10月12日(木) 曇
昨日は「隠れた庭園探訪(東海編)」と言う毎日文化センターの講座の第一回と言うことで伊賀の城之越遺跡公園に行ってきました。今回はその報告です。
なお10月8.9日のヨット部OB会の模様には新たに往年のオールドセイラー達の写真をレイア号と共に公開しました。
10月11日(水) 晴
朝9時10分発の近鉄特急に乗り、伊勢中川で乗換て伊賀神戸で下車。伊賀神戸から第三セクターの伊賀鉄道で比土に行きます。周囲は田んぼと畑だけの無人駅です。中部庭園同好会の講師と14人の受講生で田んぼの中を歩くこと10分。城之越遺跡公園に着きます。
このあたりはこの公園管理事務所があるだけです。
ここは古墳時代の遺跡が最近発掘され、五穀豊穣を祈る祭祀跡が見つかったことから全国に知られるようになったようです。この祭祀跡が日本庭園のルーツと言われているのです。泉の水と貼石・立石からなり五穀豊穣の神を崇める祭祀の場として使われていました。その泉から流れる水と石の配置がその後の日本庭園の基礎になっていると言われています。
まぁこれだけを見ては何とも言えないでしょうが泉の水を調節する板や水汲み場には石が階段状に重ねられていたようです。そして写真の下は暗渠と言われ水田に水を引く構造になっていたとのことです。
結構広い遺跡公園ですが訪れているのは我々だけでした。事務所の管理人もチェーンソーで何か作業をしていたようで入場するのに管理人が戻って来るのを待つようなのんびりした所でした。
伊賀地方の水は奈良方面に流れていることやひと山越えれば伊勢神宮があることから古墳時代には豊かな集落があったことが容易に想像できます。現在では陸の孤島とも言える所になっていますが太古の時代はきっと平城京の奥座敷のような所だったのかもしれません。
遺跡公園内を散策して講座終了です。それぞれが弁当を広げて昼食ですが、私は伊賀上野に行く予定でみなさんとは別行動です。もっとも私を含めて4人の方が同一方向に行くと言うことで無人駅に戻ります。一人の方は伊賀上野城に行くと言うことでしたが、残りの二人のご婦人は私と共に芭蕉ゆかりの蓑虫庵に行きたいと言うことで三人で茅町で下車しました。途中のお菓子屋さんのみたらし団子ののぼりを見てちょっと一休み。二人のご婦人も気持ち良く付き合っていただき良かったです。柔らかくて美味しかったですよ。
蓑虫庵は松尾芭蕉の弟子である服部土芳が開いた庵で、数日後に訪れた芭蕉が「みのむしのねを聞にこよくさの庵」と言う句を讃して与えたことが蓑虫庵の由来となったようです。中々風情があります。
入り口もちょっと素敵です。
まぁゆっくり散策して、更に芭蕉の生家に向かうつもりでしたが、みたらし団子を食べた時に財布を忘れたことに気づき、戻ることにしたのですが彼女達もいっしょに行ってくれると言うことでまた三人で元来た道を戻ることに。
それから高速バスの発着する上野市までぶらぶら歩いて行きました。バスの時間を確認して、観光案内所の方に聞いた店で昼食。
財布を忘れて戻ったことで余計な時間を潰してしまったため、他の予定は切り上げて伊賀上野城をお二人に見ていただくことにしました。
西側に築かれた高石垣はこの城の最大の特徴です。まぁぴったりバスの発車時刻に間に合い、少々疲れました。バスではいつのまにか寝てしまいました。まぁ充実した一日でした。