先日、NHKのヒストリアに登場した松浦武四郎。
この人の名前を聞いたことがある人はどのくらいいるでしょう?
実は、私も最近まで知りませんでした。
しかし、たまたま仕事の関係で、この人を知ることになり、また、たまたま、番組を見ることになったのです。
NHKによると、
「明治時代、それまで「蝦夷(えぞ)地」と呼ばれていた地を「北海道」と命名した男がいる。三重県出身の旅好き・松浦武四郎だ。アイヌの人々の優しさと知恵に助けられながら各地を旅する武四郎。しかしやがて、武四郎はアイヌの人々がおかれている厳しい現実を目の当たりにすることになる。武四郎は「蝦夷地」から「北海道」への改名を新政府に提案。そこには、アイヌの人たちとの共生を目指す武四郎の熱い思いが込められていた。」と書いてありますが、
番組を見た感想から言うと、
1 武四郎は変人。歩くのが好き。どうして長崎でお坊さんになりながら、また、蝦夷地まで出向くことになったのか?
2 アイヌの人の言葉がわからないのに、どうして会話でそれをわかるようになったのか?
3 明治政府になってアイヌの人は強制労働しなくて良いようにと提案しながら、実現しなかったら、辞職して隠居してしまう。
4 それでも、武四郎が挿絵付きで残した24冊以上の本が、今日のアイヌの人たちを守っているということ。
それらが、素晴らしい!!
なお、武四郎が命名したのは「北海道」ではなく、「北加伊道」。
だれが、いつから「北海道」にしたのかは明らかではなかった。
「カイ」というのは、アイヌの人たちにとって、確か「神が宿っている、神聖な」という意味だったと思う。
オンデマンド等で確認してほしい。
総括:人間、大志のおもむくままに、一生懸命何かをするとそのことが、後から評価されるのかな?!
参考:三重県の松阪市に「松浦武四郎記念館」があります。
以下は松阪市のHPより
テーマ 武四郎とアイヌ民族
期 間 平成27年8月4日(火)~ 9月27日(日)
内 容 幕末に鎖国を続ける日本に対し、開国を迫り来る諸外国。
とりわけロシアの南下は、当時の日本にとって大きな脅威でし
た。
松浦武四郎は長崎で、ロシアの蝦夷地進出に対する日本の危機
を知り、日本を外国から守る上で最も重要な地こそ蝦夷地であ
ると考えました。
しかし、自らを含めほとんどの人びとは蝦夷地がどんなところ
かさえも知らない状況に強い危機感を抱きます。
武四郎は、28歳から41歳まで、アイヌ民族の協力を得て、6度に
わたり蝦夷地を調査し、地理や産物、アイヌ民族の暮らし、松
前藩の蝦夷地経営など、さまざまな情報を記録しました。そし
て、紀行本を出版することで、多くの人びとに蝦夷地の様子を
伝え、蝦夷地に最も詳しい人物と評価されます。
展示では、武四郎の蝦夷地調査の様子とアイヌの人びとの文化
について、重要文化財に指定された資料を中心に紹介します
この人の名前を聞いたことがある人はどのくらいいるでしょう?
実は、私も最近まで知りませんでした。
しかし、たまたま仕事の関係で、この人を知ることになり、また、たまたま、番組を見ることになったのです。
NHKによると、
「明治時代、それまで「蝦夷(えぞ)地」と呼ばれていた地を「北海道」と命名した男がいる。三重県出身の旅好き・松浦武四郎だ。アイヌの人々の優しさと知恵に助けられながら各地を旅する武四郎。しかしやがて、武四郎はアイヌの人々がおかれている厳しい現実を目の当たりにすることになる。武四郎は「蝦夷地」から「北海道」への改名を新政府に提案。そこには、アイヌの人たちとの共生を目指す武四郎の熱い思いが込められていた。」と書いてありますが、
番組を見た感想から言うと、
1 武四郎は変人。歩くのが好き。どうして長崎でお坊さんになりながら、また、蝦夷地まで出向くことになったのか?
2 アイヌの人の言葉がわからないのに、どうして会話でそれをわかるようになったのか?
3 明治政府になってアイヌの人は強制労働しなくて良いようにと提案しながら、実現しなかったら、辞職して隠居してしまう。
4 それでも、武四郎が挿絵付きで残した24冊以上の本が、今日のアイヌの人たちを守っているということ。
それらが、素晴らしい!!
なお、武四郎が命名したのは「北海道」ではなく、「北加伊道」。
だれが、いつから「北海道」にしたのかは明らかではなかった。
「カイ」というのは、アイヌの人たちにとって、確か「神が宿っている、神聖な」という意味だったと思う。
オンデマンド等で確認してほしい。
総括:人間、大志のおもむくままに、一生懸命何かをするとそのことが、後から評価されるのかな?!
参考:三重県の松阪市に「松浦武四郎記念館」があります。
以下は松阪市のHPより
テーマ 武四郎とアイヌ民族
期 間 平成27年8月4日(火)~ 9月27日(日)
内 容 幕末に鎖国を続ける日本に対し、開国を迫り来る諸外国。
とりわけロシアの南下は、当時の日本にとって大きな脅威でし
た。
松浦武四郎は長崎で、ロシアの蝦夷地進出に対する日本の危機
を知り、日本を外国から守る上で最も重要な地こそ蝦夷地であ
ると考えました。
しかし、自らを含めほとんどの人びとは蝦夷地がどんなところ
かさえも知らない状況に強い危機感を抱きます。
武四郎は、28歳から41歳まで、アイヌ民族の協力を得て、6度に
わたり蝦夷地を調査し、地理や産物、アイヌ民族の暮らし、松
前藩の蝦夷地経営など、さまざまな情報を記録しました。そし
て、紀行本を出版することで、多くの人びとに蝦夷地の様子を
伝え、蝦夷地に最も詳しい人物と評価されます。
展示では、武四郎の蝦夷地調査の様子とアイヌの人びとの文化
について、重要文化財に指定された資料を中心に紹介します