問題をいうのだろう。この汚染された水を海洋をはじめとした環境に。直接放出するというのであれば、それは重大な問題があると思う。

 しかし、いま問題になっているのは、現在貯留され、あるいはこれから発生していく事故にともなう汚染水から、一定の基準値内まで放射性核種を取り除き、それをさらに水で希釈した水、すなわち一定の処理をした後の水の環境放出だ。政府は、こうして処理した水を海洋に放出する方針を示しているわけだ。

 これに反対する論調には、「絶対反対」の立場から陸上にタンクを増設し保管することや、あるいは、水を固め固形物にして保管せよという主張もある。そのために必要な用地はどう確保するのだろう。今のところ、納得できる回答を見たことはない。

■汚染水との共存を住民に押し付けかねない

 それこそ、反対する論調がいうところの「汚染水」を貯めるタンクであり、「汚染水」を固めた固化物である。狭い国土の日本では、周辺に住む人に放射性核種の汚染物と隣り合わせで生活することを押しつけることになりかねない。それで良いのかと考えてしまう。

 仮に、事故を起こした第一原発構内や周辺をその用地と考えるならば、そもそも、その周辺地域に帰還をして居住させるという政策は妥当といえるのだろうか。東電等は、構内の敷地は、今後、原発の解体を進めるにあたり必要な用地となるためタンク等に利用できないという。それはそれで説得力がある。すると、原発の周辺に保管用地を確保することになるのではないか。

 そう考えるならば、帰還事業そのものに反対しなければ、つじつまがあわないように思う。しかし、私の不勉強かもしれないが、帰還事業に反対するといった声を聞いた覚えがない。

 国際的な知見も踏まえ安心できるとされる基準値以下に引き下げた処理水でさえ、危険だというなら話は別だ。

■稼働原発からは規制内の放射性核種放出

 ただ、私は、原発事故からどの位過ぎていたのか、何かの報道の記事で、文末の2行程度に、事故前から規制値内で放射性核種が放出されていたという趣旨の文章を読んだ時の鮮明な思いを忘れることができない。

 その記事を読んで、事故前、構内で働く原発労働者が、排気筒からは放射性物質が検出されているなどといっていたことが頭に浮かんだ。また、原発の港付近で釣れる魚はでかい、と釣り好きの人たちがよく話していたのを聞いたことが頭に浮かんだ。排出される温排水の影響らしいのだが、温かい水ばかりではなく、一定の規制値内でトリチウムを含む放射性核種も放出されていた。でかい魚は、そこで育ったもので、その環境下にあった海産物を日頃から食べていたわけだ。

 この事が頭にあって、現職市議だった時の特別委員会に、資源エネルギー庁と東電が出席した際、トリチウムの放出について聞いてみた。そう、地下水バイパスのくみ上げ水を海洋放出するかどうかが議論されていた頃だ。東電職員は、事故前の第一原発の排水の基準値は大気排出と海洋排出をあわせて年間の上限が22兆ベクレルで、現実には4兆ベクレル排出されていたと答えた。

 40年間ずっと同じ値ではなかったにしろ、このレベルで放射性核種が放出された海域で獲れた魚や海産物を食べ、一定の距離はあるが、原発に続く海岸線で海水浴をしてきたわけだ。常磐物の海産物は、東京の築地にも並んでいただろう。いわきの海水浴場は、関東からの海水浴客も含めにぎわってきた。そのことで、何らかの健康障害が発生したという話は、ついぞ聞いたことがない。

 この経過を踏まえれば、たまり続ける放射性核種を含む処理水への対応は、環境放出の有無ではなくて、放出量・程度という視点から考えるべきだろうと考えた。この視点から、対応の一つには、海洋を含む環境放出も含むと考えている。

■放出の前提は風評がおきない国民的合

 しかし、そこには問題がある。
 かつて、そう地下水バイパスのくみ上げ水放出の際もそうだった。くみ上げ水のトリチウム量は1リットルあたり1,500ベクレル以下まで薄めて流す考えが示されていた。そのレベルでも、同意を求められていた漁民への批判的言動や産物に対する風評被害が発生していた。WHOが飲料水水質ガイドラインに定めるトリチウムの規制値は1リットルあたり10,000ベクレルだ。国の、環境中に放出する際の規制値は1リットル当たり60,000ベクレル以下となっている。飲料水の規制値の6分の1、環境放出基準の40分の1まで薄めて放出するという状況でも、風評被害が発生したのだ。

