本日はHOKUBU→500m→市民→さいとう→スカイホール→三越→らいらっく→富士フイルム→大通→道新→紀伊国屋→大丸→道銀駅前支店の13か所。
昨日の夜からめっきり寒くなってきた。朝、外に出ると雪が残っており、札幌もついに初積雪である(すぐにとけた)。
■HOKUBU記念絵画館「黒崎彰と舩岳紘行」。今年最後の展覧会かな。この美術館の予定表は年度ではなく年替わりだが、来年の展覧会も決まったようだ。
舩岳紘行「山が割れた日」:この人の作品はカラフルな色彩と共に、民族的・土俗的・宗教的なイメージがある。
黒崎彰「浄夜67」:初めて見る作家の木版画。1968年の作品で、何となくこの時代の色彩感がある。
舩岳紘行「秘密の桃」:桃といえば不老長寿の妙薬でもあるし、作品を見るとアダムとイブのリンゴを表現しているようにも見える。猿や魚人間、ペガサスとフラミンゴのあいのこのような鳥と、登場するメンバーにも一々目が行く。
黒崎彰「二つの時の間に6」:1980年代の作品からは派手な色彩が無くなっている。
舩岳紘行「白樺の森」:白樺は特徴的な表皮を持つ木だが、そこに目を描き込んだ不気味な作品。何人かの人物、キツツキ、ウサギにもそれぞれ寓意があるのだろうか。
黒崎彰「石のかま」:1990年代も末になり、よりシンプルな色と造形に絞り込まれた作品だ。
この後、コーヒー休憩。今日はお菓子が無かったので、経費節減の影響がここにまで及んでいるのだろうか。
■500m美術館「emerging artists 2023」。
大西涼子「おとなしそうだから」:突然声をかけてくる男に対する恐怖心や不快感をテーマにした作品。一見、可愛らしい作風ながら、良く見ると不快感が伝わってくる。これ、私はあまり感じていないことなのだろうな。
小里純子「みんなとちがって何がわるい」:私ももちろん何が悪いと思うのだが、これ、気がつかないところで違う他人を否定しているのかもしれないことを、常に意識する必要があるのだよな。
辻悠斗「丁寧な草むしり/in-form」:植物を経由した会話というのがテーマ。私には私が思うことを植物が表現できる気がしない。
櫻田竜介「複数の層と厚みと奥行き/ひらかれるイメージとかたち」:実際に目にしたものからある部分を抜き取って構成した作品。それはもしかすると抽象化というプロセスの一つかもしれない。撮影した作品は何となくベンチを思わせるが、実体化が十分ではないために、座るとたちまち壊れてしまうのだろう。
中野みか「draw freely as you like.(好きなように自由に描く)」:そりゃ、自由に描くのがいいね。自分の固定観念からも。
Mai Kimura「Sweetness passes」:あえての「非」インスタ映え。
川村正寿「例えば、車にのると身体が大きくなったような気がしたり、」:ホント、態度デカくなる人いるよね(多分、私もそう。だから運転しないのだ)。
瀬川綺羅「学校」:私が行っていた時代はまだ緩かったが、今の学校には耐えられないだろうな。
■札幌市民ギャラリー「第6回 nor-hay展」。
柳川育子「風景(1)」:この人の作品はロマンティックで何だかステキ。
久藤エリコ「(多分、作品名なし)」:柱の周りに切り絵が展示されており、何となくシンボルを中心にして踊っているかのようだ。
會田千夏「種子-オマージュ-」:「林さん未完の絵に加筆」と書いてあって、大胆不敵。
田中季里「(無題)」:画から飛び出た部品も良い感じ。
■スカイホール「伎の和11人の版表現」。
高野理栄子「Ame」:今の季節にピッタリの冷たい雨に見える(現実には雪が降ったが…)。
木村多伎子「幻花」:これでもかと植物。季節が違う花もあるので、そこが「幻」なのだろう。
水野惠子「静かなる」:白黒でどことなく緊張感を感じる作品。
水野惠子「水・日・花」:植物を顕微鏡で見たかのような透明感がある。
石川亨信「凹凹に」:タイトルは凹版画であるところから来たのだろうが、まさしく星雲を思わせる気持ちの良い作品。
竹内博「なんてったってゴム長」:道展でも見た長靴がメインテーマの作品。ほんのり色違いなのもいいよね。
■大丸画廊「「蝦夷猫物語」谷地元麗子 日本画展」。「猫ずしざんまい」と「麗子像」にちょっと笑いが。
■北海道銀行札幌駅前支店ミニギャラリー「駒澤千波展」。道銀ミニギャラリーも閉館となり、どんな様子になっているのだろうと思って見に行ったら、思った以上に立派な作品展示(十数点)がなされていた。
駒澤千波「真夜中のサーカス」。
駒澤千波「Three rabbits」。
とは言え、閉館は建物の建て替えによるものなので、いずれは展示も終わるのであろう。また大通の「らいらっく・ぎゃらりい」も、2023年12月末で閉館になるらしい(いずれ、移転再開とか)。