”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2021年11月07日 07時01分25秒 | Weblog
11月7日(日) 晴

 自分にとって存在意義のあった人

先週の土曜日の昼過ぎ突然1本の電話。施設に入居中の母が亡くなったとのこと。慌てて御殿場の田舎にとんぼ返り。とにかく葬儀の段取りに奔走、弟夫婦にも手伝ってもらいながら親戚への連絡、通夜、葬儀、納骨と4日間悲しみよりも行事の進行に忙殺された。コロナは収まりつつあるものの葬儀場や焼き場の人数制限など通常以上に気を遣うことが多い。とにかく一段落しての脱力感は大きい。母は7年間特別養護施設に入居していたがその間、月に2、3度訪問していたがこの2年はコロナの影響で面会もできずガラス越しに2度ほど面会しただけでした。最後に面会した時には認知症も進み自分が誰かもわからなかったようでした。それでも自分にとっては存在意義の大きな人だったと亡くなって改めて思う。こんな年になって、いずれとわかっていたこととは思うもののなぜか悲しい。子供の頃何度も励まされたことや父が早くに亡くなった時も自分の好きな道を歩ませてくれたこと、後年田舎に帰るたびに笑顔で迎えてくれたことなど思い出されてちょっと情けない。そんな中でもやる事は山ほど。2日かけて役場での事務処理、施設の私物の処理、位牌の作成、墓の墓誌の追加、法要の段取り、相続の段取りをつけて昨日名古屋に戻ってきた。
名古屋で相続関係の書類の準備、洗濯物の回収、病院、科学館ボラ、旅行の支度をして来週水曜には再度田舎に行くつもりだ。それにしても母が生きていたことの存在の大きさを改めて思った一週間でした。
まぁ来週中には一区切りつくので再来週は予定通り城巡りを再開するつもりだ。まぁその後の法要もあるので唯一手すきの時間になるので少し気分転換にちょうど良いと思っている。

コメント (1)
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