▲空に落書きしたみたいな飛行機雲は楽しい。撮るチャンスを前々からねらっていたが、カメラを準備する間にすぐに消えてしまう。
年賀状と巳年と蛇嫌い
年賀状が発売になり、町中にクリスマスソングが鳴り出すと、今年こそ年賀状を早めに書かなくてはと毎年のように思ってしまいます。年賀状をプリントする印刷機のテレビコマーシャルにせかされながら、年賀状の受付が開始されたニュースを見てあせりつつ、それでも結局、元日配達分の締め切りのギリギリの投函となってしまう毎年。郵便屋さん、スマン、スマン。
十二支の中でも、私として最もてこずるのが来年の干支、巳年だ。紐みたいな単純な形状で面白みが無く、ごまかしが効かない。で、現在もあーだこーだと困っているのである。
もう一つ、巳年と言うと男女二人の友人を思い出してしまう。
巳年生まれでもない。蛇のコレクターでもない。その二人は、いずれも大の蛇嫌いなのだ。
私自身は、もちろん蛇大好きという人ではないが、苦手という訳でもない。数年前に沖縄旅行をした時は、訪れたハブセンターで自らすすんで見学者を代表してハブを触らせてもらったことさえある。散歩をしていて、突然草むらから蛇が飛び出してきても、普通に「やあ、へびさん、こんにちは」と挨拶をしてしまいそうな位で、蛇を見てニッコリするような親密感までは無いが、恐怖感は皆無である。
ところが蛇が嫌いの人は、形状が類似しているウナギや穴子やミミズまでも嫌うし、長い紐上の物体に敏感に反応してしまう。親類筋のトカゲなど、は虫類のすべてが苦手だという人も多いし、襲われるはずも無い蛇革の製品も、プリントの蛇柄さえも嫌う方もいるようだ。
その点は、蛇嫌いではない私にも理解出来る。
蛇を私が苦手としているカニに置き換えたら、私も同じ様なものだ。しかし私はカニの親戚筋のエビはまるで怖くはないし、カニの一部、タラバガニや松葉カニなどに対しては、怖さより食欲が勝ってしまう。
二人の蛇嫌いの知人の女性の方とは、映画インディー・ジョーンズのシリーズの何作目かを映画館に一緒に見に行ったことがある。ご存知のように、あのシリーズには必ずといっていい程、サソリや蛇やムカデやゲジゲジのニョロニョロゴソゴソと這いずり回る中に主人公役のハリソン・フォードが手や足を突っ込む場面があり、その女性には大変気の毒なことをした。
蛇嫌いの知人の男性の方は、友人であり、私の子ども達が小さい頃は、家族と言っていい位、週末はほとんど一緒に過ごしていたKちゃんだ。
熊本県の南阿蘇村に建てた私の山小屋には、蒔きストーブがあり、10月の体育の日くらいから5月の連休くらいまでは、蒔きストーブが活躍する。
子どもが小さい頃は、土曜日の午後から山小屋に行き、薪をがんがん炊いて部屋を暖め、日曜日に帰るまで、外は寒くても、家の中はTシャツ一枚で過ごせる程暖かだった。暖房という機能だけでなく、薪を焚く経過や、薪が燃える炎は、見ていて飽きない心休まる情景だ。
薪は、薪屋さんに頼むのではなく、毎日のことではないので、使用量もしれており、知り合いの工務店に廃材をわけてもらったり、南阿蘇村で知り合った人に、伐採したドングリの木等をもらいにいったりして調達した。
もらってきた木は、そのままではストーブに入り切れないので、チェーンソーで切る作業がある。
ある日、蛇嫌いのKちゃんが、私から頼まれてチェンソーで、その薪作りの作業をしていたとき、
「わーあーっ」というKちゃんの絶叫が聞こえた。
近くで畑仕事をしていた私は、何事が起きたかと持っていた鍬をほおり投げ、Kちゃんのもとに駆けつけた。
Kちゃんはすでに放心状態で、ある地点を指差していた。
「だ、だ、大蛇が、と、と、とぐろを巻いている」
震えながらも、涙目で私に教えてくれた。
アオダイショウでもいたのかな、と私は思った。
そう言えば以前、子ウサギを頭から飲み込む途中のアオダイショウをこの付近で見たことがある。怖くはないが、毒蛇ならばいけないので、Kちゃんが指差した木材をそっとのかすと、いました、いました。
全長50センチほどの小さな蛇が、それでも確かにとぐろを巻き、鎌首をもたげておりました。
(2012.11.27)
