新自由主義を主張してきた中谷巌氏が、その自分の思想を否定し転換したそうです。主義の方向転換自体はよいとしても、あまりに中身が無いと副島隆彦氏は言われてます。
<記事転載>
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副島隆彦です。 一橋大学の経済学の教授で、小泉改革までの20年間ぐらいずっと、日本の改革経済政策 の旗振り人のひとりだった、中谷巌(なかたに”がん”)が、転向して、懺悔(ざんげ)の本を書いた。と、聞いて、私は書店で買って、ぱらぱらと読んだ。2週間ぐらい前だ。『資本主義はなぜ自壊したのか』(集英社インターナショナル刊、2008年112月)。
つまらない本だった。こんな甘いことを書いて、反省の書、自責の念に駆られて、懺悔(ざんげ)の書 というのか、と、私は、改めて、この中谷という学者を軽く見た。 自分が日産自動車の社員だったときに、ハーヴァード大学に留学するチャンスがあって、それで、向こうの大学のカリキュラムに合わせて、しっかり勉強すれば、4年間とかで、きちんと理論経済学の枠組みを習得できる(できた)ということを、得々とずっと書いている。
彼も、このように、アメリカ帝国(属国群)洗脳教育のプログラムの一環で、計画的に育てられた人材だったのだろう。
すでに、15年前に、「中谷巌の経済学の教科書を勉強しても、日本の現実とは合わない。中谷が言うことは、ハズレばかりだ」と、1995年ごろに、1990年日本バブルが崩壊したあとに、中谷は、日本の財界人たちから、捨てられていた。 中谷にしてみれば、アメリカ経済学を一所懸命に、勉強して、それを日本に応用して活用して、日本経済の建て直しに、役立てようとしたのだろう。
そして、1992年からの、”ゴジラ”・ビル・クリントン・チームの日本上陸、と日本の金融叩(たた)きのめし計画が始まった。ロイド・ベンツエンと シュルツの二大キャリア官僚大御所 をさっさと降ろして、ロバート・ルービンと、ラリー・サマーズが出てきた。
そして、それを、2000年からのブッシュ共和党 が引き継いで、さらに露骨に、アメリカ主導の官製不況(上からのクーデター・不況)を、日本に、まるで、焼き鏝(やきごて)を当てるようにして、実行した。「ゼロ金利、財政赤字、円高」の3本セットでの、日本脅し、日本たたきであった。
そして、2007年4、5月ぐらいから、アメリカ自身がついに金融崩壊を開始した。 その前の2000年2月のネット(IT)バブル崩れも激しかったが、それは、2001年「9・11」の捏造の大進軍ラッパで、戦争経済(ウォー・エコニミー)への突入で、一旦は、乗り切った
。
”マエストロ(巨匠)グリーンスパン”と、皆で熱狂してグリーンスパンを褒め称えて、一本20万円(2千ドル)のブルゴーミュ・ワインを開けて、ニューヨークで金融人間たちが、毎日、乱痴気騒ぎをしていた。日本でも、ソロモン・スミスバーニー、モルスタ、リーマン、メリル、ゴールドマン、シティなどに勤める「外資の手先、年収4千万円から2億円」の、馬鹿どもが、30台ぐらいの感じだった、汐留(しおどめ)あたりの高級ホテルで、外資金融ユダヤ人どもの手先となって、日本企業を乗っ取るたびに、大盤振る舞いの大宴会をやっていた。それは、2006年中はやっていた。いや、2008年の夏までは、やっていた。
さすがに、2008年の7月13日の、ポールソン財務長官の、自己暴露、のファニーメイ、フレディマックの合計530兆円の世界中への負債の公表、そして、2ヵ月後の、「9・15のリーマン・ショック」のあとでは、この大騒ぎは消えた。この男どもの周りに群がっていた、「外資大好き女(実態は、売春婦ども)」も消えていなくなった。
私は、彼らの姿を、しっかりと目撃している。 今は、彼らが住む品川や汐富(しおどめ)の2億円のタワーマンションが、大暴落している。外資金融人間どもは、ほとんどが解雇されて、会社の実態は無くなった。上司だった金融ユダヤ人どもは、さっさと辞職してアメリカに消えていなくなった。
日本の年金運用団体や、共済組合の幹部たちの、地獄が今から始まる。運用資産の元本(がんぽん)吹き飛ばしで、自殺する、では済まない。 外資の手先の金融人間どもは、転職もきかず、家の中でぶらぶらしているらしい。
さて、そういう中で、2009年に入った。11月、12月、年末から、この1月は、オバマ当選のお祝いぐらいで、何もなかった。世界中の大金持ち(スーパー・リッチ)たちは皆、バカンスで帰ってくるはずがない。ようやく、今日からのダボス会議(ずっと山の上の、奥の方らしい。ふつうの人間たちは近寄れない)で、スイスに集まってスキーをするのだろう。 自分の会社が破綻したり、投資で大失敗したりした人間たちは、もう消えていない。ナスダックを作った詐欺師のハーバード・マドフが集めていた4兆円はもう一円(1ドル)も返ってこない。
