和泉式部ってご存じですか?
私は、名前くらい知りませんでしたが、紫式部や清少納言と共に平安王朝の三才女と呼ばれている人とのことです。
さて、そんなことはさておき、本日の主人公、和泉式部。NHKの女優さんが色っぽい(永田沙紀さんというらしい)こともあって、物語が非常に面白い。
和泉式部は今で言う「魔性の女」。当時の権力者藤原道長に言わせれば「うかれ女」
でも、最初から浮かれていたわけではない。身分的に高くない和泉式部は最初は名前の由来となった夫、和泉守橘道貞と平凡に幸せに暮らしていた。
当時は一夫多妻の世にあって、女性は御簾の後ろで顔も見えない。いくら美人でも顔で勝負できない。そう!なんと和歌で勝負して宮中の男性に気に入られて結婚するような世界。
夫が地方に出向している中、どうも他の女と暮らし始めたということを知り、弾正宮というイケメン皇子からの和歌に「揺れてますよ」と返事。このことが二人に火をつけた。
夫と絶縁。父からは勘当されても燃え上がる炎は消せない。
しかし、愛する弾正宮は1年ほどで病死。
その後、しばらくして、今度は師宮(そちの宮)(弾正宮の弟)とも恋に誘惑?
乳女(めのと)が猛反対し、一時は師宮の足が遠のくが、和泉式部が石山寺詣していると、師宮からの歌で京へ戻る。その後2人の恋は燃え上がる。
そして、和泉式部は宮中へ召され、正妻を追い出すことに。
しかし、また、4年後、師宮が病でなくなる。この辺が魔性性を帯びている!!
1年後、一条天皇の后、藤原彰子に仕えることに。(紫式部と同じ人に仕えていたらしい。)
当時は30歳を過ぎると「紅葉の下葉」、40歳で老人と言われていたが、和泉式部は40歳頃に藤原保昌と再婚。
「あらざらむ この世の外の 思い出に 今一たびの 逢うこともがな」(百人一首)を読み、 60歳前後で亡くなる。
この華々しい遍歴。当時、和歌の世界は身分でなく実力主義の世界。
日本全国に和泉式部の墓が22もあるらしいが、一番のゆかりの場所は新京極の誠心院。
「冥きより 冥き道にぞ 入りぬべき はるかに照らせ 山の端の月」を読み、偉いお坊さんに袈裟をもらい浄土へ召されたとのことで、女性の参拝が後を絶たないとか。
本当に大きな魂を持った人だったのだろうとつくづく思う。