ランチの後、三田駅へ向かい次の神社へ。
神社⛩の裏側には、変わった狛犬さん発見。2匹一緒の狛犬さん、めずらしいですよね。
右側の狛犬さん。
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藤原藤房は、万里小路藤房(までのこうじふじふさ)のことで、江戸時代の儒学者・安東省菴によって、平重盛、楠木正成とともに日本三忠臣に数えられている人物です。
藤原藤房がご祭神の神社はとてもめずらしいそうです。御穂鹿島神社は、御穂神社と鹿島神社の二社を合祀した神社です。
でも、ご朱印は二神社(笑)。
御穂鹿島神社は
落語『芝浜』の舞台となった場所
なぜ友人がこの神社へ来たかったかというと、落語の『芝浜』の舞台となった場所だからーーということでした。
鳥居の左には、芝濱囃子の碑(題字:橘右近)があります。橘右近さんは「笑点」でおなじみの落語家さんだったのですね。笑点は好きですが、落語はあまり詳しくないので、芝浜の話を知らないというと、アニメ『昭和元禄落語心中』を勧められました。芝浜は年末に演じられる題目だと知りました。
ここで歌舞伎好きの友人が落語でもマニアック?な知識を披露してくれました。御穂鹿島神社の目と鼻の先は、海だったそうです。その水位がどこまであったのかを示す印が狛犬さんの台座にあるんだよと。
右側の狛犬さん。
「あった、あった、ここだよ、これ」
友人に言われるがまま覗き込むと、
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↑(矢印が見えますか?)
矢印が見えました。
「へぇ〜、ここまで海だったんだね」
びっくりするとともに感動しました。
神社の前にある本芝公園の一角にある立て看板には、当時の地図と共に説明文が書いてありました。
案内碑の向こう側にはJRの高架下の地下道があります。
立看板には、
「(中略)公園の位置は、東海道(現在の第一京浜国道)の裏あたりの海に面した砂浜で、江戸時代には、魚が水揚げされたため雑魚場(ざこば)と呼ばれた。人情話「芝浜の革財布」はこの地が舞台である。」
と書いてありました。
ちなみに桂ざこば師匠のお名前も雑魚場からだそうですよ。
地図を拡大してみました。
拡大図のところにある水色の部分は海。
今よりも海岸線がかなり内側にあったことがわかります。神社も海っぺりにありましたね。
現在の地図もアップしておきます。
この辺は海だったんだねーーと話しながら、地下道を抜けると見慣れた場所に出ました。右に曲がってまっすぐ歩くと、田町の駅でした。何度か通っている道を少し離れたところに御穂鹿島神社があったとは(笑)。歩いてみないとわかりませんね。
せっかくここまで来たので、久しぶりに品川神社へ寄ってみることにしました。
続きます。