春夏秋冬 思いのままに

春夏秋冬東西南北右往左往の過去現在、そしておそらく未来も

暑い日の過ごし方

2010年07月04日 | 日記
もものことであります。
フローリングと和室の境、敷居のほんの5Cmの段差を枕に
ごろりと横になり過ごします。

目の先にはガラス戸があり居ながらにして外が見えるのであります。
時々外を子供が通るとわん、わん吠え尻尾を振りガラス戸に近づきます。
気が済むと、また定位置に戻りごろりと横になり体を冷やします。
クーラーの風がそこに当るのです。

眠さに負けて目をつぶります。ちょっとした音に目を開けます。
それを繰り返すのを、ずーと見ているのが私です。

午後は外出致します。


もものこと

2010年07月04日 | 日記
足元にももが居て、常に、はっ、はっとしているのであります。
暑くてたまらないので動くのも億劫なのであります。
尻尾ふるのも億劫で、呼んでも目を合わせる程度であります。

風呂が嫌いで、グルーミングが嫌いで
従って、部屋中もも(の毛)だらけなのであります。
本人一向に気いしませんが、来客の度に要らぬ言い訳をしなくてはなりません。

10才の老女、自分本位なのであります。

自転車のこと

2010年07月04日 | 日記
久しぶりに自転車に乗った。
例の自慢のコルナゴである。

事故に合ってから、10か月ぶりである。
幸い車に大した傷もなく、急ブレーキを掛けたための片摩耗がタイヤに出来たが、
びっくりしたのは体力である。
ろくにペダルが踏めないのである。
上半身の筋力が無く、ふらつくのである。
これは困った。なのであります。
古傷もうずく。

こんなことではいけないとおもっております。
たいりょくをかいふくするしかないのであります。
増強なのであります。

自転車は問題なかったのであります。
これだけが嬉しかったのであります。


生まれること

2010年07月04日 | 日記
近所に子供が生まれた。
親は大変なのであるが私嬉しくて仕方ない。
泣き声が聞こえる度に、にやりとするのである。

少子化時代と言われているのだが、甥の一家は3人の子供がおり、姪の一家には4人目の子が生まれた。
本人たちは製作担当者だから大変は当たり前なのだが、見ている方は楽しくて仕方ないのである。
近くの公園では学校が終わった後、親たちが勤めを終えて帰るまでの間、サッカーやゲームをして過ごす子供たちがいる。
中に女の子もおり、ドリブルやリフティンブも結構上手い。
やるなー、なのである。

私の時代は団塊の世代と呼ばれた。
石を投げれば団塊の世代に当たると言われた。
その中に居ると居心地が良かった。

彼らがその時になった時、なんと言われるのだろうか。
世代を超えて協調の世代を作って欲しいと思う。
公園でももと遊んでいると話しかけてくる子もいるんだ。
楽しいね。


歌うこと

2010年07月04日 | 日記
サッカーのW杯の試合開始のセレモニーで肩を組んだ選手と
サポーターが君が代を歌うのを見ていた。

国歌を歌うということではなく、心を一つにするというその一点で国歌を歌うことに率直に感動した。
単にこの感動の大きさはサッカーがすでに国技の域かと思うのはミーハーだが、世界に代表を送り出して頑張ってもらった上でのことで、眠さ以上に元気を貰った。

一方、国技と言われている相撲の表彰式後の国歌斉唱は相撲の歌と勘違いさせた程の貧弱なものだ。
観客に年寄りが多いせいか活気も元気もない。
ああ言う閉鎖的な組織、指導者が勘違いして国技だ、特別な存在だと思い込んでいる。
こんな組織だったのかと思うと真剣に批判することもばかばかしい。
元来私は相撲が大好きだが、すでにプロレスには悪いがそれ以下に成り下がったと思うのは言い過ぎか?

相撲も太陽の下で日焼けしながら戦ってみるのも良い。
あんな白い肌のぷよぷよ力士よりもっと精悍で勇ましい本物のアスリートが出来上がる。
それより何より、白日の下で正々堂々と戦うことを提案する。

いまサッカー万歳なのである。
国歌が心を一つにするシーンを久しぶりに見た。
その中に私も居たことが嬉しかった。
大げさにも涙が出た。
彼らは大半が20歳代、団塊は追い抜かれてしまった。