とても切ない物語
それは僕の直感力がもたらす悲しい別れ
僕の直感力をこれほど当たらないでと祈ることはなかった。
昨日は僕たちのイベント
第3回ゆうだちキャンプ
「ゲルとたき火とクリスマス」
それがもろくも崩れ去っていった。
受け入れの施設職員は、その日の団体が僕たちだけということをすでにわずらわしく思っていたのだろう。
別に仲良くもない僕に対しての第一声が
もう辞めましょう!天気悪いし!
僕は言葉を失った。
僕たちがどんな思いでこの準備をしてきたのか、確かに最低人数10人に満たない団体。
本来なら受け入れてくれないのかもしれない。
メンバーが無理を言って受け入れてくれたのかもしれない。
でもあれほどあからさまに嫌がられることってあるんだろうか。
僕はとても悲しくなった。
自信満々に最も古い歴史のある自然の家であることを自慢してくる。
だから何なのだろう?
その施設の歴史が別に客に何のメリットもない。
ただ僕たちは自分たちのプログラムが円滑に運営できる施設が欲しいのだ。
僕はその施設職員との話を一刻も早く切り上げて別の場所に行きたかった。もう時間の無駄だ。
公共の施設にはここまで恐ろしくドロ沼の様な世界があるのだということをまざまざと見せつけられたのだ。
もうこの施設は2度と使わないだろう。
向こうはその事務所で僕たちの「ゆうだちキャンプ」の名前さえ悪く言っていたのだ。
なぜそんな縁起の悪い名前にしたのだと。
雨が降るような団体名は不吉なのだと。
そして挙句、その団体の代表(僕)にさえそれをカミングアウトするほどの失態。
僕たちの想い、僕たちが何故に「ゆうだちキャンプ」なのか?
その僕たちの想いに対して、施設職員ごときが縁起悪いという評価をする考え方。それが、それこそがこの世のドロ沼のように荒廃した考え方なのだ。
「ゆうだちキャンプ」とは
夕立が降る事でこそ楽しむことができる可能性。いつも太陽の光を追い求めるのではなく、影の部分にも楽しむことができる場所があるのだという想いがつまっている。
それをお客さんを受け入れるべき側の施設職員が、バカにし、「帰れ!」と罵る。
最後まで調子よく、薄ら笑いを浮かべて僕たちをバカにしながら「また天気のいい日にうちの施設を使って下さい」と心にもない事を言い並べる。
来るわけがない。2度とその施設に足を踏み入れることも無いだろう。
皮肉にも僕は小学生の頃の林間学校の場所がその施設だった。雨のオリエンテーリングやキャンプファイアーのスタンツなどの嫌な思い出をフラッシュバックした。その時の直感的な「嫌な場所」は30年後の今、またその「嫌な場所」として上書き保存された。
気分を害して施設をあとにする。
直火ができる場所を検討。
江井ヶ島海岸でやろう!
そして海岸に資材を運搬する。
僕は送迎のために海岸を離れた。
その途端、雨が降り出した。
雨脚は強まり作業ができなくなる。
僕たちが戻った時には資材は雨に濡れ、
組み立てをするテンションも失われていた。
僕は即座にゲルの製作を諦めた。
無理に作って風邪をひいても馬鹿らしい。
しかしここまで僕たちのイベントのプランが崩れたのは初めてだ。でもこれこそ「夕立ち」なのかもしれない。これを楽しめと。
ただ雨が降って思い通りにいかない事を楽しめるくらいの人間になれと。
完全にゲルは諦めたが、どうしても何か遊びたい。海岸で途方にくれるみんなに僕が持ってきていた柔らかボールで「死刑」という昔遊びをしよう!と誘う。これも結構楽しい遊びである。名前は悪いけど。
一人一人に番号をつけて、ボールを真上に投げて番号を言う。言われた番号の人がボールをキャッチ受け止めたら続いていく。落とすとバツがつく。3バツで貼り付けの刑。壁に後ろ向きで立ち1人ずつボールを投げる。当たらなければその受刑者の壁として重なっていく。誰かが当たれば死刑は終了。その人はバツがゼロになって続いていく。
近くで中学生の陸上部員たちが恨めしそうに僕たちを見ていた。あんなに楽しそうな大人たち。ゲラゲラ笑って、はしゃいでいる。
僕たちは夕立ちの試練に打ち勝った。笑顔でその苦難を乗り越えたのだと感じた。
そのあとみんなで食事に行って、馬鹿話を散々した。しこたましすぎて喉が痛い。僕はゲル製作がなくなった穴を必死で話を盛り上げて埋めようとした。
もう僕だけ楽しかったくらいの勢いだった。
そしてそのあと、普通の遊び場所、ダーツやビリヤードをするために場所移動。
キャンプではなくなったが、遊びとして楽しかった。そんな現代的な遊びも久しぶりだった。
また女性も混じってくれていたので、楽しさが倍増。おっさんばっかりなら速攻解散していたぞ。
そしてお開きとなった。
残念ながらゲルはお預け。
資材は確保しているが、組み立て作業のテンションは完全に覚めてしまっている。
本当に完成するのか?
