続・トコモカリス無法地帯

うんざりするほど長文です。

7年後の振り返り・続きと終わり

2024-05-15 20:34:57 | D&D4版 キャンペーン回想

D&Dは筋は通っているが、血が通ってないゲームシステムなんで、業務的に戦闘して、時間あたりの平均ダメージ量や命中精度から、何時間後に戦闘終了するか概算すれば良いんじゃねとは常に思う。
所詮、手動ウィザードリィだし、シナリオにもサプライズ無く先の展開が決まってるし。勝利か敗北だけ。


D&Dでも物語性を出せるとは思うが、他にもっと容易に演出できるシステムがあるのでは?と常に疑問がある。
少なくとも、D&Dで映画「ゾンビ」「ジョーズ」「トレマーズ」「ドラキュラ」は再現できなかった。
おそらく「指輪物語」「ドラゴンスレイヤー」しか再現できない。
そういやD&Dルールだと「ベルセルク」も再現が出来ないんだよな。狭義の「剣と魔法のファンタジー」に特化し過ぎて汎用性がまるで無い。

D&D4thについては、誰が何を言おうと私自身がロールプレイ皆無、能力値判定だけで8年間のキャンペーンシナリオを乗り切った実績があるので、あのシステムにキャラ設定は不要だよ、能力値と装備のダイスと修正値を正確に書いたパワーカードだけ用意しとけ、としか。あとはNPCを全員倒すだけだ。

 

自分にとってD&D4thへの悪感情は、怨念みたいなもので、キャンペーン中ずっと小さな抑圧と無関心と屈辱が8年続いて、内面に鬱屈が蓄積していった結果なので、思い返して原因をほどかないと精神を蝕む毒が消えない。
当時は自覚できなかった、というよりメンタル不調から感情に自信がなかった。

自分のメンタルは弱っている、だから自分の判断は信用できない、そうして常に自分を疑っていた。そこに付け込まれ屈辱的な扱いを受けても、自分がおかしい、相手が正しい、と認知が歪んだまま耐えてしまった。苦しいや嫌だと意思表示する自信が持てなかった。
周囲に見える表情を真似て合わせた。

今はわかるんだよ。D&D4thキャンペーンでは、私の地位は最底辺で、卓に参加させてもらっている身分だから、楽しくなくても黙って耐えて、嫌な場面でも笑って迎合した。それで、こいつは文句言わない地蔵だから、意思を汲み取る必要が無い、と判断された。ようは侮られ舐められていた。

最終的に自キャラを殺しながら参加したのは意地だったのだろう。あの世界を壊してやりたかった。だから最後は巨大ロボになった。これまで何も主張せず最後に出番をもらえたのはお情けだろうが、その1回でファンタジー世界を壊すのには十分だった。あれは私の爪痕だ。

今ははっきり理解できる。私はD&D4thが大嫌いで、キャンペーン終了翌日にルールブックを全て売り払った。こんなゲームの本など1日も長く自室に置くのはまっぴら御免だった。D&D4thなど嫌な記憶の象徴でしかない。

あまりに反社会性の強い言動ロールプレイに、おフザケ混じりにやんわり指摘したらブチ切れられた思い出。あれはつまり、私相手ならブチ切れても大丈夫な相手と侮られていたわけだ。
GMは「卓で一人だけ盛り上がっている状態はまずい」と言う。だが私だけ地蔵状態が8年続くのはOKなのだ。

度が過ぎたひきこもりだった自分にも大きな責任がある。何年も被差別感の毒を消化出来ずに引きずるくらいなら、場所に固執せずD&D4th以外の現代モノを楽しめる環境へ移るべきだった。どれほど精神的に弱り活力がなくても、自分の呼吸する場所は自分で探さないといけなかった。反省と後悔ばかりだ。

つまり、何が言いたいかといえば、TRPGで相性の悪い卓に参加し続けると心身を病む、てこと。
楽しいセッションは心身をリフレッシュ効果があると思うけど、逆もまた然りなのだ。
世間で評判だから、皆が褒めているから、と迂闊に参加したTRPGで後遺症が残るくらい嫌な思い出作りもあり得る。

冷静になって思い返すと自分の参加してるゲームサークルはなかなかに排他的でメンバーの入れ替わりが極端に少ない。皆が馴染みで気安い反面、いちいち注意を向けないので、1人がダウンしてても気づかないズボラさがある。

私にとってD&D4thキャンペーンシナリオが苦悩の記憶なのは事実だが、一方で「異物」の在り方を掘り下げる稀有な機会だったとも思える。
凡人が強迫観念に駆られ、おぞましい異形へ変貌していく物語の中の人として参加した。自分を疑い、自分を削ぎ、自分を捻り続けた8年間は無駄ではない。

D&D4th のデザイナーから「クラス:レンジャー」は疎まれていたんだろうな。
大ダメージで戦闘が早く終わると、魔術師同士の戦場操作に魔法の応酬を繰り広げる、MTG的戦闘の見せ場が消えちゃうもんな。
1回の戦闘が長引くように、HPの高い「ソロ敵」ルールまで設計されてるし。
邪魔して悪かったよ。


ウチの卓GMはティアマトのフィギュア持ってるから、ちょくちょくキャンペーンのラスボスにティアマトが来るらしいのだが、私はティアマトと戦ったことないし、他所だと頻繁にティアマトさんを倒したり組んだりとお世話になるので、できれば敵対したくないティアマトさんと地上戦艦ティアマット。

 


D&D3.5版から4thへ移った時、卓メンバーごとに見える世界がまったく違っていたと判明。
前衛職PL:攻撃役と防御役に分割されて能力半減
魔術師PL:儀式魔法が簡単になり自由度拡大
クレリックPL:リソース管理するのは今までと同じ
そりゃ見解も感想も一致するわけがない。


D&Dはボス敵を倒せばOKなので、地下に突っ込み大型モンスターを倒す繰り返しで作戦は不要派だったが「赤い手」シナリオは作戦が超重要で、その後の「恐怖の墓所」はやはり作戦不要だったので、振れ幅が極端なんだよ。頭使って肩透かし、無策突撃で大怪我、とタイミングが悪い。

D&Dでこれまで遊んだシナリオを振り返ると、低レベル向け公式シナリオは自分に地雷らしい。誰が遊んでもダイス目意外は同じ展開になる単純戦闘なので、誰か私の代わりに遊んどいて。そしてレベル上がったキャラをコピーさせてと思っちゃうんだな。レベル上げ作業大嫌い人間なので。

私は調査・謎解き・戦闘準備大好き人種なので、解くべき謎も由来も因縁も無く、偵察も索敵もなく、対応策を取る時間も予算も資材も得られず、頭空っぽにして相手かまわず無差別に突撃を繰り返すの、退屈で飽きるんだ。それPLが手動でやらなくてもよくね?

