この本は、「まなざしの地獄」と「新しい望郷の歌」の二篇の論文から成っている。2008年の出版だが、実際に書かれたのは、前者は1973年、後者は1965年である。戦後20年くらいの日本の社会が対象である。
だから、扱われている社会的事象は古い。といっても、私の思春期から青年時代に相当する時代なので、私にとってはもっとも強く感覚に刻まれたことがらに属する。
「まなざしの地獄」は、次のように始まる。
都市とはたとえば、二つとか五つとかの階級や地域の構成する沈黙の建造物ではない。都市とは、ひとりひとりの「尽きなく存在し」ようとする人間たちの、無数のひしめき合う個別性、行為や関係の還元不可能な絶対性の、密集したある連関の総体性である。
いまN・Nは、現代日本の都市に実在するひとりの少年である。本稿はこのN・Nの生活史記録を軸として展開する。しかし本稿はN・N論ではない。ひとりの少年が「尽きなく存在し」ようとしたゆえに、その生の投企において必然に彼の情況として照らし出してしまった、現代日本の都市というもの、その人間にとっての意味の一つの断片を、ここでは追求してみたいと思う。 (p. 7)
N・Nは、連続殺人事件の犯人である少年・永山則夫である。N・Nと表象することで、あたかもその時代を生きる一般性としての少年、つまり、永山則夫と4才しか違わない少年・私でもありえた可能性を暗示するようだ。1965年にN・Nは中学卒業と同時に集団就職のために青森から上京する。同じように、東北の農村の中学を1961年に卒業した私の同級生のほぼ半分は「金の卵」として集団就職列車に乗ったのである。
もちろん少年のがわからみれば、このような「金の卵」としての自己の階級的対他存在こそはまさしく、一個の自由としての飛翔をとりもちのようにからめとり限界づける他者たちのまなざしの罠に他ならない。
彼らの階級的に規定された対他と対自のあいだには、はじめから矛盾が存在している。 (p. 22)
N・Nの最初の転職については、そのN・N自身にとつての意味または無意味を憶測するどのような手がかりも残されていない。しかし翌年、大阪の米屋の住込み店員として、やはり半年ほど真面目に勤務したのちに、やめてしまったいきさつは示唆なである。
このときは彼が、誤って蛍光灯を割り、破片を米の中に落としたので叱ったところ、「ぷいっと」やめてしまったということになっている。店側の記憶ではそうである
ところがN・Nの母親によると、
「当時N・Nから戸籍謄本を送れと手紙がきたので送ってやった。すると折りかえし『オフクロ、オレは網走ノ刑務所デウマレタノカ』という手紙がきた。出生地が呼人番外地となっていたことと、三歳のときに火傷したキズをむすびつけてからかわれたと訴えていて、手紙の末尾には『オレハモウダメダ、シヌゾ』という一行が書かれていたという。そこで母親は担当の民生委員のとこへかけつけて、『そんなことはない』という事情を書いてもらい送る。だが、その手紙はまもなく本人所在不明で返送されてきて、そのあとのN・Nの音信は一時途絶えてしまった」
これは先ほどの第二のケースの一つの典型といってよいだろう。
周囲の人間はあることを何気なく言い、そして忘れてしまったのだろう。けれどもそれが少年を突然襲って、絶望でたたきのめすのである。 (p. 29-30)
彼らはいまや家郷から、そして都市から、二重にしめ出された人間として、境界人というよりはむしろ、二つの社会の裂け目に生きることを強いられる。彼らの準拠集団の移行には一つの空白がある。したがってまた、彼らの社会的存在性は、根底からある不たしかさによってつきまとわれている。 (p. 32)
「戸籍」そのものは、無力な一片の物体にすぎない。この無力な一片に、人間の生の全体を狂わせるほどの巨大な力をもたせるものは何か?
