あらゆる宗教の起源は、自然現象の解釈から発している。
神と云う観念も恐れと云う観念も、各民族の生活環境から発生する。
依って神の観念も異なって来る。
原始仏教は何を探求して居たのか?
その哲理を一言二言で現すとすれば、
* この現世とは、何か? であり
* 我々は、そのなかで、如何に生きるべきか、の道の探求である
原始仏教のすべては、そこから派生したものだ 膨大な教典をふくめて、最初の志向がそうだ。
現世とは短い、食べ物、衛生、怪我、などで命が終わった。
日常の救済が、殆どが確立されていなかった古代に於いては人の一生は、今より短かった。
永い平和が続いた江戸時代の平均寿命は確定されていない。当時の幕府にしても藩政府にしても、家臣を別にして、全国の死亡統計を出してはいない。藩を見ても領民の死亡年齢は江戸中期まで記録されていない。もしもその記録を探るとすれば、膨大な寺院の過去帳に頼る外は無いだろう。幸いなことに、過去帳は寺の火災を省けば、大抵は見出される。立川昭二先生のご本「日本人の病歴」それによると、江戸時代の平均寿命は、男が、28‣7歳、女が、28・6歳となるという。これは0歳の平均余命で、この年齢の異常な低さは、乳幼児死亡率の高さにある。この時代の乳児と幼児の死亡率の異常な高さは、例えばその年の全死亡率の70%~75%を占めている。この0歳から5歳に掛けての死亡率は凄く多い。江戸時代の終りに日本を訪れた外人が見た記録では、「日本は子供の天国である」という。それは大人が、子どもの死亡率を知って居たからでもあろう。当時の諺では「5歳までは子供は神様の預かり物だ」という。それは子供がいつ死んでしまうか解らない程、死が多かった為であろう。古来、日本人は子供を、余り叱る事がなかった。子供は好きなようにさせて置くことが一般的でもあった。
日本では60歳を「還暦」と謂う、それは「暦が元に戻る事」であり、再び新しい歳が始まる事だが、其処まで生存できぬ人も居られる。還暦では赤いちゃんちゃんこを、子供達や孫たちが作ってくれて祝って呉れる。なんという嬉しいことだろう。だが、今の世の中では60歳では人の世の区切りとは見てくれない。少ない年金を出すのは65歳を過ぎてからだという。人には親から授かった、持って生まれた体という物がある。丈夫な人も居るが、丈夫でない人も居る。元気さも働いてきた仕事の種類にも因るだろう。誰もが丈夫なわけでもない。
そして70歳を「古希」と謂う。古希とは杜甫の漢詩からの「古来希なり」の事であり、日本の同世代のたぶん半分の人は、この古希を迎えられなかったに違いない。人々はこの呼び名を基に己の人生を計った。つまり終わりの用意、心掛けをしたのだろう。ここには永い時を経た先人の知恵があった。70歳をすぎれば、いつ最後が来るかを知らなくては為らない。永遠に明日があると思う者はおろかなのである。兼好法師は随筆集「徒然草」のなかで、そんなことを語っていたような気がする。それでも同じ事を繰り返す以外に、特別な事をする訳でもない。それが人生の実態でありまた要諦でも在ろう。
喜寿は77歳という、喜びの歳であろう。これだけ生きれば古代人には喜びであった。この歳くらいが自分で身を養う限界か。働くにも体の点で困難になる。むかしは体を酷使する仕事が多かった為に、この歳に成れば、相当にガタが来ている。助けてくれる者が無ければ、命は続くまい。人それぞれで、北斎は90歳でも絵を描いていた。
傘寿は80歳という。まあこの辺に至れば否が応でも人生の終りを想わざる得なくなる。この歳でも元気な人は元気である。
米寿は88歳である。現代ではこの歳が迎えられる人も多い。この歳に成ると圧倒的に女性がおおい。女は生物的には強く作られている。それが自然の摂理だ。
卒寿は90歳である。90歳とは世の中の多くを見て来たに相違ない。多くの智慧も在る事だろう。白寿は99歳である。この歳で矍鑠している方は、本当に素晴らしいことだ。
さて、大まかに人生の区切りを見て来た。人生が長く成って人間は変わったであろうか。人生が伸びただけ人々は幼稚に成ったとの見方もあるが、本当はどうなのか一概には言えないだろう。
さて、ゴータマ・ブッダの主導された仏教は、彼の大悟から始まり其の生涯は80年に及ぶとされている。釈尊は修行の過程で、それ以前の探求者の道から多くの物を受けている。仏陀が苦しい修行体験から得た物は、人生の真の道を得るのに、刻苦の修業が、何んの役にも立たなかった発見だったろう。勿論、人としての道に節制と克己は不可欠で、断食を為して死の淵まで行く経験も貴重だし、千日登峰も必要だろうが、では、それで人生の諸問題と命の存在の意味を問い、人の道の心底に出会うことが可能だろうか。仏陀の得た体験は華厳経に書かれているとされてゐる。仏陀ほどの人が自ら書いた論書を残さななかった。書いたのは側にいた謂わば修行者としての書記たちである。なぜ書かなかったのだろう。「書いた物にはいずれ誤解と改竄が生ずる」そう思って居たのだろうか。孔子もソクラテスもキリストも自分で書いた著作や日記は残さなかった。この人達が文字を書けなかったとは思えないから、何らかの理由が在るのだろう。
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