つまり、D&Dの公式低レベル向けシナリオは50年間まるで進歩が無く、ファミコン前の感覚のまま現代でも時代錯誤シナリオを作ってる。
ダンジョン探険!
モンスター出現!
・コマンド
  戦う
  逃げる
勝利!宝箱発見!20GP手に入れた!
これを手動でやってる。
最近はポリコレを取り入れたらしい。

おそらく自分はTRPGが好きだけど、手作業ファンタジーのルールでは意思決定が結果に反映しないので、進行を他人任せにして思考放棄する習慣が出来てる。勝手に進めといて、出番来たら呼んで。って態度。
逆に現代モノだと周囲に驚かれるもん。普段の鈍重ぶりが嘘のようにアクティブだから。

自分がD&Dを苦手と公言して憚らないのは、単純にゲームシステムが重くて処理が面倒だから。そして面倒な割に効果が薄い。覚える努力に対して実入りが少ないし、ルールが複雑で難しい。魔法の種類が多すぎて覚えきれないし、使う場面を予想して準備するのも理不尽難易度。

昔に追加ルールの「武勇の書」を購入したが、参照したのはハードカバー本内の1ページだけだった。買って損した。値段分の価値は無かった。その金を別の趣味に当てたほうが有意義だった。売却時にそこそこの値が付いたのが救い。
頭の悪い私ではD&Dルールを理解出来ず、持て余します。

Q:ダンジョンズ&ドラゴンズに物語を求めるのは間違っているだろうか。
A:間違っています。素直にCoCでも遊びましょう。

Q:ダンジョンズ&ドラゴンズにロールプレイを求めるのは間違っているだろうか。 
A:間違っています。素直にCoCでも遊びましょう。
ロールプレイは時間ロスになり、時間内にゲームが終わらない弊害があります。戦闘処理が重く時間がかかるため、無駄な雑談はお勧めできません。

以上は悪意を込めた冗談だが半分は真実で、判定能力値さえあれば、ロールプレイだのキャラ描写だの一切せずにクリアできるからな。要は敵を倒せる能力数値さえあれば、ダイス判定を続けるだけで、どんなシナリオでも勝利クリアできる。私はやり遂げた。能力値が本体、ロールプレイはノイズ。


TRPGプレイ配信動画で、地蔵PLだけでクリアするキャンペーンシナリオ動画が成立するなら興味が湧く。私は出来るほうに賭ける。毎回ダンジョンに潜りモンスター退治を20レベル分続ける。私は30レベル分やった実績がある。
大抵のTRPG配信なんてクソ寒い内輪ノリで、即ブラウザバックすんだけど。

以前にTRPGを広めるようないっぱしの格言持ちみたいなアカウントが、TLで講釈たれてたんだけど、その人のプレイ動画を見に行ったら、内輪ノリのグダグダで全然話が進まない未完動画で呆れた覚えがある。
私のような地蔵PLから見ても冗長で退屈なプレイ動画だった。なにあれ?何のアピール?

 


自分がD&D4thへ持つ偏見の一つは3.5版との比較のせいだが、それは単純にクラス役割の視点違いなので当然と納得した。もう一つは「自由度」の低さだ。しかし自分から見て恐ろしく自由度のない窮屈システムが、一方では何でも出来る万能感すらあったとの意見を聞いた。

自分がD&D4thへ真に絶望したのは「恐怖の墓所」だが、あれは敵がアンデッドと判明しているのに、一切のアンデッド対策がルール的に禁止されており、いつも通りに突撃しかできない点が不満だった。レベルに応じて入手可能アイテム制限があるから、無為無策突撃以外の行動が取れない。

実はD&D4thをアイテムで攻略するのは下策で、もっと手っ取り早く解決する手段があった。あのゲームでは魔法が最も低レベルから使える特別な技術であり、困難な場面を魔法で解決するように設計されている。つまりマジックユーザー以外の方法で攻略は実現不可能。魔法以外の実用性を潰してある。

消去法で魔法を使わざるを得ない程に、ルールにあるアイテムは使えない。欲しい時には入手出来ず、入手できた時には弱くて役に立たないからだ。だからD&D4thは魔術師あがりのゲームデザイナーが魔術師キャラに向けて設計したシステムなのだろう。そこで脳筋前衛クラスの不平不満など考慮にない。

当時は対戦カードゲーム隆盛の勢いが凄まじく、D&D4thのシステムは影響されたのかTCG寄りの作りに感じた。特にリソース管理作業。そいで安直に術師と前衛を同じリソース管理へぶっ込んだ。
術師は要所で大技・小技のタイミングを探せばいいが、前衛はそうはいかない。常時、安定した戦力維持が要る。

つまり、D&D4thで魔法レス前衛クラスは実践場面を想定されていない。攻撃なら魔法絡めて斬るヘクスブレード、防御なら魔法絡めて守るソードメイジが強い。魔法に背を向けた時点でD&D4thPCに人権はない。ドワーフだったんだけど。
これに気付かず8年無為に過ごした自分は愚かでした。

以前の自分はD&D4thを「指輪物語」しか再現できないと揶揄した。違うのだ。魔術師キャラなら魔法を使って「ゾンビ」「ジョーズ」「地獄の黙示録」などあらゆるスタイルでシナリオを遊べたのだ。魔法で。
いや、地獄の黙示録に魔法はねえわ。台無しだわ。

D&D4thは魔術師キャラが活躍できるよう、戦場がめまぐるしく変化するタクティカル戦闘ルールが優秀らしい。らしい、と実感が伴わないのは4thの戦闘が非常に「遅い」からだ。処理が重く遅々として進まず、敵が頑丈で倒れず、何時間経っても終わらない。1回の戦闘で空振り・不発からの停滞時間も長い。

ここまでD&D4thで魔法が偏重されてると書いてきたが、真に肩入れされているのは、実は魔術師ではなく僧侶だと考える。後になるほど戦闘難易度が上がり、こちらの攻撃は当たらず敵の攻撃が全弾命中なんて事態が頻発する。ならば勝負を決める要因は、攻撃力でも防御力でもなく回復リソースだ。

プレイヤー本体の耐久力と集中力をジリジリ削るような長時間戦闘を制するのはクレリックの回復力次第。これが高いと、強い敵でも時間をかけた持久戦に持ち込み勝てる。勝てるが、その作業感の連続にプレイヤーが耐えられなかった。私はもう動けません、この戦闘はいつ終わるの?効率化できない?