そこはとても気になるところ。
2015年内にはもうそこは謎のまま。
そして僕の直感力。
それは他のところに働く。
それは今回参加の紅一点。
その人が、何故におっさんばかりの社会人キャンプに参加してくれているのか?その不思議が何となくわかり始めた。
シンプルに楽しいから!という理由も数%含まれるのかもしれない。しかしそれが何となく「寂しさ」であることが僕も薄々感じていた。
クリスマスに彼氏がいないこと
それは彼女にとって相当寂しいらしい。
その埋まらない穴をもがくようにすがりついたひとつが「ゆうだちキャンプ」だったようだ。他にも学生サークルや友人たちとのパーティに積極的に参加してスケジュール帳を埋めていく。
そんな彼女がやはり一番求めているのは「恋」
僕は直感的に、「この人、彼氏できたらこのキャンプ来なくなる」を感じた。
そして色々僕にクリスマスまでの予定を話してきてくれるうちに、「こりゃ、彼氏できる日も近し」
そして直接彼女に僕の直感と最後の挨拶もした。
「ゆうだちに参加してくれてありがとうな」
彼女は「そんなこと言わないでくださいよ」と苦笑い。
僕の直感は恐ろしく当たる。
僕たちは幻のような少女と夢のような世界を旅したのだと思う。
初めて投げたダーツの刺さらない矢。
初めてのビリヤードの空振り。
意外に上手い卓球の構え。
僕の車の助手席での仕草。
全ては幻となり思い出になる。
別れ際に彼女は、微笑みながら「また連絡しますね」と家路につく。
僕は横断歩道を待つ彼女に手を振ることもなく走り去った。
いままでも彼女から連絡が来たことは1度も無い。
そしてこれからも……
それは僕の直感力がもたらす悲しい別れ
僕の直感力をこれほど当たらないでと祈ることはなかった。
昨日は僕たちのイベント
第3回ゆうだちキャンプ
「ゲルとたき火とクリスマス」
それがもろくも崩れ去っていった。
受け入れの施設職員は、その日の団体が僕たちだけということをすでにわずらわしく思っていたのだろう。
別に仲良くもない僕に対しての第一声が
もう辞めましょう!天気悪いし!
僕は言葉を失った。
僕たちがどんな思いでこの準備をしてきたのか、確かに最低人数10人に満たない団体。
本来なら受け入れてくれないのかもしれない。
メンバーが無理を言って受け入れてくれたのかもしれない。
でもあれほどあからさまに嫌がられることってあるんだろうか。
僕はとても悲しくなった。
自信満々に最も古い歴史のある自然の家であることを自慢してくる。
だから何なのだろう?
その施設の歴史が別に客に何のメリットもない。
ただ僕たちは自分たちのプログラムが円滑に運営できる施設が欲しいのだ。
僕はその施設職員との話を一刻も早く切り上げて別の場所に行きたかった。もう時間の無駄だ。
公共の施設にはここまで恐ろしくドロ沼の様な世界があるのだということをまざまざと見せつけられたのだ。
もうこの施設は2度と使わないだろう。
向こうはその事務所で僕たちの「ゆうだちキャンプ」の名前さえ悪く言っていたのだ。
なぜそんな縁起の悪い名前にしたのだと。
雨が降るような団体名は不吉なのだと。
そして挙句、その団体の代表(僕)にさえそれをカミングアウトするほどの失態。
僕たちの想い、僕たちが何故に「ゆうだちキャンプ」なのか?
