”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2020年05月04日 23時07分55秒 | Weblog
5月4日(祝・月) 晴

 藤原薬子とクレオパトラ

日本史上悪女の筆頭と言えば藤原薬子だろう。一方世界史の中では絶世の美女と言われるクレオパトラはどうだろうか?
歴史家プルタコスによればクレオパトラは魅力的な女性ではあったが、それはエジプト語からエチオピア語、アラビア語、ヘブライ語など多数の外国語を話すことができる知性と社交的で優雅な振舞い、美しい声での話し方によるもので美貌そのものはそうでもなかったようだ。クレオパトラはプトレマイオス朝最後の女王ではじめは弟と共同統治していたが排斥されたため、ローマのカエサルの支持を取り付けて復位し、カエサルが暗殺されると後継者のアントニウスを魅了して味方にした。アントニウスが政敵に敗れて自殺すると彼女は自ら毒蛇に噛ませて死んだと言われている。
一方藤原薬子は自分の長女が桓武天皇の皇太子(安殿親王)に嫁ぐと自分も側仕えとして東宮に入り、安殿親王に通じて不倫関係となる。これを知った桓武天皇により東宮から退けられたが安殿親王が即位して平城(へいぜい)天皇となると返り咲いて権力を持つようになる。平城天皇が譲位して嵯峨天皇になると薬子は兄の藤原仲成とともに平城上皇に従って奈良に移り、上皇を再び天皇としようとした。この結果二つの朝廷となり嵯峨天皇と対立する。まぁこれを日本史では薬子の変と言うのだが結局この反乱は嵯峨天皇が坂上田村麻呂らに命じて反乱を阻止する。その結果上皇は剃髪して出家し、薬子は毒を飲んで自殺することになる。
この話はクレオパトラも薬子も生きて恥をさらすよりも死を選んだという点で共通する。まぁこんなことから悪女と言うのは誇り高き女性と言えるかもしれない。

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