あとは、たまーにPVPしたくなる場面があったけど、長期キャンペーンに良い影響ないので抑えたことがある。大人なので納得しなくても黙る場面くらいある。
ちなみにD&D4thにこれだけ文句言いながら、キャンペーン終盤では一番シナリオを楽しんだPLの自覚もある。

自分はD&D公式シナリオを全然信用して無くて、整合性ない敵とマップデータの寄せ集め、ダイスを振って減らす数値の羅列だけだと思ってます。いまだ脳内が西部開拓時代で止まってる米国人が、安易に考えた虐殺と略奪しか娯楽のない世界のシナリオです。
ただし「赤い手は滅びのしるし」を除きます。

 


長年のTRPGゲーマーだけど、自分の主食は「現代舞台:謎解き推理系ホラーシナリオ」なので、ハイ・ファンタジーしか摂取できない環境が長いと定期的に吐き戻しが出る。消化できないから許容量超えると拒絶反応が出る。
最近少しアクティブになったから、CoCが遊べる環境を探そうと思う。


7年後の振り返り

2024-05-04 22:25:18 | D&D4版 キャンペーン回想

もう世間でD&Dといえば5版であり、4thなど過去の遺物となりました。4thキャンペーン時期の遊びにくさに困り果て、キャンペーン終了翌日にルールブックを即売払に行ったのも笑い話です。

ただ、このD&D4thに対して、なぜこれほど強烈な抵抗感を覚えるのか、2017年記事の振り返りでも原因に到達出来ていません。認知が歪んでいたからね。
さらに7年経過して、現在の私は当時からかなり回復しています。


今なら理解できることですが、TRPGは自分にとってはホビーではありません。自分は医者から解離性障害の診断を受けるくらいには壊れメンタルで、この正常に機能しない人格を補助する客観視点の複数思考を内部に何人か作っています。TRPGを遊ぶ時には最初にキャラクター作成を行うが、あんな感じで自分内に役割を持つ思考パターンを作ります。もちろん作っただけでは機能しないので、何処かで実際に動かし行動モデルを作って自分へフィードバックします。大げさに書いているが、要はおフザケの種類を増やして、自分を直撃しそうな対人衝突を軽減したり躱せるようにトレーニングするわけだ。

そして、それまでTRPGを通して社会的な姿勢を擬態するスキルを学んでいたわけ。コミュ障にもほどがある、そんな限定された環境で非生産的な遊びで社会スキルなど身に付くわけがない、との説もあるだろう。
むしろそれが当然だが、自分の養育環境はどうも一般的ではなかったらしく、生来の気質も加わり、成人した頃にはすっかり人格破綻者だったので、後から娯楽を通して真人間に近づけるならやって損はありません。実際それで大分マシになってます。だってこの趣味がなかったら自分はとっくに塀の中、それどころか処分済でもう居なくなってる率が高いです。秋葉原無差別殺傷事件の犯人と生い立ちが非常に似ています。だから私だって何時やるかわからない人間だったし、実際に親族からも「おまえ、今までよく犯罪起こさずにいてくれたな」と感謝されてます。でも、これから起こすかもしれないやん、安心するのまだ早くね?

それはさておき私の場合、TRPGてのは自分の正気を保つ命綱なわけで、他のホビーゲーマーとは深刻度合いが違います。ここでしっかりキャラ育成しておかないと、何かのはずみに本体がホムセンで刃物を買い込み武器を拵えて、いつ人混みへ突撃するのかわかりません。自分に暴力を悔いる発想がない人間の自覚があります。相手が誰であろうが、どれだけ死傷者が出ようが一切気にしない性分です。そういう人達に育てられたので、自分も同タイプに育ちました。あの人達は常に「自分は悪くねえ」と言いながら人をぶん殴っていましたが、私はいつも悪役として殴られていたので、悪役にふさわしい行動をするべきでしょう。先に罰を受けたのでこれから罪を犯さないと割に合わない。また話が逸れた。


D&D4thのキャンペーンシナリオ中、私は鬱病ど真ん中であらゆる機能が低下していました。鬱は心の風邪とも言われ、珍しくもなくなりましたが、症状を軽視されがちです。メンタルがダウンしただけで、身体に不調をきたしているわけではない、は認識不足で精神が病むと身体も腐ります。周囲の情報を感じ取る神経が参っているので、適切な体調管理ができません。体力がどんどん落ちて抵抗力が下がります。不摂生がたたり次々と病状が発生悪化を繰り返します。私もこの期間にいくつも持病を発症し、健康診断の検査数値は目も当てられない酷い記録を毎年更新していました。

だから自分で自分を信用できなくなります。

自分がおかしくなっている自覚があるので、他人と意見が食い違った場合に、まず疑うのは自分です。

D&D4thキャンペーンシナリオ中、楽しい場面がほとんどありませんでした。苦痛を感じるほどネガティブな経験ではないが、ポジティブになれるプラス要因の供給がほぼ皆無。メンタル維持のために習慣的なTRPG体験が必須だけれども、そのTRPG中はずっと息を止めて我慢しているのに近い感覚です。でも周囲は楽しそうにしているので、楽しくない自分は何かおかしく間違っているはずだから、と頑張って楽しいフリを続けました。


D&Dは版ごとにシステム処理が大きく違い、特にそれまで遊んでいたD&D3.5版と4thでは、全く別ルールと言って良いでしょう。特に前衛クラスの運用方法が激変しています。かなり悪い方向に。ぶっちゃけ3.5版の前衛クラスの役割を「攻撃役」「防御役」と2~3分割してしまった4thでは、前衛物理クラスがとんでもなく弱体化しており、同じ働きは見込めませんでした。

結果として、私が使ったクラス「レンジャー」は一日一回の大攻撃を撃ったら、あとは小パンチでちまちま凌ぐしかありません。その間に他の術師キャラ達が状態異常範囲攻撃の応酬を繰り広げるのですが、これの処理が激重でした。1ターン6秒の処理に約1時間かかります。夕方7時前に始まった戦闘が、10時になっても終わらない事態がザラでした。その間、私は約1時間待機して、小パンチ打ち、また1時間待機の繰り返しです。そして、これを楽しいと思わない自分を責めていました。自分は頭がおかしいから皆が楽しいモノを楽しめないんだ。だから早く治せ。