その僕たちの想いに対して、施設職員ごときが縁起悪いという評価をする考え方。それが、それこそがこの世のドロ沼のように荒廃した考え方なのだ。
「ゆうだちキャンプ」とは
夕立が降る事でこそ楽しむことができる可能性。いつも太陽の光を追い求めるのではなく、影の部分にも楽しむことができる場所があるのだという想いがつまっている。
それをお客さんを受け入れるべき側の施設職員が、バカにし、「帰れ!」と罵る。
最後まで調子よく、薄ら笑いを浮かべて僕たちをバカにしながら「また天気のいい日にうちの施設を使って下さい」と心にもない事を言い並べる。
来るわけがない。2度とその施設に足を踏み入れることも無いだろう。
皮肉にも僕は小学生の頃の林間学校の場所がその施設だった。雨のオリエンテーリングやキャンプファイアーのスタンツなどの嫌な思い出をフラッシュバックした。その時の直感的な「嫌な場所」は30年後の今、またその「嫌な場所」として上書き保存された。
気分を害して施設をあとにする。
直火ができる場所を検討。
江井ヶ島海岸でやろう!
そして海岸に資材を運搬する。
僕は送迎のために海岸を離れた。
その途端、雨が降り出した。
雨脚は強まり作業ができなくなる。
僕たちが戻った時には資材は雨に濡れ、
組み立てをするテンションも失われていた。
僕は即座にゲルの製作を諦めた。
無理に作って風邪をひいても馬鹿らしい。
しかしここまで僕たちのイベントのプランが崩れたのは初めてだ。でもこれこそ「夕立ち」なのかもしれない。これを楽しめと。
ただ雨が降って思い通りにいかない事を楽しめるくらいの人間になれと。
完全にゲルは諦めたが、どうしても何か遊びたい。海岸で途方にくれるみんなに僕が持ってきていた柔らかボールで「死刑」という昔遊びをしよう!と誘う。これも結構楽しい遊びである。名前は悪いけど。
一人一人に番号をつけて、ボールを真上に投げて番号を言う。言われた番号の人がボールをキャッチ受け止めたら続いていく。落とすとバツがつく。3バツで貼り付けの刑。壁に後ろ向きで立ち1人ずつボールを投げる。当たらなければその受刑者の壁として重なっていく。誰かが当たれば死刑は終了。その人はバツがゼロになって続いていく。
近くで中学生の陸上部員たちが恨めしそうに僕たちを見ていた。あんなに楽しそうな大人たち。ゲラゲラ笑って、はしゃいでいる。
僕たちは夕立ちの試練に打ち勝った。笑顔でその苦難を乗り越えたのだと感じた。
そのあとみんなで食事に行って、馬鹿話を散々した。しこたましすぎて喉が痛い。僕はゲル製作がなくなった穴を必死で話を盛り上げて埋めようとした。
もう僕だけ楽しかったくらいの勢いだった。
そしてそのあと、普通の遊び場所、ダーツやビリヤードをするために場所移動。
キャンプではなくなったが、遊びとして楽しかった。そんな現代的な遊びも久しぶりだった。
また女性も混じってくれていたので、楽しさが倍増。おっさんばっかりなら速攻解散していたぞ。
そしてお開きとなった。
残念ながらゲルはお預け。
資材は確保しているが、組み立て作業のテンションは完全に覚めてしまっている。
本当に完成するのか?
そこはとても気になるところ。
2015年内にはもうそこは謎のまま。
そして僕の直感力。
それは他のところに働く。
それは今回参加の紅一点。
その人が、何故におっさんばかりの社会人キャンプに参加してくれているのか?その不思議が何となくわかり始めた。
シンプルに楽しいから!という理由も数%含まれるのかもしれない。しかしそれが何となく「寂しさ」であることが僕も薄々感じていた。
クリスマスに彼氏がいないこと
それは彼女にとって相当寂しいらしい。
その埋まらない穴をもがくようにすがりついたひとつが「ゆうだちキャンプ」だったようだ。他にも学生サークルや友人たちとのパーティに積極的に参加してスケジュール帳を埋めていく。
そんな彼女がやはり一番求めているのは「恋」
僕は直感的に、「この人、彼氏できたらこのキャンプ来なくなる」を感じた。
そして色々僕にクリスマスまでの予定を話してきてくれるうちに、「こりゃ、彼氏できる日も近し」
そして直接彼女に僕の直感と最後の挨拶もした。
「ゆうだちに参加してくれてありがとうな」
彼女は「そんなこと言わないでくださいよ」と苦笑い。
僕の直感は恐ろしく当たる。
僕たちは幻のような少女と夢のような世界を旅したのだと思う。
初めて投げたダーツの刺さらない矢。
初めてのビリヤードの空振り。
意外に上手い卓球の構え。
僕の車の助手席での仕草。
全ては幻となり思い出になる。
別れ際に彼女は、微笑みながら「また連絡しますね」と家路につく。
僕は横断歩道を待つ彼女に手を振ることもなく走り去った。
いままでも彼女から連絡が来たことは1度も無い。
そしてこれからも……