立て続けに映画を観倒す。
ゴーンガール、グッドウィルハンティング、西遊記~はじまりのはじまり、永遠の0、猿の惑星ライジング、トランセンデンス…
やっぱり映画はゆっくり観ないといけない。
立て続けに観ると義務感ばかりが画面から見え隠れする。
疲れたな。
映画観るのも。
ところで。
このブログを見てる人が意外に多い。
「ブログ見たんだけど…」と連絡をくれる。
ありがたい。
僕はなかなか自分から「連絡をする」という事はしないたちだ。だから自然と古い友人とも疎遠になる。
中にはマメな人間もいて、5年に1回くらいのペースで電話がかかってくることもある。今思うとオリンピックよりも価値が高い。こうなるとマメなのか思いつきなのかわからない。
ただ内容はいつも「会おう」という内容で、たまに久しぶりの学友の顔が見たいというものだと思う。
僕は人生で一度も同窓会に行ったことはない。小学校から高校までで親友と呼べる人間もいない。だから同窓会に行く必要もない。地元の友人は大抵の20歳を超えてからの付き合いである。
これを人は「不幸だ」とか「悲しい人間だ」と思うだろう。しかし当の本人は一向にそんな悲しさを背負っていない。どちらかというと古い友人の中の親しくない人の結婚式に義理で呼ばれて2次会にも付き合わなければならない人の方が、僕にとっては不幸だからだ。
僕が今、たまに食事をする友人たちはシンプルな「友人たち」である。会いたい人と会い、話したいことだけを話す。遊びたいことを遊び、言い合いたいことを言い合う。
僕はこんな性格なのに一人ぼっちではない。そこが不思議なのだが、連絡をくれる友人がいる。僕は金を持っていて奢りまくる事もないし、性格が弱々しくてイジメ甲斐がある訳でもない。
だから「本当の友達」を作る方法は分からない。相手の望むことに従い、一緒に楽しい事だけをやりまくるだけでは作れないのだろう。
「蓄積」
真の友人とは「蓄えるもの」なのかもしれない。「信頼」にも似た積み重なっていくもの。脆くも崩れ去る可能性もあるが、より強固になっていくこともある。
僕が「友人」を語るのはどうかと思う。それほど人付き合いは狭き門である。そういうと僕が振るいをかけて厳選しているように聞こえるがそうではない。自然淘汰されていくだけだ。
相手も僕を門前払いしてくるわけだし。
しかし兎にも角にも「飯でも食いましょう」とアプローチしてくれるのは嬉しい限りである。僕は鹿児島に移り住んで、兵庫は「地元」という呼び方に変わった。
地元の友人という言い方にも慣れた。そして何故に地元がいいなと思うのか?なぜあまちゃんが歌うように地元に帰ろうとするのか?
それは逃げも隠れもしない。暖かさである。
運良く移住地でよそ者が受け入れられる事がある。僕は鹿児島で比較的優しく迎え入れられた方である。仕事を見つけ、知り合いもでき、親戚とも顔見知りである。
しかし地元の暖かさは感じることはない。
優しくされればされる程に、心の奥にあるホッカイロが懐かしく感じるのである。移住の難しさはココにある。
いま結構な長い期間、実家に滞在している。そして忙しい地元の友人たちと数少ないチャンスで遊んだり飯を食ったりすると、今までの緊張は解きほぐれていくような感覚になる。
そう僕は鹿児島という異国の地で少なからず5、6年緊張していたのかもしれない。「楽にしてね」と言われるたびに背筋を伸ばし、美味しい食事や魚や酒を出されるたびに神経に電気が走っていたのだろう。
楽しくないわけではない。
ただ疲れが取れない。
昔の戦国武将に想いを馳せる。
軍門に下った将軍の命で地元から遠く離れた地を本拠地とする。
その緊張感が武士としての自覚と闘争心を掻き立てられる。そんな効果もあったのかもしれない。
僕は結構前から「僕は旅人」と言い続けてきた。その言葉も薄く意味を成さないメロディーの様に風に消えていく。本来、風来坊である。「根を下ろす」のはまだまだ先だ。
腐海の謎を見極めたいのだ
ユパ・ミラルダ
そう!ユパ様だ。
ユパ様ほどの実力と覚悟はまだないが、目指すところはユパ様なのだ。
今僕は風の谷に帰ってきている。
谷は今にも腐海に飲まれそうだ。
海からの風様に護られてはいないから。
クイはジーノ君。
カイはハスラー君。
ナウシカーっ!
ナウシカはどこだ?
地下室にでもいるのかな?
ミト爺もおらん。
変だな?