んなわけないだろ。1時間やることない退屈を楽しめる人間なんて存在しません。退屈が苦痛となるからこそ、何も出来ない「禁固」て刑罰が存在するのです。つまり私にとってD&D4thキャンペーンシナリオは一種の刑罰効果がありました。人格の保全セラピーを目的にTRPGに参加して、逆に蝕まれて帰宅する期間が約8年続きました。後半になるとD&Dには期待せず、単純に人とコミュニケーションを持つ機会維持のために参加してました。

当時の自分はコミュニケーション鎖国状態で、他人と話す機会がゼロでした。好き好んで鎖国化したわけじゃないけど、あるトラブルから周囲の人間関係がすべて破壊されてしまったので、それ以前の人間関係のツテを頼って古巣のゲームサークルへ出戻りして、コミュニケーション確保しました。

ここまでが、使用クラスの性能低下と、自分の生活環境が悪かった話。
後の問題が参加シナリオ内容、そして参加メンバーとの相性です。

キャンペーン初期にはシナリオ「雷鳴山の迷宮」を使用しました。これに関しては個人の好みの問題ですけど、私はこのシナリオがまったく楽しくありませんでした。でかいダンジョンに潜ってモンスターと戦うだけのシナリオなので、21世紀になってまで、どうして休日にわざわざ手動のウィザードリィをしてるんだろう?と思ってました。そんなの携帯ゲーム機のダンジョンRPGやってるほうが処理早いし正確だしテンポ良く進むし、何一つ勝る要素が無いだろう、とも思っていました。皆が楽しそうだから仕方なく混じってるけど、単調なぶっ殺し作業の繰り返しに飽き飽きしてました。物語性が皆無だよね、誰がやっても同じ内容だよね、退屈だから先にダイス数値あげとくんで、待ち時間中はDSでメタルマックスしてて良いスか。そんな腐った態度で友人関係壊したくないので、黙って参加してましたけど。

でも、あまりに何時までも果てしなく続く遭遇&皆殺し作業にうんざりしてきた時に、一人くらい生かして返しても良いのではと発言しました。PCパーティーはここまで出てきたNPCを全員殺してきたので、シナリオ内の人間関係が皆無でした。誰も彼も故人になっちまうので人物相関図に線を引けません。じゃあ見逃すか、と死なずに済んだNPCはハーフリングの「レンディル」でした。彼は後のシナリオ内で商人として登場します。私が助けなかったら死体の1つになってました。
ただし、これは非アクティブな私が稀に動いたレアケースの結果であり、その後も一行は皆殺し行脚を続行し、NPCを存命させても物語が変化しない無駄行為だと私が学習したので、雷鳴山は名無しモンスターを駆逐して終了しました。自宅でウィザードリィのほうが楽しかったんじゃないでしょうか?私はウィザードリィも単調で面倒なゲームだと思うので遊びませんけど。

次に迎えたシナリオは「シルバークロークス戦記・巨人族の逆襲」です。こいつが個人的に大問題シナリオ。敵が強くて歯が立たない。敵の巨人族は「プライモーディアル」という荒れ狂う自然の権化であり、全員デカくて重くてタフで頑丈。つまり1発2発殴ったところでぜんぜん倒れない。ただでさえ硬くて攻撃がヒットしないのに、HPもやけに多いから、どうしても戦闘が長引き時間がかかります。この硬くて頑丈な敵とD&D4thシステムの相性が最悪です。
D&D4thのアタッカーには
・大攻撃:1日1回
・中攻撃:1遭遇1回
・小攻撃:回数制限なし
の3種類の攻撃方法があり、大・中パンチを使い切った後はしょぼい小攻撃を続けるしかありません。ただし巨人族は硬くて防御が高いため、常に大パンチが命中するとも限りません。むしろ数値的に外れる確率が高いので、一瞬だけ命中が上がる修正を足して、当てられる瞬間に目一杯の火力を叩き込まないといけません。でないとずっと微々たるダメージの小パンチを繰り返し、時間切れまで待つだけです。もう無理。この戦闘はつらいだけで楽しくありません。
何か打開策は無いのか。ありません。
強力なアイテムは入手できません。高価だし、入手手段もない。
レベル上げて物理で殴れば。レベルを上げるために目の前の巨人を倒しましょう。
これは修行です。心を無にするのです。無になれば苦しみは消え去るでしょう。
TRPGは娯楽でホビーなんですけど。

ここで苦しいのは私だけですか?私だけのようです。他メンバーは全員楽しそうに笑っています。
ああ、やっぱり自分はおかしいんだ。楽しいと感じるべき場面に楽しさを感じない、メンタルの摩耗を早急に治すべきなんだ。楽しめなくてごめんなさい。

他PCはどうして楽しいんだろう?
理由を考えました。NPC殺せるから?他PCには宿敵NPCがいて、たまに襲ってくるのだけど、他所の家庭事情なので率先して潰しに行く気にもなれず、ドラウなので普通に殴っても変な魔法で防がれそうなので、やはり関わりたくありませんでした。
パーティーが世界を救うシナリオ展開にも強い違和感がありました。だってこのチーム全員、連続大量殺人犯だよ。今まで虐殺と略奪しかしてないのに、どういう展開で役目に選ばれたの?ぜんぜん納得いかないし、物語として破綻してますよ。

この頃、ゲームマスターから「キミはパーティー内の人間関係を疎かにし過ぎだ」と指摘されています。当然ですよね、チーム内に個人的な誼を結びたい人物が一人もいませんでした。全員が自覚なき快楽犯罪者で一人も好感を持てません。なかでも特にウィザードPCがすげー凶悪・残忍・獰猛。闇ドワーフの武器屋に押し入り、因縁つけてぶち殺し売り物を持ち去る。ただの強盗殺人なんだけど、そういうロールプレイを好んでやる。出会ったNPCには居丈高な態度で罵倒し、反抗的ならば襲いかかり殺害、穏当な態度ならさらにカサにきて罵り挑発し、やっぱり最後は殺害。味方ポジションに居るけれど好意的に見るには厳しいDQNキャラ。このPCのせいで拗れた交渉が無くもない。
そういうクレイジー行動による面白キチガイ系ギャグなのかなと思っていたのだが、後の食事時にそこを笑いネタに取り上げたところ、ガチ切れされました。もうマジで唇震わせながら本気で怒ってるの。いや、怒らせる目的じゃなかったんで、すいませんでした。あれギャグやネタじゃなく素だったのね。なんかいろいろごめんなさい。