 こうした問題が発生することがないよう、事故をおこした国や東京電力が責任をもって対応することが求められていると考えた。そこで、先の市議会特別委員会では、国や東電が原発稼働時当初からの核種の放出などの事実経過も含め、くみ上げ水の安全性を国民に広く説明することを求めた。国民的規模で原発事故に関する知識を共有し、冷静に対応できる環境を作ることが必要だと考えたからだ。

 しかし、こうした問題に国としてはまともに取り組むことがなかった。していたのは被災地である福島県民への啓発が中心で、結果的には、福島県民が原発事故の処理と共生できる意識づくりにだけ取り組んできたことになる。

 こうした事態は是正されなければならないだろう。
 たまり続ける原発構内の処理水に対応するため、国が設置していた小委員会は、処理水の海洋放出を現実的とする報告書をまとめた。市議会がこれに対する何らかの意見書を提出することが検討された。最終的には、市民の求めに応じて議会に提出する請願案に意見・アドバイスを伝え、その結果全会一致で採択された請願をベースに、市議会の意見書が作成された意見書が志帥会から提出され、これも全会一致で採択することができた。

 その経過は、
「6月定例会請願・意見書の顛末を議員だよりに」(2020年6月30日本ブログ)
に詳細しているのでご参照いただきたいが、
請願と意見書は、ともに、関係者の丁寧な意見聴取と国が国民に対する説明責任を果たし理解と合意を広めるとともに、それまでの間は陸上保管を継続するよう求める内容としてまとめることができた。

 採択された請願、意見書は以下、参照を。
いわき市議会HPの採択された請願=「多核種除去設備等処理水」の処分決定に関する請願書
いわき市議会会議録検察令和2年6月定例会資料=多核種除去設備等処理水の処分決定に関する意見書

■市議会の役割


 こうした経過を考えれば、様々な考えがある議会の中で、市議会として当面は放出させないという意思を表明できたことは、最良の結果だと思っている。主張をぶつけ合うだけで、結果的に何も採択することができなければ、議会を通じて市民の声をどこにも届けることができないのだから。

 また、請願と意見書を採択したこの時の議会の動きは、それぞれの議員の意見表明の場にとどまらず、市民と議会各派の対話を通じて一つの成果物を生み出したという点で、これまでと質的に違う、いわき市議会のあり方を示すことができたものだと思っている。

 これらの経過を踏まえて考えても、Misao氏のいう「会派を牛耳る」は全く筋違いだと考える。また、Misao氏は「トリチウム汚染水問題で(会派を)ミスリード」したといっているが、これはどういうことなのだろう。共産党は「反対」するのが当たり前と思っているのだろうか。

■事故後の実情に対応した結果

 私が所属していた会派は、共産党市議団の時代から共産党・市民共同の時代まで、基本的に反対すれば良いという姿勢はとって来なかった。原発事故以降で考えても、例えば、いわき市が清掃センターで放射性核種で汚染された災害ガレキを焼却処分する考えを示した際も、基本的にこれに同意する姿勢でのぞんだ。

 また、鮫川村青生野地区で環境省が計画した、農業系廃棄物の焼却施設の設置に関して市議会に2件の決議案が提出された際にも、放射性廃棄物に対応する際の会派の基本的な考え方を表明しながら、両者に賛成するという姿勢をとった。

 2件の決議案は、
1つが、近隣自治体住民への情報開示と説明、及び安全の確保と合意形成を図り並びに建設工事の停止を求める内容で、
もう1つが周辺住民はもとより本市と本市市民への情報公開と十分な説明並びに住民生活の安全・安心を保障するためのあらゆる対策の構築を求める内容となっていた。
明文上の違いは「建設工事の停止」を記載したかどうかだった。

