中矢伸一氏は著書の中で、開運についてこのように言われてます。
『南北はまず髪床屋の弟子となって、3年間人相を研究し、続いて風呂屋の手伝いをして、やはり3年間、全身の相について研鑽を深め、さらに火葬場の作業員となって、ここでもまた3年間、死人の骨格や体格などを詳しく調べ、人の運命との関連について研究を重ねたという。
この修業時代に南北は、相学の淵源は仙術にありとの思いから、仙師を求めて深山幽谷に分け入ったりしている。そして25歳の時、奥州の金華山山中でようやく求める仙人と出会うことが叶い、100日間に及んで相法の奥義を伝授されているのだ。
この仙師は、「これすなわち相法の奥秘にして寿を保つの法なり。たとえ俗人といえどもこの法を行なう時は寿命百歳に至りなお天気に至ること自らやすし」と教えたという。
仙道には、食について厳格な規則がある。その理想とするところは、不老不死である。相法の奥義も、病まず弱らない体のまま長寿を全うすることにあるとすれば、「運命(長寿)」と「食」とを関連づける両者の接点は大いにあると考えられる。
さらに南北は後年、そのことを確信させる神秘な体験をしている。
おそらく50歳頃のことであったと思われるが、彼が伊勢神宮へ赴き、五十鈴川で21日間の断食と水ごりの行を行なった際、豊受大神の祀られている外宮で、「人の運は食にあり」との啓示を受けるのである。
豊受大神は、五穀をはじめとする一切の食物の神で、天照大神の食事を司ると言われる。
南北は、「我れ衆人のために食を節す」という決意のもとに、生涯粗食を貫いた。その食事の内容とは、主食は麦飯で、副食は一汁一菜であった。米は一切口にせず、餅さえも食べなかった。また若い頃はあれだけ好きだった酒も、1日1合と決めて、けっしてそれ以上は飲まなかったという。
このような食生活を、盆も正月もなく続けたのである。南北はひどい凶相で、短命の相の持ち主であり、長生きしたり成功する相などは持ち合わせていなかった。しかし、食を慎んだことで運が開け、健康のまま78歳まで生き、大きな財を成したのである。
水野南北による「幸運を招来する法」とは、一言で言えば食の節制である。次にその要点を現代語訳したものの一部を挙げてみる。
■ 食事の量が少ない者は、人相が不吉な相であっても、運勢は吉で、それなり に恵まれた人生を送り、早死にしない。特に晩年は吉。
■ 食事が常に適量を超えている者は、人相学上からみると吉相であっても、物 事が調いにくい。手がもつれたり、生涯心労が絶えないなどして、晩年は
凶。
■ 常に大食・暴食の者は、たとえ人相は良くても運勢は一定しない。もしその
人が貧乏であればますます困窮し、財産家であっても家を傾ける。大食・暴
飲して人相も凶であれば、死後入るべき棺もないほど落ちぶれる。
■ 常に身のほど以上の美食をしている者は、たとえ人相が吉であっても運勢は
凶。美食を慎まなければ、家を没落させ、出世も成功もおぼつかない。まし
て貧乏人で美食する者は、働いても働いても楽にならず、一生苦労する。
■ 常に自分の生活水準より低い程度の粗食をしている者は、人相が貧相であっ
ても、いずれは財産を形成して長寿を得、晩年は楽になる。
■ 食事時間が不規則な者は、吉相でも凶。
■ 少食の者には死病の苦しみや長患いがない。
■ 怠け者でずるく、酒肉を楽しんで精進しない者には成功はない。成功・発展
しようと思うならば、自分が望むところの一業をきわめて、毎日の食事を厳
重に節制し、大願成就まで美食を慎み、自分の仕事を楽しみに変える時には
自然に成功するであろう。食を楽しむというような根性では成功は望めな
い。
■ 人格は飲食の慎みによって決まる。
■ 酒肉を多く食べて太っている者は、生涯出世栄達なし。
(水野南北「日本霊能者伝」中矢伸一氏著)
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南北は、開運には食を節することが必要だと説いていますが、何故、開運と食が関係があるのかと、一般的には考えると思います。上記著書にあるように、南北は伊勢神宮に参拝する前に、神の啓示を受けるそうです。この神秘体験が南北の教えを確立する大きなきっかけになったのだろうと思います。
『さらに南北は後年、そのことを確信させる神秘な体験をしている。
おそらく50歳頃のことであったと思われるが、彼が伊勢神宮へ赴き、五十鈴川で21日間の断食と水ごりの行を行なった際、豊受大神の祀られている外宮で、「人の運は食にあり」との啓示を受けるのである。』
