徒然幸せ日記

作者が日常の生活で見たこと、感じたこと、感動したこと!を書いています。
特に、「幸せ」とは何かについて考えています。

蔦屋重三郎のアイデアとは?(from知恵泉)

2014-05-30 23:02:46 | テレビ番組

 5月27日に「知恵泉」で放映の蔦屋重三郎(1750年江戸吉原生まれ)

 25歳で本を売り、貸本屋も。その後、本を出版したというが、今日の「TSUTAYA」とは関係なさそう。

 まず、作ったのが、吉原細見(ガイドブック)

 当時の吉原は2万坪。200軒の大小の店。2000人の遊女でガイドブックが必要。

 参考までに、吉原は当時グルメタウンでもあった。

 吉原のヒット商品「山屋の豆腐」(当時は風流なおつまみだった)

工夫した点

1 レイアウトを工夫

  たて長本にして、通りを中心にして店と遊女を記載、遊女のランクも

2 値段を下げた

3 平賀源内のような著名人に序文を書いてもらった

次に、狂歌(五七五七七で読まれる川柳のようなもの 

例「世の中は色と酒とがかたきなり 早くかたきに巡り会いたい」 )が当時はやっていたが、

自分が狂歌の愛好者になり、

1 一流とつきあえ!

四方赤良(よものあから)らに蔦唐丸(つたのからまる)というペンネームで接する

2 安定した収入源を確保しろ!

今まで、読み捨てだった狂歌を「狂歌集」として出版。

3 組み合わせろ!

独占文字だけの狂歌集に浮世絵を添えて、「狂歌絵本」として大ヒット

また、1787年 松平定信による寛政の改革が始まると蔦屋の本が発禁処分となり、財産の半分を没収されるが、こだわりを貫き、

将来性のある若者を育てた

 喜多川歌麿→狂歌絵本の挿絵を任せる

 1794年 東洲斎写楽をデビューさせる。

 滝沢馬琴(南総里見八犬伝) 十返舎一九(東海道中膝栗毛)を育てる

 江戸の文化に革新を起こした。今と言うより、江戸文化の将来を見ていた。

 どん底の中でも屈しない精神。愚痴は言わない。反省して前を向く。

 人の集まるところに知恵が生まれ、ヒットが生まれる。

 ウィキペディアによると、48歳の時、脚気で亡くなったとか。短い人生でも立派な人は多いなあー。  

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