そうやって、2009年の2月を迎える。副島隆彦は、そろそろ次の金融本を書く。
中谷巌は、本気で反省しているのだろう。この本の中で、6箇所ぐらいで、本気で反省していた。あとは、自分だ、若い頃からどんなに経済学を勉強したかと、ブータン国は貧しいが国民は仕合せだ論を、ずっと書いているだけで、読む方は疲れる。 この男には生活の苦労がない。いい人なのだろうが。
中谷が、転向すると、他の、馬鹿の一つ覚えの、日本でしか通用しない×新自由主義(ネオリベ)という愚かなコトバで動いた、小泉・竹中改革で、温度を取った、連中も逃げを打って、静かになって、奥に引っ込んで、出てこなくなるものか。
竹中平蔵 だけが、今も、アメリカの全面後押しで、テレビに出て、田原総一郎のどす黒くなった顔の横に並んで、「日本は改革を進めないから景気回復しないのです」とまだ言っている。テレビ・新聞(すんわち、電通)に 洗脳されている日本馬鹿国民の方も、そろそろうんざりして来ている。
もっともっと、大損して、自分で痛みを感じなければ、今の自分たちの愚かさを自覚するものか。もっともっと多くの金融人間が、崖から落ちればいいのだ。私、副島隆彦は、冷ややかに見つめ続ける。愚か者は、すべて自業自得で滅んでしまえ。
以下の日経BPの記事には、中谷のことを、「変節」と見出しで書いている。変節と言うのは、日本語では、相当にきつい言葉だ。政治転向、思想転向、宗旨変え、変心、改心 などを、英語でも、 recantation リキャンテイション、とか、conversion コンヴァージョン と言う。他にも、10とおりぐらいある。転向して人間的に成長すれば、mature up マチュア・アップ とも言う。
私は、思想転向の研究もやってきた人間だ。本多秋五(ほんだしゅうご)や、中野重治(なかのしげはる、優れた文学者、思想家だった)、吉本隆明(よしもとりゅうめい)たちを、追いかけて、日本左翼(社会主義者、共産主義者)たちの、政治警察による拷問にあう恐怖の中での凶暴な政治弾圧による転向と、敗戦後の日本右翼、民族主義者たちの、ハレンチな転向(世界反共人間への転進)の二通りの転向を、ずっと研究してきた知識人だ。
人間が、時代の変更、流れの変化に合わせて、生き延びようと思えば、転向する。 このことの重さを、私は、ずっつ自分の研究課題として背負ってきた。本当の知識人、思想家というものの持つ重みを、ここに集まる皆さんに身をもって教えたい。 副島隆彦拝
<記事転載>
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副島隆彦です。 一橋大学の経済学の教授で、小泉改革までの20年間ぐらいずっと、日本の改革経済政策 の旗振り人のひとりだった、中谷巌(なかたに”がん”)が、転向して、懺悔(ざんげ)の本を書いた。と、聞いて、私は書店で買って、ぱらぱらと読んだ。2週間ぐらい前だ。『資本主義はなぜ自壊したのか』(集英社インターナショナル刊、2008年112月)。
つまらない本だった。こんな甘いことを書いて、反省の書、自責の念に駆られて、懺悔(ざんげ)の書 というのか、と、私は、改めて、この中谷という学者を軽く見た。 自分が日産自動車の社員だったときに、ハーヴァード大学に留学するチャンスがあって、それで、向こうの大学のカリキュラムに合わせて、しっかり勉強すれば、4年間とかで、きちんと理論経済学の枠組みを習得できる(できた)ということを、得々とずっと書いている。
彼も、このように、アメリカ帝国(属国群)洗脳教育のプログラムの一環で、計画的に育てられた人材だったのだろう。
すでに、15年前に、「中谷巌の経済学の教科書を勉強しても、日本の現実とは合わない。中谷が言うことは、ハズレばかりだ」と、1995年ごろに、1990年日本バブルが崩壊したあとに、中谷は、日本の財界人たちから、捨てられていた。 中谷にしてみれば、アメリカ経済学を一所懸命に、勉強して、それを日本に応用して活用して、日本経済の建て直しに、役立てようとしたのだろう。
そして、1992年からの、”ゴジラ”・ビル・クリントン・チームの日本上陸、と日本の金融叩(たた)きのめし計画が始まった。ロイド・ベンツエンと シュルツの二大キャリア官僚大御所 をさっさと降ろして、ロバート・ルービンと、ラリー・サマーズが出てきた。
そして、それを、2000年からのブッシュ共和党 が引き継いで、さらに露骨に、アメリカ主導の官製不況(上からのクーデター・不況)を、日本に、まるで、焼き鏝(やきごて)を当てるようにして、実行した。「ゼロ金利、財政赤字、円高」の3本セットでの、日本脅し、日本たたきであった。