あと、今にして思うとこのキャラのPLさん、ややパワハラ気質があって、私にアタリがきつかった。言葉でぶん殴っても良い相手だと考えられていたフシがある。当時の私は精神が摩耗していたので、悪意や嫌味に鈍感でよほど直接的な物言いされないと気づかない状態だったが、それでもカチンとくるような発言をいくつか受けている。
「は?ふざけんな」
「一人で勝手にやれや」
わかりました。一人で勝手にやります。
当時はあれが正しくて、言われる自分が悪いと考えていました。そんなわけないだろ。今は違います。あのPLさんがチンピラ過ぎたのです。

このPLさん、私とあまり相性が良くないうえ、無意識に舐めてるところがあるので、後のキャンペーンでも私のPCへ殴る罵るを繰り返しました。私のPCに対してだけ執拗に苛烈な罵倒を繰り返した場面がこれまでにも3度あり、ロールプレイにしても不愉快でした。私の行動で負けや失敗が起きた落ち度場面ではないのに、罵りチャンスがきたのでこれ幸いとばかりに目いっぱい罵倒してきました。本人的に面白ギャグのつもりだったらしいけれど、女性にセクハラ、男性にパワハラと不快行動ばかりが目についたんで、はっきり拒絶しました。そういうのいらないです。もう関わりたくありません。
現在は、そのPLさんも私生活が忙しいようでゲームに参加しなくなっていますが、このまま戻ってこないと助かります。

それはさておき、シナリオ後半にさしかかり、そのPCが私に言いました。
「ホロブン(私のPC)はわりと(言動が穏便で)まともだよね」
そりゃあ弱い者イジメ好きな貴方とは違いますけど、コイツの周囲に喧嘩売りまくるチンピラロールプレイの後始末を、私が殺して片付けるのが虚しくなってしまい、そこからシナリオ参加意欲が消えました。

以降、私はキャラへの愛着も消え、そもそもドワーフなんかに興味ないのに今後も続くドワーフ・レンジャー使用の放棄を考え始めました。TRPGは習慣として続けたいが、D&D4thでレンジャーを続けても満足感を得られない気がしていました。
その頃から私のPCの解釈と運用が、自己否定方向へ逸れていきます。具体的にはこの辺で書きました。自分を自分でなくすために、自己のアイデンティティを削ぎ落とす発想が常軌を逸しています。
自分向けではない(not for me)卓だけど、皆の役に立ちたいから
自らの顔を剥ぎ
容姿の特徴を捨て
会話を放棄し
無機質な最高性能を目指してキャラビルドの組み直しです。これは実情的に「キャラクター記号の解剖と組立」という人格個性を潰して役割に固定する、おぞましい過程なんだけど、当時は自覚がありませんでした。作り直した結果には満足してますけど、キャンペーンシナリオ参加姿勢としては褒められたものではないでしょう。チーム内メンバーへ明確に背を向けた意思表示をしています。それも裏切る・敵対するといった行動ではなく、おまえらは会話するに値しないという態度です。
結果的に「精神異常者」のキャラクターRPを8年続ける機会を得られたので、実入りが皆無とは言えません。なかなかにレアよね。

こうして振り返ると、D&D4thにはシステム的に前衛クラスの能力が分割・減少したデメリットと、キャンペーンシナリオ全体が物語性に欠け単調で退屈だった点、加えてパーティー内メンバーとの相性が悪く、最後まで愛着のわかない奴らに囲まれていた、三重苦状態が8年続いたので、すっかり忌避感が定着してしまったのも無理ないと思います。

後のオンラインセッションで、4thルールを遊んだシナリオもあったけれど、そちらも戦況は惨憺たる内容で、戦闘が苦しかったことしか覚えていません。あとやっぱり物語性は皆無で、ルールに制限があり物資や戦術の工夫を取り入れる余地がなく、毎回手持ちの武器を振り回して突撃するだけの繰り返しだったので、私にとってD&D4thは口頭・手動で行うウィザードリィにも劣る、自由度の無い窮屈ゲームシステムの評価が確定しました。
D&DのNPCは遅かれ早かれ殺して経験値とドロップ品に変えるから会話時間がもったいないんだ。情報を聞いたって武器を構えて突撃以外に選択肢ないから無意味です。

D&D4thのルールシステムは、おそらくカードゲーム素養のあるPL向きなんだよ。全ての行動がパワー・カードで管理できるからさ。場面に応じてカードを切っていく遊び方だけど、おそらくシステム設計者が当時に流行ってたTGCに寄せすぎた。魔術師PLの発想で構成されているので、前衛クラスの巡航火力維持という発想が無く、術師による互いのカードで戦況のひっくり返し合いを想定しているフシがある。だから戦闘は長ければ長いほど、カードの差し引きによる見せ場が増えるし、一方で敵を瞬殺してしまう高火力は、魔術の駆け引きが起こる前に戦闘が終わるので忌避される傾向です。単体の敵を囲んで袋叩きにする場合でも「ソロ」敵ルールが適用されて、敵HPが爆増するのでやはり戦闘が長期化します。両手武器がダブルでクリティカルヒットしたのに、敵が平然としてるんだぜ。包囲してる側なのに、戦闘が終わるまで生きていられるのか不安になりました。加えて、後々のエラッタ修正でアタッカーの火力がどんどん低下していくんだよ。ゲームデザイナーの「マジックユーザー以外は客にあらず、物理がやりたきゃ家庭用ゲーム機で無双ゲーしてろ」という思想を感じます。

その後D&D5版にシステムが変わっても、しばらく「しょせんD&Dごとき化石ゲームにウィザードリィ以外の何ができるんだよ」と馬鹿にしていました。今でも毎度毎度、ヒューマン・エルフ・ドワーフ・小人に戦士・魔術師・僧侶・盗賊と、50年経っても同じ面子で進歩がないと半分くらい馬鹿にしてますけど。同じ行為を違うルールでやるだけで目新しい要素何もないからね。
それでも5版はシナリオ中の会話が後に影響する展開があるので、4thのNPCぶっ殺し作業繰り返しよりも、ずいぶん楽しくなりました。


