日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

開運の方法 水野南北 〔1〕

2008-12-14 15:53:49 | 開運
 中矢伸一氏は、開運についてこのように言われています。

『江戸時代中期の頃に生きた水野南北は、日本一の観相家といわれ、「節食開運説」を唱えた人物である。いわゆる霊能者と呼ばれる類ではないが、その人物史を見てみると、霊妙不可思議な出来事に何度も遭遇している。
  まだ幼児の時に両親を失って孤児となり、鍛冶屋をしていた叔父に引き取られるが、性格はすさみ、10歳の頃から飲酒を始め、喧嘩ばかりしていたという。そして18歳頃、酒代欲しさに悪事をはたらき、入牢するに至っている。
 だが、牢内での生活を通じて南北は、人相について興味深い事実を発見する。罪人として牢の中にいる人の相と、普通に娑婆(しゃば)生活を送っている人の相の間に、明らかな違いがあることに気づくのである。これがきっかけとなり、南北は観相家というものに関心を持つようになった。
  出牢後、南北はさっそく、当時大阪で名高かった人相見を訪れ、自分の相を見てもらった。するとなんと、「剣難の相であと1年の命」と宣告されてしまった。愕然とした南北が、助かる方法はあるかと問うたところ、その唯一の方法は出家であると言われた。
  南北は天下稀に見るほどの悪相・凶相の持ち主だったのである。
  そこで禅寺を訪れて入門を請うが、住職は南北の悪人面を見、断ろうと思い、「向こう1年間、麦と大豆だけの食事を続けることができたなら、入門を許そう」と告げた。
  助かりたい一心の南北は、この条件を忠実に実行に移す。港湾労働者として従事しながら、1年間、麦と大豆だけの食事を実践するのである。
  こうして1年が経過し、約束通りのことを実行した南北は、禅寺の住職のところへ行く途中に、再び例の人相見を訪ねてみた。と、この人相見、南北の顔を見るなり驚いて、「あれほどの剣難の相が消えている。貴方は人の命を救うような、何か大きな功徳を積んだに違いない」と言った。南北が、食事を変えて1年間貫き通したことを話したところ、それが陰徳を積んだことになって、彼の凶相を変えてしまった、というのである。
  これで禅寺に行く必要のなくなった南北は、自分も観相家の道を志そうと決意し、諸国遍歴の旅に出た。水野南北、21歳の時である。』(水野南北「日本霊能者伝」中矢伸一氏著)

 凶相であっても、粗食によって運が開けてくるようです。私は8月から肉は食べていませんが、粗食かというと、そうでもないと思います。運は良い方がいいので、もう少し粗食にチャレンジしてみたいと思います。ただ、水野南北のように麦と大豆だけで通すのは、無理かと思います。
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