 これに対しては、2つの決議とも賛成という姿勢で臨んだ。
 後者は、強いて言えば「建設工事の停止」の明示を避けた表現で起案されているが、「あらゆる対策の構築」の内容が多義に渡るので、建設工事の停止という対応を詰め込むことも可能で、この表現でも反対する理由は見いだすことが難しい決議だったことが一つ。

 より大きい理由は、原発事故からの復興下、市域における市民生活の継続等の観点から、こうした事業が必要と考えていたことがあった。

 いわき市で考えても、放射性核種の汚染を理由に停止できない事業があった。前述の災害ガレキの焼却処分もその一つだ。実施に異論を唱えなかったのは、実施までに必要な措置をとり、住民に不安を与えないよう、丁寧な説明をして合意を得る取り組みをすすめたということがあった。住民に了解を得ながらテスト燃焼と排煙等の検査を行い、放射性物質の環境放出がないことをデータで確認し、住民に説明するなど、安全確保と住民の安心確保の方策をとって進めていた。そこには、住民が同意しない北部清掃センターでの未実施も含まれる。あくまでも住民の理解と同意を前提に、丁寧に進めていたのだ。

 もともと、各家庭から排出される一般ゴミにも放射性核種が含まれていた。それは、焼却灰に比較的高い線量が確認されていたことで証明できる。問題は、排煙といっしょに放射性核種が再拡散するかどうかにあったのだが、データでは、再拡散がないことを確認されたのだ。

 もし、その確認を知りながら、災害ガレキの焼却をやめることを求めたなら、市民生活はどうなるだろう。同じ理由で、一般ごみの焼却も制限せざるえなくなる。ちまたにごみがあふれ、生活の復興もままなくなるであろう。

 同様、水道水の供給の問題もあった。現実に放射性物質にさらされた川の水が原水だったとしても、浄水後の水道巣に汚染が確認されなければ問題がないと考えなければ、市民に生活用水さえ提供できなくなる。市民生活の復興どころではなくなるのだ。

 鮫川村の焼却事業についても、同じ物差しで考えなければならないのは当然と考えた。

 結果的には、建設工事の停止を含まない決議が賛成多数で可決されたが、この時の基本姿勢が、その後の原発事故に関する会派の基本的な姿勢となった。ちなみにこの時の討論は私が起案したが、討論に立ったのは、昨年の市議選で再立候補して当選した高橋市議だった。

 討論はこちら⇒環境省が計画する指定廃棄物含む焼却実験は合意にもとに(2012年12月1付ブログ)

 この問題が報道等された時も、平や小名浜に居住する市民から不安の声が寄せられることがあった。その際に、現場に最も近いいわき市は田人地区で、ほとんどの市域は排ガスが大気中に拡散されて影響はないだろうこと、また、焼却施設が災害ガレキを焼却処分している南部清掃センターとほぼ同様の仕様で運用をきちんとさせれば問題がないだろうと答えたことを思い出す。

 ここで到達したのは、事実としての放射性核種の拡散と汚染と、それが現実に人体に影響を与えかねない状況があるかどうかは、切り離して冷静に考えることが必要ということだった。

■原発反対と原発事故対応は違う

 これらの対応は、原発に反対し、運転の停止と廃止を求めることとは一線を画す問題だ。原発事故下での、市民生活という当面の現実に対応する問題なのだ。

 この延長線上に、第一原発の処理水に対する考えがるわけだが、これらの経過をもって「トリチウム汚染水問題でミスリード」したとはどういうことなのだろう。「反対」だけしていれば良いということなのだろうか。しかし、それはMisao氏が好む考えと違うということを示すにすぎないと思う。

 私は、共産党全体がこの間の原発事故対応をどう考えてきたかは、実はよく分からない。赤旗を見れば、福島は危険な地域だとあおるような報道や記事も見受けられたし、一方、冷静に事態を見つめるような報道も、また、示唆を与えてくれるような解説もあったりした。

 しかし、組織から、現場での対応に直接役立つ援助やアドバイスはほぼなかった。自身が、汚染の状況を把握し、必要な対応を自分で判断し構築していくことが必要だった。県内の地方議員にも同様の悩みがあったようで、鮫川村の農業系廃棄物の焼却処理場の対応に関するブログを読んだ方から、考え方が参考になった旨の声をかけられたことを思い出す。