年賀状と巳年と蛇嫌い
年賀状が発売になり、町中にクリスマスソングが鳴り出すと、今年こそ年賀状を早めに書かなくてはと毎年のように思ってしまいます。年賀状をプリントする印刷機のテレビコマーシャルにせかされながら、年賀状の受付が開始されたニュースを見てあせりつつ、それでも結局、元日配達分の締め切りのギリギリの投函となってしまう毎年。郵便屋さん、スマン、スマン。
十二支の中でも、私として最もてこずるのが来年の干支、巳年だ。紐みたいな単純な形状で面白みが無く、ごまかしが効かない。で、現在もあーだこーだと困っているのである。
もう一つ、巳年と言うと男女二人の友人を思い出してしまう。
巳年生まれでもない。蛇のコレクターでもない。その二人は、いずれも大の蛇嫌いなのだ。
私自身は、もちろん蛇大好きという人ではないが、苦手という訳でもない。数年前に沖縄旅行をした時は、訪れたハブセンターで自らすすんで見学者を代表してハブを触らせてもらったことさえある。散歩をしていて、突然草むらから蛇が飛び出してきても、普通に「やあ、へびさん、こんにちは」と挨拶をしてしまいそうな位で、蛇を見てニッコリするような親密感までは無いが、恐怖感は皆無である。
ところが蛇が嫌いの人は、形状が類似しているウナギや穴子やミミズまでも嫌うし、長い紐上の物体に敏感に反応してしまう。親類筋のトカゲなど、は虫類のすべてが苦手だという人も多いし、襲われるはずも無い蛇革の製品も、プリントの蛇柄さえも嫌う方もいるようだ。
その点は、蛇嫌いではない私にも理解出来る。
蛇を私が苦手としているカニに置き換えたら、私も同じ様なものだ。しかし私はカニの親戚筋のエビはまるで怖くはないし、カニの一部、タラバガニや松葉カニなどに対しては、怖さより食欲が勝ってしまう。
二人の蛇嫌いの知人の女性の方とは、映画インディー・ジョーンズのシリーズの何作目かを映画館に一緒に見に行ったことがある。ご存知のように、あのシリーズには必ずといっていい程、サソリや蛇やムカデやゲジゲジのニョロニョロゴソゴソと這いずり回る中に主人公役のハリソン・フォードが手や足を突っ込む場面があり、その女性には大変気の毒なことをした。
蛇嫌いの知人の男性の方は、友人であり、私の子ども達が小さい頃は、家族と言っていい位、週末はほとんど一緒に過ごしていたKちゃんだ。
熊本県の南阿蘇村に建てた私の山小屋には、蒔きストーブがあり、10月の体育の日くらいから5月の連休くらいまでは、蒔きストーブが活躍する。
子どもが小さい頃は、土曜日の午後から山小屋に行き、薪をがんがん炊いて部屋を暖め、日曜日に帰るまで、外は寒くても、家の中はTシャツ一枚で過ごせる程暖かだった。暖房という機能だけでなく、薪を焚く経過や、薪が燃える炎は、見ていて飽きない心休まる情景だ。
薪は、薪屋さんに頼むのではなく、毎日のことではないので、使用量もしれており、知り合いの工務店に廃材をわけてもらったり、南阿蘇村で知り合った人に、伐採したドングリの木等をもらいにいったりして調達した。
もらってきた木は、そのままではストーブに入り切れないので、チェーンソーで切る作業がある。
ある日、蛇嫌いのKちゃんが、私から頼まれてチェンソーで、その薪作りの作業をしていたとき、
「わーあーっ」というKちゃんの絶叫が聞こえた。
近くで畑仕事をしていた私は、何事が起きたかと持っていた鍬をほおり投げ、Kちゃんのもとに駆けつけた。
Kちゃんはすでに放心状態で、ある地点を指差していた。
「だ、だ、大蛇が、と、と、とぐろを巻いている」
震えながらも、涙目で私に教えてくれた。
アオダイショウでもいたのかな、と私は思った。
そう言えば以前、子ウサギを頭から飲み込む途中のアオダイショウをこの付近で見たことがある。怖くはないが、毒蛇ならばいけないので、Kちゃんが指差した木材をそっとのかすと、いました、いました。
全長50センチほどの小さな蛇が、それでも確かにとぐろを巻き、鎌首をもたげておりました。
(2012.11.27)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます