ラオスのことを話そう。
僕の世界一周の足掛かり。
現地入りするとバックパッカーがアジアの混沌に沈没していく様を横目に見ながら、僕は極楽浄土を目指し進み行く西遊記のように様々なトゥクトゥクに乗った牛魔王達が襲いかかる。
しかし好奇心に導かれ、孤独や不安に立ち止まりそうになる道中も人との繋がりや美しい風景に励まされて進んでいく。
しかし孫悟空のように決定的なゴールがあるわけでもない。ラオスに何があるのかは本当にわからない。今もなおわかっていないかも知れない。
僕は修行に来たのだ。
教育者としての自らを鍛える修行。
他人から認められるような国家資格や認定書も持ち合わせないただのひとりの男が未来を担う青少年達に何を伝えることができるのか。
もう心と心が通じ合う魂の共鳴以外に出来ることはないだろう。
教科書も指導要領も何もない。
ただ人として何が幸せなのか。
何が大切なのかを身をもって一緒に考えられる人間であり続ける。
その資格が僕にはあるのだろうか。
いくら経験が人を作るとは言っても、その時間と空間には限界がある。
ただ自分の中にある答え自体がとても未熟で小さく、そして輝いていることを知っている事が大切だと気付かされる。
ラオスはそんな自分の小さな美しさを感じさせてくれた。
素朴で親切なラオスの人
なぜ上り坂に疲れ切った僕をバイクの後ろに乗せてくれたのか。
田舎の子供達が好奇の目で僕を見て恥ずかしそうに手を振る姿。
無愛想な僕にちょうどいい距離感で微笑んでくれるレストランやゲストハウスのスタッフ達。
この人達は日本という国を知ることはあるのだろうか?行ってみたいと思うのだろうか?
何かモヤモヤした答えのない問題が膨らんでは雷雨に洗い流されてしまう。
そう。何か浮かんだものが突然の雷雨で全て道路の土色の水たまりに吸い込まれてしまうのだ。
ラオス
僕が触れたその国はほんの一部であることは知っている。30日という贅沢な時間は僕にとって自分自身をリセットできる時間になった。
日本で死に物狂いに仕事を引き受けて、我慢して自分でなくても良いような仕事の連続は僕の脳内を壊死させるのに十分である。
特に僕は少しずつわかってきた僕自身のオリジナリティ。
誰かと同じような流れに自分が乗った時の嫌悪感は異様なほどに敏感である。
生温い流れるプールで人生を進むようなドロドロ感のような。
僕はどうやら雪解け水の激流をもがきながら進む人生の方が好きなようだ。
関係ないけどロデオ型のカヤックで激流下りをしたい!とメコン川を見ながら思ったりした。
ブルーラグーンの5mくらいからの飛び込みダイブはかつてラフティングガイドの時に10m飛び込みデモをした経験を思い出した。
そして海外を旅すると毎回思う。
日本って素晴らしい国だ。美しく礼儀正しい。
洗練された農耕民族の穏やかさがある。
島国の外国に攻められにくい立地が豊かな文化を育んだ。
そしてその遺伝子が自分にも組み込まれてあるのだと思って、血液が熱くなるほどに嬉しくなった。
僕がラオスにいる間に大阪を中心とする地震が起こった。災害の多い国だとも思う。
日本は地殻変動と火山の国だ。
そしてその神々の怒りを祈りで鎮めようと踊りや祭りが開催された。
僕はあの時、日本に帰りたいと思っていた。
日本語を話したい。
自分の考えている事を誰かと共感したい。
ラオスの素朴さと寂しさ、食事の旨さも。
雷雨の激しさ、暑さ、メコン川の雄大さ。
空の広さ、ドラえもんやピカチュウの偉大さ。
マンゴーの旨さ、トニックウォーターの旨さ。
そして日本の素晴らしさ。
僕の『世界一周研究室』としてのラオスの旅はもうすぐ幕を閉じる。
世界は広い。
ラオスの地図をGoogleマップで見ながら、行った場所をマーキングする。
僕が死ぬまでに世界をグルリと一周できるのだろうか?ラオスでさえグルリ一周出来なかった。
北部をくるりって感じ。
それでも長距離バスや深夜バスで気分が悪くなり、ウンザリしてる自分がいる。
バイクの旅もいいな。
そんな夢と希望をまた手土産にして帰国までカウントダウンしていた。
動画編集がまだまだ残っている。
今回は旅にGoProを連れてきた。
初の相棒の登場で本当に飽きずに毎日動画撮影。
もっと世界を撮りたくなった。
僕の修行は得体の知れないモヤモヤしたものに包まれて、一体僕自身が変化したのかどうか分からないままだ。
鏡を覗き込む。髭面の薄汚い焼けた肌が南国で放浪した旅人である事を改めて気付かされる。
自分の好きなもの、好きなこと、そしてチャレンジ。行動でしか見えてこない漠然としたその宇宙の集まりは少なくともラオスを旅したことによって、ひとつの銀河の観測に匹敵する何かを感じ取れた。
日本に帰る。
するとまもなく夏のシーズンを迎える。僕の教育者としての本分が始まるのである。人の前に立って話をする事の責任感と重要性を改めて感じる。
『ラオスの人達は日本に行きたいの?』
その問いは象徴的に僕の中に宿った。
参加者は本当に学びたい事は何なのか?
