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日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

「命の教育」の十年は何だった?高1殺害で波紋

2014-07-30 04:34:14 | 日月神示の実践

<読売新聞より>

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「命の教育」の十年は何だった?高1殺害で波紋

読売新聞 7月29日(火)20時25分配信

 この10年間の取り組みの意味は何だったのか――。

 高校1年の同級生を殺害したとして、長崎県佐世保市の少女(16)が逮捕された事件は、2004年に同市で起きた小6女児殺害事件を機に、命の教育を実践したり見守り活動を行ったりしてきた人たちにも、重い課題を突きつけた。「自分たちの取り組みは正しかったのか」と悩みながら、子供たちの命を守るための方法を模索している。

 04年に事件が起きた大久保小で、子供たちの見守り活動を続けている民生委員、一山信幸さん(74)は今回の事件に「まさかと思った。市を挙げて子供たちに命の大切さを伝えてきて、少しは心に響いていると思っていたが……」と話す。そして「逮捕された少女が住む地域の住民も、同じような悩みを抱いたのではないか」とため息をついた。

 04年の事件を機に、同小の校区では、一山さんら住民が毎朝通学路に立ち、登校してくる児童に「おはよう」と声をかけ続けている。だが今回の事件で「自分たちがやってきたことは十分だったのか」と、自問自答を強いられている。

 それでも、「ただ落ち込んでいるだけでは何も進まない。もう一度、子供たちをどう支えていけばいいか、地域住民で話し合わなければ」と、自らに言い聞かせるように語った。

 04年の事件後、校長として4年間、大久保小で勤務した三島智彰さん(60)は、今回の事件に「非常に悔しい」と唇をかんだ。

 同小赴任後、命の大切さを訴え、児童らが孤立しないよう、家族や学校、地域住民との連携を重視した取り組みに奔走した。来月22、23日にはPTAの大会で、事件後の学校の取り組みについて紹介する予定だった。

 「今回の事件は真摯(しんし)に受け止めなければならず、大会でも触れざるを得ない」と表情を曇らせたが、「地域ぐるみで子供の居場所をつくるという狙いは間違いだったとは思わない」。

 逮捕された少女が一人暮らしだったことにも触れ、「大人が居場所を作ってやれなかったのかもしれない。学校だけでなく、家庭、地域との連携を進めていくことが不可欠だと改めて思う」と話した。

 不登校やひきこもりの児童や生徒の支援をしている佐世保市のNPO法人「フリースペースふきのとう」では、子供や保護者を対象に勉強会を続けてきた。山北真由美理事長(70)は「市教委なども様々な対応を続けてきたが、結果的に、どこかに問題があったということになる」と指摘。

 「今回のような事件は、いくつもの要因が重なって起きる。どこかで防ぐ道はあったはず。専門家などから広く意見を取り入れて背景を検証しないといけない」と訴えた。

<転載終わり>

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 佐世保では衝撃的な事件が起こりましたが、2004年にも小学6年生の女児童が同級生を殺害するという事件が起きています。

Wikiによると、以下のような事件になります。

佐世保小6女児同級生殺害事件(させぼしょうろくじょじどうきゅうせいさつがいじけん)は、2004年6月1日午後、長崎県佐世保市の市立小学校で、6年生の女子児童が同級生の女児にカッターナイフで切り付けられ、死亡した事件である。小学生の女子児童による殺人事件でかつ学校が舞台であり、世間に大きな衝撃と波紋を広げた。

被害者の死因は、首をカッターナイフで切られたことによる多量出血だった。文部科学省ではこの事件を長崎県佐世保市女子児童殺害事件として、これについての談話を発表している。

 

 この小6事件が起きたため、佐世保市の教育現場では命の大切さを10年に亘り伝えてきたそうです。そのような努力のかいもなく、同じような事件が起こってしまい、10年間の命の教育は何だったのかと落胆しているとのことです。 

 佐世保市が行なってきた命の教育の内容については分りませんが、10年間命の教育をしたからといっても、学校の給食で牛を殺した肉や豚や鳥を殺した肉を出しているのですから、そもそも命の教育自体が矛盾しているわけです。動物を殺した肉を給食に出しておいて、命の大切さをいくら教えたとしても、まったく通じないと思います。

 日月神示にあるように、「四つ足を喰ってはならん」ということに尽きると思います。これは佐世保だけの問題ではなく、全世界の問題ですので、全人類が改心しなければならない問題だと思います。

 ただ、99%の人は人間と動物は別だと言うはずです。でもペットはとても可愛がりますね。その時には、ペットと家畜は違うと言うと思います。そもそもあまり考えていないのではないかと思います。なので日月神示のいうことは、考え過ぎだと思うのかも知れません。

 私が肉を食べないというと、何の宗教?と聞かれます。生まれつき肉が嫌いだったので、給食にはとても困りました。厳しい先生で、食べるまで残されていました。それで余計に嫌いになってしまったと思います。更に、よせばいいのに、小学3年の時に、友達と場を見学に行ってしまったので、完全にダメ押ししました。肉を止めたい人は場に見に行くといいです。肉を生産する現場というのがどういう所なのか。牛の生首が転がっていたのには、仰天しました。どれほどの血が流されているか。これ以上は書きませんが。

 スーパーに行けば、殺された動物の死体がきれいにスライスされて、パックに詰められ、整然と並んでいます。ただ、パックに詰まった肉は、誰かが動物を殺して、解体したということです。何の殺戮もなしに、平和的に工場で生産されるわけではありません。

 誰もがこんなことを考えているはずもないことも知っています。この地球というのは殺戮の星です。イスラエルもひどいですが、もひどいと思います。これ以上は止めておきます。

 

 

 

・読売新聞


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