『南北はまず髪床屋の弟子となって、3年間人相を研究し、続いて風呂屋の手伝いをして、やはり3年間、全身の相について研鑽を深め、さらに火葬場の作業員となって、ここでもまた3年間、死人の骨格や体格などを詳しく調べ、人の運命との関連について研究を重ねたという。
この修業時代に南北は、相学の淵源は仙術にありとの思いから、仙師を求めて深山幽谷に分け入ったりしている。そして25歳の時、奥州の金華山山中でようやく求める仙人と出会うことが叶い、100日間に及んで相法の奥義を伝授されているのだ。
この仙師は、「これすなわち相法の奥秘にして寿を保つの法なり。たとえ俗人といえどもこの法を行なう時は寿命百歳に至りなお天気に至ること自らやすし」と教えたという。
仙道には、食について厳格な規則がある。その理想とするところは、不老不死である。相法の奥義も、病まず弱らない体のまま長寿を全うすることにあるとすれば、「運命(長寿)」と「食」とを関連づける両者の接点は大いにあると考えられる。
さらに南北は後年、そのことを確信させる神秘な体験をしている。
おそらく50歳頃のことであったと思われるが、彼が伊勢神宮へ赴き、五十鈴川で21日間の断食と水ごりの行を行なった際、豊受大神の祀られている外宮で、「人の運は食にあり」との啓示を受けるのである。
豊受大神は、五穀をはじめとする一切の食物の神で、天照大神の食事を司ると言われる。
南北は、「我れ衆人のために食を節す」という決意のもとに、生涯粗食を貫いた。その食事の内容とは、主食は麦飯で、副食は一汁一菜であった。米は一切口にせず、餅さえも食べなかった。また若い頃はあれだけ好きだった酒も、1日1合と決めて、けっしてそれ以上は飲まなかったという。
このような食生活を、盆も正月もなく続けたのである。南北はひどい凶相で、短命の相の持ち主であり、長生きしたり成功する相などは持ち合わせていなかった。しかし、食を慎んだことで運が開け、健康のまま78歳まで生き、大きな財を成したのである。
水野南北による「幸運を招来する法」とは、一言で言えば食の節制である。次にその要点を現代語訳したものの一部を挙げてみる。
■ 食事の量が少ない者は、人相が不吉な相であっても、運勢は吉で、それなり に恵まれた人生を送り、早死にしない。特に晩年は吉。
■ 食事が常に適量を超えている者は、人相学上からみると吉相であっても、物 事が調いにくい。手がもつれたり、生涯心労が絶えないなどして、晩年は
凶。
■ 常に大食・暴食の者は、たとえ人相は良くても運勢は一定しない。もしその
人が貧乏であればますます困窮し、財産家であっても家を傾ける。大食・暴
飲して人相も凶であれば、死後入るべき棺もないほど落ちぶれる。
■ 常に身のほど以上の美食をしている者は、たとえ人相が吉であっても運勢は
凶。美食を慎まなければ、家を没落させ、出世も成功もおぼつかない。まし
て貧乏人で美食する者は、働いても働いても楽にならず、一生苦労する。
■ 常に自分の生活水準より低い程度の粗食をしている者は、人相が貧相であっ
ても、いずれは財産を形成して長寿を得、晩年は楽になる。
■ 食事時間が不規則な者は、吉相でも凶。
■ 少食の者には死病の苦しみや長患いがない。
■ 怠け者でずるく、酒肉を楽しんで精進しない者には成功はない。成功・発展
しようと思うならば、自分が望むところの一業をきわめて、毎日の食事を厳
重に節制し、大願成就まで美食を慎み、自分の仕事を楽しみに変える時には
自然に成功するであろう。食を楽しむというような根性では成功は望めな
い。
■ 人格は飲食の慎みによって決まる。
■ 酒肉を多く食べて太っている者は、生涯出世栄達なし。
(水野南北「日本霊能者伝」中矢伸一氏著)
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南北は、開運には食を節することが必要だと説いていますが、何故、開運と食が関係があるのかと、一般的には考えると思います。上記著書にあるように、南北は伊勢神宮に参拝する前に、神の啓示を受けるそうです。この神秘体験が南北の教えを確立する大きなきっかけになったのだろうと思います。
『さらに南北は後年、そのことを確信させる神秘な体験をしている。
おそらく50歳頃のことであったと思われるが、彼が伊勢神宮へ赴き、五十鈴川で21日間の断食と水ごりの行を行なった際、豊受大神の祀られている外宮で、「人の運は食にあり」との啓示を受けるのである。』