映画感想「女神の継承」

2023-06-11 01:32:34 | 映画の感想

去年の2022年の8月3日に映画を観ていたことを思い出しました。ちょうどその頃はじめっと湿度の高いアジアンホラー映画を観たい気分でした。そいで近所で上映中だったのが「女神の継承」です。タイトルだけだと女神の地位や能力を受け継ぐ中二病的な雰囲気ですが、実物はそんなファンタジー色ありません。タイを舞台にしたモキュメンタリー・ホラー映画です。モキュメンタリーてのはドキュメンタリー風演出した造り物のことね。あくまで、本当にあった〇〇な話テイストで話が進むし、撮影スタッフも予定外のアクシデントに巻き込まれて撮っている設定なので、状況を的確に解説してくれる役割のキャラがいません。ただ起こった出来事を記録映像に残したという体裁なので、鑑賞後も「結局あれはどういうことだったんだ」といくつも、不明点が残り、観客ごとに解釈が分かれる内容です。そのため自分なりにネタバレ全開のつもりで感想を書きますけど、その解釈が正しいのか全く自信はありません。

 

1.これエクソシストじゃん

タイの地方都市では「バヤン」というローカルな女神様が信仰されていました。タイの習俗を取材に来ていたドキュメンタリー撮影チームが、バヤンの力を得ているらしい祈祷師ニムさんにインタビューしていますが、彼女はそんな大したことするわけじゃないと淡々とした答え。実際ちょっとした困り事に占いで答えたりするくらいの様子です。

見るからに只者ではない雰囲気をまとう祈祷師イムさん。

その頃、イムさんの姪のミンさんが体調不良で困っていました。月経が止まらないとか、泥酔して職場で寝たりとか、子供を押しのけて幼児スペースで遊んでいたりとか、本人に自覚の無い行動が、友人のスマホ動画や監視カメラに残っています。最初は周囲の親族もこれは「女神の継承」と考えていました。イムさんの家系は代々バヤンの祈祷師で、その力を得る時に体調不良を起こすそうで。でもミンさんが次の祈祷師を受け継ぐのを周囲は歓迎してない様子。本来なら現在の祈祷師はイムさんではなく、姉のノイさんがなるハズでしたが、本人が嫌がりキリスト教に改宗、それで妹のイムさんが代わりに祈祷師を受け継いだ経過がありました。こういうバヤンに非協力的な環境が後々ジワジワ効いて来ます。

まだまともだった頃のミンさん。後々でヒドい人相へ変貌していきます。

一方でミンさんの体調不良や不審な行動は、どんどん悪化していきました。本人の自覚無いまま、幼児退行・泥酔・男とっかえひっかえで職場でセックス、まるで何かに取り憑かれているような酷い行動があちこちで目撃されています。

これはおかしい、バヤンの力を受け継ぐにしては素行が悪すぎる、違うものが取り次いてるんじゃないかと、ニムさんが悪魔祓いを始めます。悪魔祓いだけではなく原因は何かあれこれ情報探索も進めます。最近死んだミンの兄マックが祟ってるのでは……違うらしい。ニムさんは怪しげな儀式を続けながら、謎を解いていきます。ただ、ここまで観てた時点での感想は「これ舞台をタイに置き換えただけのエクソシストじゃん」でした。悪魔に取り憑かれた少女と、頼られた祈祷師が頑張る話。今ごろになって焼き直す内容だろうか。

 


2.絶望的な負けフラグ

ミンの具合は悪化の一途を辿ります。そして失踪してしまいました。そんな最中に女神バヤン像の首が折られる大事件が起きました。イムさん大号泣。精神的に弱ったのか、イムさんは、知り合いの祈祷師サンティに助力をお願いしました。サンティは派手な演出過多の胡散臭い祈祷師ですが、実力は本物だそうで。タッグを組んで悪魔祓いに挑むらしいです。このへんもエクソシストじゃんと思ったのさ。あれも敵が手強いからカラス神父とメリン神父が組むじゃない。

一方で失踪していたミンは発見されて以降、完全に正気を失っており危険人物と化していました。部屋に閉じ込めて監視カメラで撮られた映像では、もはや狂人どころか妖怪のような不気味な動きを繰り返しています。ここは映画「パラノーマル・アクティビティ」で効果的だった定点カメラで観測する手法が、非常に効果的に働いています。民家内に得体の知れない者を閉じ込めておけるのか、得体の知れない者が何をやらかすのか、薄気味悪い記録画像を見せられている感じが楽しいです。実際、室内に閉じ込められているミンはろくなことしません。可愛がっていた飼い犬を鍋で煮たりな。

それで一刻も早く、サンティとニムの祈祷師タッグチームで2倍力悪魔祓いを始めて欲しいところですが、恐怖の負けフラグ発生。

ニムさんが死にました。
ニムさんは自宅のベッドで冷たくなっていました。

え、どうすんの?ここまで一応の仮説を立て解説役を努めつつ、悪魔祓いも進めていたニムさんが途中退場したら、以降は誰が解説してくれるの?何もわからないまま悪魔に取り憑かれたミンに振り回されて、映画がお終いになっちまうよ。いや、もう既にストーリーが破綻している。主体的に行動する主人公が早々に退場したのに、交代する新主人公を担える人材がいません。より悪化していく状況に流されていく哀れな犠牲者達を、眺めていることしか出来ないのでは?

残された登場人物を整理します。
ミン:悪魔に取り憑かれた女性。現在は災いを振りまく女妖怪と化している。
ノイ:ミンの母親。女神バヤンを嫌ってキリスト教徒になった。凡人。
マニット:ニムとノイの兄。面倒見は良いが凡人。
サンティ:ニムに助力を頼まれた祈祷師。弟子が何人もおり実力は高いらしい。

左から、伯父のマニット、悪魔に憑依された女ミン、母親のノイ。

もうサンティおじさんしか頼りに出来ません。おじさん、これどうすればいいんですか?
曰く、ミンには父方親類が代々悪事をやらかしており、被害者達が大量の悪霊となってミンに取り憑いているそうです。
この映画がモキュメンタリーじゃなければ、家系にまつわる忌まわしい因縁を描く脚本もあったのでしょうが、これは取材してたらたまたま悪魔憑き女が撮れただけの話なので、サンティさんの解説もイマイチしっくりきません。その唐突感も含めてモキュメンタリーのリアリティ演出なんだろうけど。

 


