<縄文と古代文明を探求しようより>
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お客さんとの電話対応等で、本来ならクレームにならないやりとりなのに、なぜかクレームになる。本人は、いたって普通に対応しているつもりなのに、(相手に不快な感じを与え)人間関係がギクシャクしていくetcという人、周りにいませんか?こういった場合、大抵は「あの言い方がまずかった」etcの総括がされますが、それは違うんです。「言い方」の問題ではなく、その人の「心のあり様」が問題なんです。
共認動物である人類は、言葉になってない(言葉として発せられていない)想いを感じとっています。(実はこれで感じる部分が大半を占めていて、言葉って補助でしかないかも。)だから、「あ~この人嫌だな。この対応面倒くさいなあ。」って相手を否定視してたら、全てそれが伝わっていきます。(言葉(上辺)で、いくらキレイごとを並べていても(><))
だから、根本からこの問題を解決していくには、心あり様を、「否定」から「肯定」に転換してくしかありません。人類には、46億年の進化で塗り重ねてきた潜在思念(or内部意識)があります。そこには、「全ての存在にたいする肯定感」、「感謝の心」が備わっています。
それらを蓋している観念を取っ払って、どれだけ潜在思念(or内部意識)を生起させることができるのか?これが、解決への根本の道のりです。
都市化や欧米化、個人主義の導入によって日本人古来の心の在り様である「全ての存在にたいする肯定感」「感謝の心」はかなり目減りしてはいますが、ルース、ジャーマン氏のレポートにあるよう、いやいや、まだまだ残っています。
るいネットのこの記事でも示唆しているよう、「否定」から「肯定」に、「権利」から「同化」に、「個人」から「仲間」へ、戻っていく事が日本人にとって必要な事でもあり、これからの自然な方向性なのだと思います。
謙遜という心を持つ日本人はそれらを決して世界にアピールはしませんが、私達自身がこういった日本人の中で生きている事を誇りにもってよい事だと思います。
<転載終わり>
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デパートに贈答用の菓子折りを買いに行くと、とても丁寧に対応してくれる店がほとんどです。でもどんなに丁寧な言葉遣いをしていても、まったく通じない人が結構多いと思います。言葉は丁寧なのですが、その言葉に「心」が付いていっていないように感じるため、却って空疎な感じを受けてしまいます。心が通じないということになります。本人は毎日同じことの繰り返しのため、当たり前になっています。ある意味それも仕方無いとは思いますが。
9割くらいの店の人が言葉だけ丁寧で、心が伴っていないのですが、中には本当に心が籠もっている一流の人がいます。私も自然とそういう店で買っています。人間は言葉よりも雰囲気を感じ取っているので、この記事にもあるように肯定的な雰囲気のある人に好感を持つのだと思います。「面倒くさいなぁ」 「やだなぁ」と思うことは誰でもありますが、その想いは相手に伝わるということですね。100%はムリとしても、なるべく相手に嫌な感じを与えないようにしたいものです。