ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

あれっ?今日起きたら、じゃなかったかな?

2015-12-25 | 雑念
起きた。

起きて周りを見回した。

でも無い。
プレゼントらしき箱は無い。
これで「僕が良い子」か「サンタの存在」のどちらかが否定された。もしくはどちらも。

単純に「おっさんにはプレゼントを渡さない」という主義なのかもしれない。

赤い服と白いヒゲの身軽なおじいさんは、純粋な人間を見分ける能力を持っているのだろう。

いや、

プレゼントが目に見えるとは限らない。
大人になれば「目に見えないもの」でも見えてくる。

いちばんたいせつなものはめにみえない
(©︎星の王子さま)

僕は2015年の1年を思い返した。
その1年を見回した。

するとありとあらゆる出来事にリボンがついて箱の中に入っていたように思う。

それはとても大切な思い出の一つ一つに思えてくる。

本当は地獄のイベントである「離婚」でさえ、僕を根本から変えてくれる素敵な出来事に思えてくる。相手への憎しみも全く無い。

当然、今年から始めた「ゆうだちキャンプ」も全ての遊びが克明に脳裏に焼きつき思い出して微笑んでしまう。そして忙しい中、集まってバカな話も付き合ってくれる人たちの話し声がプレゼントボックスの中から聴こえてくる。

仕事も40超えたおっさんが生涯の仕事にするにはあまりに不安定だが、素敵なフィールドと2015年の仲間としての多くのエピソードが宝石箱のように煌めいて見えてくる。

ファミリーにもある程度幸せが訪れていて、甥っ子姪っ子の成長や新しい生命も増えたり。世間一般の基準としても幸せな事が連続している。誰も死んだり大きな病気になったりもないしね。

「大人になったらクリスマスプレゼントがもらえなくなる」は間違いだ。

「大人になったらクリスマスプレゼントが見えなくなる」が正しい。

本当は「良い大人」として過ごせば、クリスマスプレゼントは自分の周りの至る所に隠されていて、それを発見できるように感覚を研ぎ澄ませておかないといけないのだと思う。

もしそんな日常にこそクリスマスプレゼントとしての価値を見出せるようになると、改めて気づかされる。

クリスマスのこの時期に、ゴリゴリに体調を崩すのは、天罰であるとも言える。

お前はこの一年何をしでかしたのだ!

と叱咤激励をされているのかもしれない。
結構それなりに体調を崩した自分を情けなく思っている。罪を背負っているのだ。

キリストが十字架にはりつけられ、グッタリしている宗教画のように。

僕もさすがに咳疲れでグッタリしている。

それでも残りわずかな2015年を楽しもうと必死でもがく。楽しくしようと自ら動こうとするのだ。

足枷をされて動けなくとも、
腕を後ろ手に縛られて拷問用の椅子に縛られようとも、
007のように諦めない。
秘密の爆弾時計を作動させて、ボンドガールに耳打ちして窮地を乗り越えるのだ。

今夜は、カッコよく女性と食事して、と思っていたのにゴホッゴホッいいながらの食事になってしまう。

失礼極まりない。カッコ悪い。
相手に100%「大丈夫?」って心配される。
そんなの究極にダメなやーつである。

007が絶対にそんなディナーをするわけがない。イギリス紳士の究極版が007である。007はそもそも風邪をひかない。マスクをした007は見た事がない。

カッコ良いなぁ007