そして、2007年4、5月ぐらいから、アメリカ自身がついに金融崩壊を開始した。 その前の2000年2月のネット(IT)バブル崩れも激しかったが、それは、2001年「9・11」の捏造の大進軍ラッパで、戦争経済(ウォー・エコニミー)への突入で、一旦は、乗り切った
。
”マエストロ(巨匠)グリーンスパン”と、皆で熱狂してグリーンスパンを褒め称えて、一本20万円(2千ドル)のブルゴーミュ・ワインを開けて、ニューヨークで金融人間たちが、毎日、乱痴気騒ぎをしていた。日本でも、ソロモン・スミスバーニー、モルスタ、リーマン、メリル、ゴールドマン、シティなどに勤める「外資の手先、年収4千万円から2億円」の、馬鹿どもが、30台ぐらいの感じだった、汐留(しおどめ)あたりの高級ホテルで、外資金融ユダヤ人どもの手先となって、日本企業を乗っ取るたびに、大盤振る舞いの大宴会をやっていた。それは、2006年中はやっていた。いや、2008年の夏までは、やっていた。
さすがに、2008年の7月13日の、ポールソン財務長官の、自己暴露、のファニーメイ、フレディマックの合計530兆円の世界中への負債の公表、そして、2ヵ月後の、「9・15のリーマン・ショック」のあとでは、この大騒ぎは消えた。この男どもの周りに群がっていた、「外資大好き女(実態は、売春婦ども)」も消えていなくなった。
私は、彼らの姿を、しっかりと目撃している。 今は、彼らが住む品川や汐富(しおどめ)の2億円のタワーマンションが、大暴落している。外資金融人間どもは、ほとんどが解雇されて、会社の実態は無くなった。上司だった金融ユダヤ人どもは、さっさと辞職してアメリカに消えていなくなった。
日本の年金運用団体や、共済組合の幹部たちの、地獄が今から始まる。運用資産の元本(がんぽん)吹き飛ばしで、自殺する、では済まない。 外資の手先の金融人間どもは、転職もきかず、家の中でぶらぶらしているらしい。
さて、そういう中で、2009年に入った。11月、12月、年末から、この1月は、オバマ当選のお祝いぐらいで、何もなかった。世界中の大金持ち(スーパー・リッチ)たちは皆、バカンスで帰ってくるはずがない。ようやく、今日からのダボス会議(ずっと山の上の、奥の方らしい。ふつうの人間たちは近寄れない)で、スイスに集まってスキーをするのだろう。 自分の会社が破綻したり、投資で大失敗したりした人間たちは、もう消えていない。ナスダックを作った詐欺師のハーバード・マドフが集めていた4兆円はもう一円(1ドル)も返ってこない。
そうやって、2009年の2月を迎える。副島隆彦は、そろそろ次の金融本を書く。
中谷巌は、本気で反省しているのだろう。この本の中で、6箇所ぐらいで、本気で反省していた。あとは、自分だ、若い頃からどんなに経済学を勉強したかと、ブータン国は貧しいが国民は仕合せだ論を、ずっと書いているだけで、読む方は疲れる。 この男には生活の苦労がない。いい人なのだろうが。
中谷が、転向すると、他の、馬鹿の一つ覚えの、日本でしか通用しない×新自由主義(ネオリベ)という愚かなコトバで動いた、小泉・竹中改革で、温度を取った、連中も逃げを打って、静かになって、奥に引っ込んで、出てこなくなるものか。
竹中平蔵 だけが、今も、アメリカの全面後押しで、テレビに出て、田原総一郎のどす黒くなった顔の横に並んで、「日本は改革を進めないから景気回復しないのです」とまだ言っている。テレビ・新聞(すんわち、電通)に 洗脳されている日本馬鹿国民の方も、そろそろうんざりして来ている。
もっともっと、大損して、自分で痛みを感じなければ、今の自分たちの愚かさを自覚するものか。もっともっと多くの金融人間が、崖から落ちればいいのだ。私、副島隆彦は、冷ややかに見つめ続ける。愚か者は、すべて自業自得で滅んでしまえ。
以下の日経BPの記事には、中谷のことを、「変節」と見出しで書いている。変節と言うのは、日本語では、相当にきつい言葉だ。政治転向、思想転向、宗旨変え、変心、改心 などを、英語でも、 recantation リキャンテイション、とか、conversion コンヴァージョン と言う。他にも、10とおりぐらいある。転向して人間的に成長すれば、mature up マチュア・アップ とも言う。
私は、思想転向の研究もやってきた人間だ。本多秋五(ほんだしゅうご)や、中野重治(なかのしげはる、優れた文学者、思想家だった)、吉本隆明(よしもとりゅうめい)たちを、追いかけて、日本左翼(社会主義者、共産主義者)たちの、政治警察による拷問にあう恐怖の中での凶暴な政治弾圧による転向と、敗戦後の日本右翼、民族主義者たちの、ハレンチな転向(世界反共人間への転進)の二通りの転向を、ずっと研究してきた知識人だ。
人間が、時代の変更、流れの変化に合わせて、生き延びようと思えば、転向する。 このことの重さを、私は、ずっつ自分の研究課題として背負ってきた。本当の知識人、思想家というものの持つ重みを、ここに集まる皆さんに身をもって教えたい。 副島隆彦拝