ゴーンガール、グッドウィルハンティング、西遊記~はじまりのはじまり、永遠の0、猿の惑星ライジング、トランセンデンス…
やっぱり映画はゆっくり観ないといけない。
立て続けに観ると義務感ばかりが画面から見え隠れする。
疲れたな。
映画観るのも。
ところで。
このブログを見てる人が意外に多い。
「ブログ見たんだけど…」と連絡をくれる。
ありがたい。
僕はなかなか自分から「連絡をする」という事はしないたちだ。だから自然と古い友人とも疎遠になる。
中にはマメな人間もいて、5年に1回くらいのペースで電話がかかってくることもある。今思うとオリンピックよりも価値が高い。こうなるとマメなのか思いつきなのかわからない。
ただ内容はいつも「会おう」という内容で、たまに久しぶりの学友の顔が見たいというものだと思う。
僕は人生で一度も同窓会に行ったことはない。小学校から高校までで親友と呼べる人間もいない。だから同窓会に行く必要もない。地元の友人は大抵の20歳を超えてからの付き合いである。
これを人は「不幸だ」とか「悲しい人間だ」と思うだろう。しかし当の本人は一向にそんな悲しさを背負っていない。どちらかというと古い友人の中の親しくない人の結婚式に義理で呼ばれて2次会にも付き合わなければならない人の方が、僕にとっては不幸だからだ。
僕が今、たまに食事をする友人たちはシンプルな「友人たち」である。会いたい人と会い、話したいことだけを話す。遊びたいことを遊び、言い合いたいことを言い合う。
僕はこんな性格なのに一人ぼっちではない。そこが不思議なのだが、連絡をくれる友人がいる。僕は金を持っていて奢りまくる事もないし、性格が弱々しくてイジメ甲斐がある訳でもない。
だから「本当の友達」を作る方法は分からない。相手の望むことに従い、一緒に楽しい事だけをやりまくるだけでは作れないのだろう。
「蓄積」
真の友人とは「蓄えるもの」なのかもしれない。「信頼」にも似た積み重なっていくもの。脆くも崩れ去る可能性もあるが、より強固になっていくこともある。
僕が「友人」を語るのはどうかと思う。それほど人付き合いは狭き門である。そういうと僕が振るいをかけて厳選しているように聞こえるがそうではない。自然淘汰されていくだけだ。
相手も僕を門前払いしてくるわけだし。
しかし兎にも角にも「飯でも食いましょう」とアプローチしてくれるのは嬉しい限りである。僕は鹿児島に移り住んで、兵庫は「地元」という呼び方に変わった。
地元の友人という言い方にも慣れた。そして何故に地元がいいなと思うのか?なぜあまちゃんが歌うように地元に帰ろうとするのか?
それは逃げも隠れもしない。暖かさである。
運良く移住地でよそ者が受け入れられる事がある。僕は鹿児島で比較的優しく迎え入れられた方である。仕事を見つけ、知り合いもでき、親戚とも顔見知りである。
しかし地元の暖かさは感じることはない。
優しくされればされる程に、心の奥にあるホッカイロが懐かしく感じるのである。移住の難しさはココにある。
いま結構な長い期間、実家に滞在している。そして忙しい地元の友人たちと数少ないチャンスで遊んだり飯を食ったりすると、今までの緊張は解きほぐれていくような感覚になる。
そう僕は鹿児島という異国の地で少なからず5、6年緊張していたのかもしれない。「楽にしてね」と言われるたびに背筋を伸ばし、美味しい食事や魚や酒を出されるたびに神経に電気が走っていたのだろう。
楽しくないわけではない。
ただ疲れが取れない。
昔の戦国武将に想いを馳せる。
軍門に下った将軍の命で地元から遠く離れた地を本拠地とする。
その緊張感が武士としての自覚と闘争心を掻き立てられる。そんな効果もあったのかもしれない。
僕は結構前から「僕は旅人」と言い続けてきた。その言葉も薄く意味を成さないメロディーの様に風に消えていく。本来、風来坊である。「根を下ろす」のはまだまだ先だ。
腐海の謎を見極めたいのだ
ユパ・ミラルダ
そう!ユパ様だ。
ユパ様ほどの実力と覚悟はまだないが、目指すところはユパ様なのだ。
今僕は風の谷に帰ってきている。
谷は今にも腐海に飲まれそうだ。
海からの風様に護られてはいないから。
クイはジーノ君。
カイはハスラー君。
ナウシカーっ!
ナウシカはどこだ?
地下室にでもいるのかな?
ミト爺もおらん。
変だな?