”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2009年11月10日 20時43分38秒 | Weblog
11月10日(火)曇のち雨

夕方から雨になってしまいましたね。
ところで今日の話は昨日に続き日本の神様の第二弾です。今日は恵比寿様(戎あるいは夷とも書きます)の話をしたいと思います。
恵比寿様は七福神の中では唯一仏教や中国にゆかりのない神様のようです。元々日本の古代においてエビスあるいはエミンと言うのは外来の異人を指して言う言葉であったことから恵比寿様は異国から漂着した人だったと推測されています。漂着した海辺の民に新しい文化や技術をもたらしたことから尊敬され神格化した神様だったのだと自分は考えています。多分漁業に秀でた知恵を持っていたのでしょう。

そんな訳で元々は海辺の民の間で信仰されていた性格の荒い「寄り神(漂着神)」だったと言われています。立烏帽子をかぶり、鯛を腋下にかかえているのは海辺の民の漁業神だったことを物語っています。漁業の守護神となっていったのは大黒様が農業(穀物)の守護神であったのと対称的ですよね。僕の田舎の台所の神棚には大黒様と恵比寿様の像があって正月にはお供えをしていましたが何か納得できそうです。

その後魚介類を他の物と交換する市場のも広まり、市に祀られるようになり「市神(いちがみ)」として信仰されます。そこから漁業関係者や商人の守り神になって行く訳です。
そしてさらに都市部において「商業神」として祀られるようになり、商売繁盛をもたらす守護神として商家をはじめとする民間に普及していったようです。西宮神社や大阪の今宮神社の十日戎の祭り(1月10日)は有名です。戎(えびす)さまを祀った神社では一般に二十日戎と言って10月20日に祭りとなる神社が多いようです。十日戎にしても二十日戎にしても商家が祭りとして安売りをするなどして全国に広まっていったようです。

恵比寿信仰の始まりは西宮神社とされていますが、この西宮神社も元々は広田神社に属していた神社で神功皇后を祀っていたそうです。神功皇后が天照大神の荒魂を祀ったことに始まり、それが阿弥陀仏になり、その摂社として夷(毘沙門天)と三郎(不動明王)があったとされています。それらが恵比寿神と混同・合体して現在の恵比寿になっていったと言われています。そのため夷三郎(えびすさぶろう)とも呼ばれているようです。

こうみてくると人間と言うのは結構てきとうなことをしていますよね。結局自分達の都合の良いように変化させていってしまいます。ただ元々の原型となる姿・形は意外と継承されていくものなのです。大黒にしても恵比寿にしても守護の範囲はどんどん拡大していくけど原形は元々のままなのですから。

今日は恵比寿様の話でした。毘沙門様の話はまた次回とします。
それではまた。

コメント
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