3.これエクソシストじゃないじゃん

完全にオカルト怪人と化したミンへ、サンティが悪魔祓いを始めます。ただここから後の細かい内容記述はしません。じっくり時間をかけて狂気に囚われていくミンの過程を描いたの対して、ぽっと出のサンティおじさんが対抗できるのか。できるわけありません。

一度はバヤンを拒絶したノイおばさんが娘のため、依代になる決心をしましたが無駄でした。兄のマニットはミンに嫁と子供を殺され、自分も死にました。サンティおじさんの悪魔祓いは通用しませんでした。弟子達もみな死にました。ノイおばさんもミンに焼き殺されてしまい、ミンに取り憑いた悪魔か悪霊かわからない者が完全勝利です。キリスト教圏以外ではエクソシストは通用せず、立ち向かった者達は皆殺しにされました。これはエクソシストじゃないな。エクソシストみたいな救いは無い。信仰心も親子愛も無力でした。

なんだこれ、これで終わりかよ。
気分がどんよりしたところで、映画にもう1場面差し込まれます。
生前のイムさんへのインタビュー場面。時系列的には亡くなる直前でしょうか。
イムさんが「自分の中にバヤンを感じたことなど無い」と泣いています。

え、女神バヤンの存在が揺らぐと、この映画の解釈があれこれ崩れてしまうのですが。

呆然としたままエンディング・スタッフロールを眺めながら、頭が混乱したまま映画を観終えました。

この映画で明確な事実として残るのは、ミンが超常的な邪悪存在に憑依されていたこと、それだけです。
バヤンの祈祷師だった筈のニムがバヤンの力を感じていなかったのなら、ニムの祈祷師能力は何を由来にしていたのか。
そもそもバヤンの力は存在したのか、継承されていたのかすら怪しくなる。
この映画では明らかに画面内で超常現象を描いているのに、現世と超常世界を橋渡し解説する霊能者が途中退場してしまうため、後半は眼前にひたすら不条理な惨劇が映されるのに、解釈をこじつける因果関係も曖昧なまま放り出されます。自分がその場に居合わせたらどうすれば良かったのか、まったくヒントを与えてくれません。
ただ人外の目に見えない存在がいることだけを伝えて終わりです。映画の始めにタイには精霊(ピー)がたくさんいるとナレーションがあり、その精霊の扱いをミスした顛末がこの結果と解釈しました。劇中でサンティが強力な悪霊の集合体とも言ってましたが、ボロ負けしてるので相手の正体を見抜いていたとは考えにくく、その見立ても違ってたのではと疑っています。
こうした「最後に前提条件を崩す」構成のため、正しい解釈を決めることが出来ません。ぶっちゃけ、お前が思うならそうなんだろうな、お前の中では。しかありません。


映画感想「シン・仮面ライダー」

2023-06-04 00:48:01 | 映画の感想

少し前に「シン・仮面ライダー」を観てきました。公開封切直後にはSNSでは微妙な煮えきらない反応でした。ネタバレを見ないように注意しながらも、聞こえてきたのは観た人によって0点か100点にクッキリ評価が分かれる内容とのこと。正直、自分はたいして仮面ライダーへ興味もないし、怪人フィギュアを発売する口実の宣伝番組くらいにしか考えていません。なので初代・仮面ライダーにも思い入れないし、そもそもロクに見たこともない。今回も幼い頃に見た仮面ライダーにもう一度会える、なんて期待はゼロで、昭和のライダーをどうアレンジするのか変更具合のほうに興味がありました。


1.これは正義と怒りの物語ではない

昭和特撮ではヒーローの「許さん!」という物言いか多かった気がします。あれ子供ながらに苦手なセリフで、改造人間や超能力でものすごい暴力性能持った人が他人を「許さん」と断ずるのすげー傲慢だなと思ってました。今作では敵も味方も「許さん」動機で動いてる登場人物はいません。主成分は哀しみや目標と手段の噛み合わない救済意識のすれ違いです。
主人公の本郷猛もTV版とは全く別人で、体力知力ともに高スペックなのにコミュ障ゆえ無職引きこもりという、いかにも現代的な人物設定に変更されています。劇中の彼は終始自信なさげな曇り顔で、感情をあまり表に出しません。他人へ感情を向けるのすら憚るような、実に気の弱い繊細な人物として描かれています。とてもじゃないが昭和調に「許さん!」などと吠えることなど出来そうになく、実際に彼は戦闘員をブチ殺しまくった後に動揺するし、最後まで「正義」も口にしません。昭和に産まれた子供達は、その後に「失われた30年」を生きてきたため、実感として「悪を許さない正義」など信じていません。なんなら自分達が散々に「許さん」と叩かれ責められた側です。ここに50年前の本郷猛がそのまま現れても、時代錯誤の生きた化石にしか見えないでしょう。だから自分達と同じ30年を生きた人間が仮面ライダーになったなら、今作のような頼りない人物になるのも当然だと思います。ただし、外見が頼りないから中身もひ弱とはならず、強力な力を得てもそれに溺れずに自制でき、危険な場面でも打って出る胆力もあり、やはり仮面ライダーにふさわしい強メンタルはそこかしこで伺えます。

今作が旧TV版と最も異なるのはショッカーの性質です。旧TV版では安直に「世界征服を企む悪の秘密結社」でした。あれから50年経ち、子供たちはとうに大人となり、世界征服などまったく割にあわないことを理解できています。独裁権力者が強権的に財産を収奪してもすぐに枯渇します。征服した世界を支配する組織にも運営・経営コストがかかります。世界征服=世界全部が自分の物=世界全部の世話をする、です。だから汚れた大人になると昭和の「世界征服の野望」が雑なお題目であり、リアリティのない組織だったことに気づくのです。

そこで令和のショッカーは大胆に理念変更しました。活動目的は「絶望を乗り越える力を与える」というもので、運営も高度なAIが行っています。つまり福祉組織なんですね。しかも通常の福祉では救済が届かない、深い絶望を抱える者を救済するため、対象個人に専用化した特殊能力を与えてオーグ(いわゆる怪人)に改造してしまう。その結果、社会不適合を起こしている者が人外の力を、自己の欲求のために振るう事態が頻発することに。
地獄への道は善意で舗装されている、を地で行く組織になっちまいましたね。人間が福祉と行政ではカバーしきれない、実際やろうとしたら担当者の胃にストレスで穴があく理不尽な現代の歪みを、血の通っていないAIでカバーすると、当初の目的に沿いながらも盛大にはみ出した致命的な行き違いが起きた例です。