30日間の旅の中で感じた現地の人たちの眼差しは僕の魂の奥の方に何かを優しく刻み込んだ。
ありがとう、ラオス
コップチャイ、ラオス
僕の世界一周の足掛かり。
現地入りするとバックパッカーがアジアの混沌に沈没していく様を横目に見ながら、僕は極楽浄土を目指し進み行く西遊記のように様々なトゥクトゥクに乗った牛魔王達が襲いかかる。
しかし好奇心に導かれ、孤独や不安に立ち止まりそうになる道中も人との繋がりや美しい風景に励まされて進んでいく。
しかし孫悟空のように決定的なゴールがあるわけでもない。ラオスに何があるのかは本当にわからない。今もなおわかっていないかも知れない。
僕は修行に来たのだ。
教育者としての自らを鍛える修行。
他人から認められるような国家資格や認定書も持ち合わせないただのひとりの男が未来を担う青少年達に何を伝えることができるのか。
もう心と心が通じ合う魂の共鳴以外に出来ることはないだろう。
教科書も指導要領も何もない。
ただ人として何が幸せなのか。
何が大切なのかを身をもって一緒に考えられる人間であり続ける。
その資格が僕にはあるのだろうか。
いくら経験が人を作るとは言っても、その時間と空間には限界がある。
ただ自分の中にある答え自体がとても未熟で小さく、そして輝いていることを知っている事が大切だと気付かされる。
ラオスはそんな自分の小さな美しさを感じさせてくれた。
素朴で親切なラオスの人
なぜ上り坂に疲れ切った僕をバイクの後ろに乗せてくれたのか。
田舎の子供達が好奇の目で僕を見て恥ずかしそうに手を振る姿。
無愛想な僕にちょうどいい距離感で微笑んでくれるレストランやゲストハウスのスタッフ達。
この人達は日本という国を知ることはあるのだろうか?行ってみたいと思うのだろうか?
何かモヤモヤした答えのない問題が膨らんでは雷雨に洗い流されてしまう。
そう。何か浮かんだものが突然の雷雨で全て道路の土色の水たまりに吸い込まれてしまうのだ。
ラオス
僕が触れたその国はほんの一部であることは知っている。30日という贅沢な時間は僕にとって自分自身をリセットできる時間になった。
日本で死に物狂いに仕事を引き受けて、我慢して自分でなくても良いような仕事の連続は僕の脳内を壊死させるのに十分である。
特に僕は少しずつわかってきた僕自身のオリジナリティ。
誰かと同じような流れに自分が乗った時の嫌悪感は異様なほどに敏感である。
生温い流れるプールで人生を進むようなドロドロ感のような。
僕はどうやら雪解け水の激流をもがきながら進む人生の方が好きなようだ。
関係ないけどロデオ型のカヤックで激流下りをしたい!とメコン川を見ながら思ったりした。
ブルーラグーンの5mくらいからの飛び込みダイブはかつてラフティングガイドの時に10m飛び込みデモをした経験を思い出した。
そして海外を旅すると毎回思う。
日本って素晴らしい国だ。美しく礼儀正しい。
洗練された農耕民族の穏やかさがある。
島国の外国に攻められにくい立地が豊かな文化を育んだ。
そしてその遺伝子が自分にも組み込まれてあるのだと思って、血液が熱くなるほどに嬉しくなった。
僕がラオスにいる間に大阪を中心とする地震が起こった。災害の多い国だとも思う。
日本は地殻変動と火山の国だ。
そしてその神々の怒りを祈りで鎮めようと踊りや祭りが開催された。
僕はあの時、日本に帰りたいと思っていた。
日本語を話したい。
自分の考えている事を誰かと共感したい。
ラオスの素朴さと寂しさ、食事の旨さも。
雷雨の激しさ、暑さ、メコン川の雄大さ。
空の広さ、ドラえもんやピカチュウの偉大さ。
マンゴーの旨さ、トニックウォーターの旨さ。
そして日本の素晴らしさ。
僕の『世界一周研究室』としてのラオスの旅はもうすぐ幕を閉じる。
世界は広い。
ラオスの地図をGoogleマップで見ながら、行った場所をマーキングする。
僕が死ぬまでに世界をグルリと一周できるのだろうか?ラオスでさえグルリ一周出来なかった。
北部をくるりって感じ。
それでも長距離バスや深夜バスで気分が悪くなり、ウンザリしてる自分がいる。
バイクの旅もいいな。
そんな夢と希望をまた手土産にして帰国までカウントダウンしていた。
動画編集がまだまだ残っている。
今回は旅にGoProを連れてきた。
初の相棒の登場で本当に飽きずに毎日動画撮影。
もっと世界を撮りたくなった。
僕の修行は得体の知れないモヤモヤしたものに包まれて、一体僕自身が変化したのかどうか分からないままだ。
鏡を覗き込む。髭面の薄汚い焼けた肌が南国で放浪した旅人である事を改めて気付かされる。
自分の好きなもの、好きなこと、そしてチャレンジ。行動でしか見えてこない漠然としたその宇宙の集まりは少なくともラオスを旅したことによって、ひとつの銀河の観測に匹敵する何かを感じ取れた。
日本に帰る。
するとまもなく夏のシーズンを迎える。僕の教育者としての本分が始まるのである。人の前に立って話をする事の責任感と重要性を改めて感じる。
『ラオスの人達は日本に行きたいの?』
その問いは象徴的に僕の中に宿った。
参加者は本当に学びたい事は何なのか?
30日間の旅の中で感じた現地の人たちの眼差しは僕の魂の奥の方に何かを優しく刻み込んだ。
ありがとう、ラオス
コップチャイ、ラオス