日本の開国を断行し、安政の大獄で吉田松陰らを殺害し、桜田門外の変で逆に暗殺される井伊直弼(実は14男だったということを知るともっと面白い)。
井伊大老として幕府の実権を握っていた井伊家はどのようにして生まれたのか???というのが先日のヒストリアのテーマだったように思うが、
主人公の井伊直虎。すごく恐ろしい男子を想像するが、…実は女性。!!!
1535年、遠江(とおとうみ、浜松のあるところ)の「井伊谷」(いいのや)の国人領主(15ほどの集落)の子に生まれる。
龍たん寺にある井伊家伝記によると、。
1544年に直虎のいいなずけ直親が家督を継ぐ予定だったが、陰謀で直親は排除される。
それにより、直虎は剃髪し仏門に入る。(生涯独身を決める)
1555年、直虎に知らせ。それは直親が生還し、別の女性と結婚し、子供直政も生まれということだった。失意のどん底!
ところが、2年後今川氏に直親が暗殺され、直虎が家督を継ぐことになった。!!
直虎は尼にならず、僧侶になった。そのため、結婚はできないが、家督は継ぐことができた。
1556年、新城主直虎誕生。
「戦費の捻出」「領民への気遣い」「大名に絶対服従」で国人領主は大変。
直虎という花押(普通男性しか使わない)
今川氏から徳政令を出すように言われるが、引き延ばしに成功し、徳政令を1年半も出さなかった。
それでも、今川に領地を盗られて、逃げることに。
1568年、龍たん寺へ。そこで、今川氏が滅亡。
徳川か武田かのどちらかを決めるときに徳川を選ぶ。(理由は直親が選んでいたから)
1575年、直虎は直政を家康の家臣にしてもらうように、鷹狩りの時に会わせることに成功。
直政は「万千代」という名前までもらった。
その後、直政は家康を刺客から危機一髪で助ける。やったね!
武田を相手に獅子奮迅の活躍。
見事、井伊家再興。
1582年6月2日、本能寺の変で信長が殺され、最大の危機だった家康を直政は「伊賀越」で三河に逃がすことで救う。すごいね!!
その功でクジャクで作った陣羽織もらうし、彦根城主として譜代大名に
そうしたことで、直政は家康の側近中の側近となり、代々受け継がれ、直弼につながったようだ。 彦にゃん万歳!!
直虎は1582年8月26日なくなった。あまり、知られていないが、素晴らしい功績だったなあ。イイネ!