横浜のほほん・続

植物や生き物を見ながら歩いて感じたことなどを中心に日々を綴る。

本当に久しぶり、三渓園

2023-03-14 17:17:59 | 日記



久しぶり、本当に久しぶりに横浜市本牧の三渓園に行ってきた。







この前は18年前ぐらい? たしか6月下旬で、この池のハスも蕾が固かったように思うが、
ハンゲショウやアジサイ、ホタルブクロそれにドクダミなどが咲いていた。







大池にはキンクロハジロなどのカモがいっぱい。
池畔の藤棚の向こうの建物は鶴翔閣といい、明治35年に実業家の原三渓が住まいとして建てた。
このころから造園に着手し明治39年に三渓園が開園し、外苑は無料で一般公開された。

大正3年に京都・木津から旧燈明寺三重塔を移築した。







三渓園は大池まわりの外苑と鶴翔閣に連なる私庭としての内苑からなる。
太平洋戦争の空襲で大きな被害を受けたが、昭和28年に(財)三渓園保勝会の管理となり復旧工事が進められた。

前回は大池周りを歩いた程度だが、今回は内苑のほうも見てきた。
内苑の入り口は、この御門だ。宝永5年(1708)に建てられた京都・西方寺の薬医門を移築したという。







薬医門というのは棟の中央付近を支える本柱と後方に控柱がある構造になっている。







御門から進んでいくと臨春閣、月華殿、天授院、聴秋閣、春草廬、蓮華院など10棟ほどの建造物がある。







臨春閣は紀伊徳川初代藩主の頼宜が和歌山・紀ノ川畔に建てた数寄屋風書院造の別荘で、
慶安2年(1649)に建築され、大正6年に移築された。







臨春閣を過ぎて渓流沿いを上がっていく。岸辺にタンポポが咲き始めていた。







蓮華院はどこかからの移築ではなく、原三溪が自らの構想により大正6年(1917)に建てた茶室だ。
一部に平等院鳳凰堂の古材が使われているそうだ。







春草廬は桃山時代に織田有楽斎(信長の弟で茶人)により京都伏見城に建てられた茶室で、
その後、京都・宇治の三室戸寺金蔵院に移されていたのを、大正11年(1922)三渓園に移築した。
ちょうどオオカンザクラが咲いていた。

一つ一つの建物の中に入ることは出来ないが、蓮華院以外は重要文化財に指定されていて外見だけでも興味深かった。



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