それはこの過去性にひとつの意味を与えて(網走=犯罪者の子弟=悪、等々)、彼をあざけり、彼にその都度の就職の機会を閉ざし、彼の未来を限定する他者たちの実践である。
〈過去が現在を呪縛する〉といっても、このばあい「過去」が生きているもののごとくに本人の生のゆくてに立ちふさがるというわけではない。人の現在と未来とを呪縛するのは、この過去を本人の「現在」として、また本人の「未来」として、執拗にその本人にさしむける他者たちのまなざしであり、他者たちの実践である。 (p. 38)
われわれはこの社会の中に涯もなくはりめぐらされた関係の鎖の中で、それぞれの時、それぞれの事態のもとで、「こうするよりほかに仕方がなかった」「面倒をみきれない」事情のゆえに、どれほど多くの人びとにとって、「許されざる者」であることか。われわれの存在の原罪性とは、なにかある超越的な神を前提とするものではなく、われわれがこの歴史的社会の中で、それぞれの生活の必要の中で、見すててきたものすべてのまなざしの現在性として、われわれの生きる社会の構造そのものに内在する地獄である。 (p. 73)
「まなざしの地獄」が大家族制度が崩壊しつつあった時代の家郷喪失者(ハイマートロス)を通じての社会理解であったとすれば、「新しい望郷の歌」はその家郷喪失者が、新しい家郷、「マイ・ホーム」へと向かう時代を切りとってみせる。
当時のポピュラーな歌を拾い上げて、次のように時代が描かれる。
六〇年代初期を代表した「ホーム・ドラマ」のテーマソング。
小さな町です/小さな家です、小さなお庭です
だけどいっぱい夢がある/夢、夢、夢見ヶ丘十番地
(菜川作太郎作詞「チヤッカリ夫人とウッカリ夫人」)
物理的には「小さな」家、「小さな」庭に注がれた、あふれんばかりのこの情感は、失われたふるさとと「家」に注がれたはげしいカセクシスの(前向きに!)転轍された姿としてこそ、はじめて理解することができる。
アカシアの 雨に打たれて
このまま 死んでしまいたい
夜が明ける 日が昇る
朝の光の その中で
冷たくなった 私を見つけて
あの人は 涙を流してくれるでしようか
(水木かおる作詞「アカシアの雨がやむとき」)
死者としての自己にたいして「涙を流してくれる」という「他人」の存在のふたしかさ。都会の問い。失われた共同体の記号としての「愛」。――自己の運命に無限定的(diffuse)な関心と愛着をよせる集団としての〈家郷〉をもたない、あるいはもはや〈家郷〉を信じきることのできない現代の若ものたちのこの切実な問いにたいして、彼らがまさしく望んでいるような「回答」を与えてくれたものこそは、百万をこえた超べストセラー『愛と死をみつめて』であった。それは彼らの、まだ見ぬ愛情共同体への郷愁にナマナマしい現実感を付与したのである。
こんにちは赤ちゃん あなたの生命
こんにちは赤ちゃん あなたの末来に
このしあわせが パパの希望よ
(永六輔作詞「こんにちは赤ちゃん」)
梓みちよ自身がそうであつたように、現実にこのような家庭をもたない多くの人びとによっても、この歌は口ずさまれた。それは新しい望郷の歌なのである。恋愛と結婚と家庭の幸福への夢をくり返しうたいあげるこれらの歌は、数々のホーム・ドラマや女性週刊誌と共に、孤独な現代の若ものたちの、まだ見ぬ心のふるさとの讚歌であった。
あなたがふるさとを愛すように
私は愛されたい 愛されたい
私がふるさとを愛すように
あなたを愛したい 愛したい
(永六輔作詞「故郷のように」)
過渡期における愛着の方向転換の構造は、ここに最も論理的に直截な表現をとる。 (p. 90-92)
最後に、大澤真幸が「解説」を書いている。そこでは、さらに家郷としての「核家族型マイ・ホーム」の機能不全の時代に進んで、1997年に神戸で起きた「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る少年の連続殺人事件や、若者たちが家郷の新しい代替物をネット空間に架空している仮説的証左として「ネット心中」や「秋葉原事件」に触れている。
見田宗介から大澤真幸へと「社会へのまなざし」がつながっていくのである。
私は、大澤真幸、北田暁大、大塚英志らの優れた社会分析・評論に拠ってきたが、見田宗介が加わると社会分析手法の骨格がしっかりする、というか、見通しが良くなる、といった感じを受ける。