■当時の対応は党規約に合致

 それらの対応は、共産党の考え方に反したのだろうか。そうは思わない。
 共産党の規約には、次のような条項がある。

 第十七条 全党の行動の統一をはかるために、国際的・全国的な性質の問題については、個々の党組織と党員は、党の全国方針に反する意見を、勝手に発表することをしない。
 地方的な性質の問題については、その地方の実情に応じて、都道府県機関と地区機関で自治的に処理する。


 また

第三十六条 地区党会議からつぎの地区党会議までの指導機関は地区委員会である。地区委員会は、地区党会議決定の実行に責任をおい、主としてつぎのことをおこなう。
 ~中略~
 (三) 地区的な問題は、その地区の実情に応じて、自主的に処理する。


 核に関する共産党の政策は、核兵器をはじめとした軍事利用に反対し、民生利用では、医療をはじめとした利用や研究の必要性からだったと思うが全面的に反対ではなく、原子力発電に関しては現在の技術で展開される原発の商業利用に反対する立場だったと解している。使用後は丸ごと海溝に投棄されることを前提にした原子力潜水艦の原子炉を陸にあげ、高出力化したものが原発で、技術的に不安定なものだと聞いていたことを思い出す。

 以前、社民党議員に、「共産党は原発に反対ではないんだべ」と聞かれたことがあったが、こうした立場が誤解されて伝わったものと考えた。もしかしたら、最初の頃は社民党議員が言っていたようなニュアンスの立場をとっていたのかもしれないが、そこは不勉強でよく分かっていない。

 原発事故以降は、特に原発反対のみが突出しているように思うが、私が知っている共産党のこうした基本的な立場が変更されているのかどうかはよく知らない。

 しかし、規約に見るように、原発事故による放射性核種による汚染と、それへの対応では全国的な方針もなく、従って具体的な指導もないもとでは、「地区の実情に応じて、自主的に処理する」という考え方によって、対応していくことは当然のことだと思うし、そのような対応をするしかなかった。

 あの当時、地区の党機関からもまともな政策的援助もなかったことを思うと、市民に選出された市議会議員として、独自に考え、独自に対応することもまた当然果たすべき役割だったと考えている。

 規約でいえば第36条の精神を、しっかりと議員活動で貫いていたといえると思う。そして、ツイートでいう処理水への対応は、その政策的展開の帰結でもあった。仮に、それをミスリードというなら、そのような市議団の活動を、議員だよりや市議会だよりなどの報道を通じて知っていたはずの党機関が是正を求めるなどの指導を怠っていたという証にすぎない。

 少なくとも原発事故後の市議団の政策的な活動は、党機関は是認していた。もっとも、いわき市というか、衆院福島5区に対応する党機関は、地方政治にほとんど関心示さない機関だったので、その真意はよく分からないのだが。

■部外者(?)の「ミスリード」のコメントはなぜ

 「ミスリード」というなら、Misao氏の理想とする原発問題への対応と、私たちの会派が共産党市議団の時代も含め原発事故とその対応を経験しながら到達した政策に違いがあったにすぎないと思う。それにしても、たぶん部外者であるMisao氏に「ミスリード」などといわれる筋合いはまったくないと思うのだが。

 しかし、それにしても、このツイートのもとになった情報はどこからえたのだろうか。あまりにも恣意的なストーリー展開にめまいがするようだ。ほぼ見ず知らずの人に、SNS等でこのようなデマを拡散されるとは思いもしなかった。

 同氏についてネット検索をすると、首都圏反原発連合の結成を呼びかけたとある。しんぶん赤旗で見たことがある名称だ。同じレベルの場所でMisao氏の名前も見かけたことがある。

 そのような立派な方であるのだから、せめて、事実関係をきちんと調べてからSNS等に掲載したら良いのではないだろうか。どこで得た情報か知らないが、私の落選以外、あまりにも事実からかけ離れた憶測でSNSを発信するならば、本人だけでなく、その関係する団体まで信頼性に疑問符をつけられてしまうのではないか。

 老婆心ながら・・。


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