ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

別にPRをしているわけではない!ベキなのだ!

2013-12-15 | 雑念
世界遺産のこと

日本に世界遺産が多くあるのは、
最近登録された富士山のフィーバーで取り上げられたことから周知であろう。

でも観光PRとして、
単純に世界遺産を目指すというのはいかがなものだろうか?

ふさわしいものと、
そうでもないものがあるように思う。

最近、通勤路の脇に看板が設置された。

「知覧特攻会館」を世界遺産に!

というものだ。
最初に見たときに「なんで?」と思った。必要ある?今のままで十分役割を果たしていると思うのだ。

私自身も同施設で深く考え、悩み、心に刻み込まれた。とても良い資料館である。変にちゃらけたお土産物屋さんが立ち並ぶこともなく、凛と謙虚にそこにたたずんでいる。

修学旅行の平和教育を考えるなら、最も最適なルートであると思う。

それなのに、
世界遺産に認定される必要性がわからない。

もっと多くの外国人に来て欲しいのか?
アジアの人たちが、
アメリカに挑む日本人の最期の思い
を見てどう思わせたいの?
西洋人が見ても誤解を生んでしまいそう。

個人的には
日本人が見るべき施設であって、
世界に見せしめるのは本質ではないと思う。

原爆ドームとは違う。
原爆ドームは「核」の廃絶を訴える意味では、日本人も含め世界の人々が考えるモニュメントである。

それは「負の遺産」として核が世界からなくなるまで遺産たるべき役割がある。

平和特攻会館にはチカラがある。

考えさせてくれるチカラが。

戦争を知らない人でも、
ヒステリックにならずに、
じっくり考えることができるのだ。

大人になってからでも、
意味があるし、
特に中高生という同世代の心に響く要素が多くてとても良い資料館だ。

ここ以上、若者に響く材料が日本には無い。原爆ドームにも資料館としての展示はあるが、平和特攻会館には及ばない。

戦争を考えるには想像力が必要である。

その想像力を高めるシナリオとして、死者の写真を数多く陳列しても目をつぶる人も多い。

平和特攻会館には確かに写真もあるが、重きは手記の展示にある。

その心の動きは自分の裁量に任せてもらえる。悲しみを感じるのか、怒りなのか、決意なのか。

その、自分で考えて、自分なりの「戦争と私」を導いてくれる。

平和教育のファシリテーションである。

参加者が主役である。

つまり入場者の視点を大切にしてくれている、ように感じるのである。

だからだから!

世界遺産になってしまって、
静かな日本人の時間が奪われてしまうようで嫌なのである。

日本人が、「世界遺産に登録されないと訪れない」のだとしたらそれはそれで悲しい。

世界遺産になる前に、
いや、ならなくとも、
1度は来て見て感じて欲しい。