なので一部怪人を除き、仮面ライダーは「悪を許さぬ正義の怒り」で戦うのではなく、これ以上巻き込まれる犠牲者が出る前に力づくで倒す、お節介な親切心で戦ってます。相手によっては救済の意味もあります。今作の大ボス・蝶オーグも目的は人類の救済だしな。手段は全人類のプラーナ(魂)を集めて一つにするという強引極まる方法だが、それによって争いのない平和な世界が作れると本気で考えているらしいです。それ知ってるよ「人類補完計画」ってんだよ。動機は救済でもすげー迷惑だからやめて欲しい計画です。
この映画は、敵にも味方にも悲しい過去があり、互いに憎くも怒りもないけど戦う事になってしまう、そんなやりきれない物語です。私はこのショッカー新解釈や、現代世相を反映したような人物達の性格描写に納得したし、素晴らしいアレンジだと思いました。大満足です。けれど、昔の仮面ライダーに思い入れ強くて、昭和の劇場版のように怪人軍団と大決戦みたいなアクション要素を期待してた人には刺さらないでしょう。

 


2.命を捧げるに足る主人

今作では本郷猛があまりアクティブに動く主人公ではないため、手綱を握って指導する人物が必要です。それが緑川ルリ子さん。ライダーに改造した緑川博士の娘さんですが、TV版にいたっけ?コミュ障で引きこもりだった本郷猛へ、キビキビと指示を出し「言ったでしょ、私は用意周到なの」と次々に事態を解決していきます。彼女も生身の人間じゃないけど、情報コントロール型の能力なので戦闘は銃火器頼みだし、オーグ達相手の格闘戦は無理なのでそこは仮面ライダーが代わりに戦います。つまり、物語の中盤くらいまで、作戦立案から実践までほぼ全て彼女が担い、生身で捌くには危険過ぎる対オーグ戦だけを仮面ライダーが担当しており、各オーグ殲滅作戦の8割方はルリ子さんの手柄です。本郷猛は普段オロオロしてるんだけど、彼女の言う通りに従っていたらしっかり勝てるので深く信頼してる様子です。


決め台詞「言ったでしょ、私は用意周到なの」は伊達じゃなく、序盤~中盤のルリ子さんは諸葛孔明ばりの天才的作戦参謀で、間違ったことを一つも言いません。観客と本郷猛へ与えられてる情報量がほぼ同じなため、妙に自信なさげにオドオドしている態度も含め、彼への感情移入度が高いほどルリ子さんへの信頼度も急上昇していきます。そのルリ子さんも序盤こそ完璧クールビューティーキャラですが、だんだん普通の女性らしき感情面の揺らぎも現れて来るので、女性的可愛らしさを感じてますます彼女が好きになりました……なんてことはまったくありません。私は序盤の天才作戦参謀時点で好感度がカンストしていたので、以降のルリ子さんが不機嫌になったり嘆いたりといった感情的仕草を完全に他人事として見ていました。
そんな部分が無くても、彼女は完璧です。戦う改造人間として命を捧げるに足る主人です。あなたが戦えと言えば戦います。あなたが引けと言えば撤退します。自爆しろといえば?するだろうさ。賢い彼女が今後の展開を見据えて最善の方法として選んだ策に疑問など持ちません。困難な目的のために最適解を示してくれるリーダーキャラが個人的に大好きです。たぶん私は根深いところがドMで、崇高な目的と高潔な主人に憧れがあるんだよ。そういう高貴なもののために殉ずる美を尊ぶ感性がある。忠犬のように命を賭けてお仕えしたい欲がある。ただし、その対象には徹頭徹尾高貴高潔であることを要求するので、少しでも幻滅すると主人の手を噛み千切るバカ犬だけどな。SMプレイでも言うじゃない。Mの望む通りに責めてあげないと即ハラスメントで訴えられるからSMのSはサービスのSだって。

 


3.あんたが2号で本当に良かった

中盤まで順調にショッカーのオーグ達を倒していく本郷猛とルリ子さんですが、最後に残った蝶オーグは手強いので一筋縄では行きません。一旦出向いたところで登場するバッタオーグ2号。本郷猛に施した改造手術よりも技術が進歩しており、ポーズ取るだけで変身できます。旧1号はベルトに風受けないと変身できないのが不便です。同じバッタオーグ対決はドラゴンボール的に空中でバシバシ叩き合う戦いでした。あれ近隣の建築物を壊さないから周辺環境に優しい戦法なんだとか。ほんとかよ。そして本郷猛の足が折られてしまい勝負あり。2号の勝利です。

でもここでまたルリ子さんがファインプレーを魅せて、2号の洗脳を解きます。
変身前からの言動からも伺えるが、2号の中身は正々堂々フェアプレイを好む性格らしく他オーグ達のような攻撃的な言動もありません。残念ながらルリ子さんの活躍はここまでで、彼女は新型のKK(カメレオン+カマキリ)オーグに殺されてしまいます。そのKKオーグも洗脳の溶けたバッタオーグ2号に即倒されるので仇はすぐ取れるのだが、見ている私の関心はそこじゃありません。この先ルリ子さん無しでどうやって戦えばいいの?正直、本郷猛では今後のショッカーとの戦いを任せるにも余りに不安。主にメンタルや作戦立案能力的な意味で。バッタオーグ2号は単独行動が好みらしくすぐに去ってしまったし。

頼りない先輩ライダーと気ままな後輩ライダー、チームどころかコンビも成り立たないんじゃ、と心配になりました。

杞憂でした。そもそも先輩後輩とか意識する必要もありませんでした。再び大ボス蝶オーグの元へ向かう本郷猛が量産型バッタオーグに苦戦する中、2号が駆けつけてくれます。
量産型は基本能力値は仮面ライダーより低いらしいんだが、人数が多いうえに乗るバイクは同じだしおまけに銃火器を使うので、1人で戦うのキツイんだよね。

そしてバッタオーグ2号こと一文字隼人が、自ら首に赤いマフラーを巻いて仮面ライダー2号になってくれます。出番は後半からだし、過去の掘り下げも無いのだが、一文字隼人にも現代的なアレンジが加わっており、良い意味で彼は後輩ぽくない。普段から自信なさげに見える本郷に対し、一文字は堂々としており思っていることをハッキリ口に出す。しかし口調は常に落ち着いており、激昂したり言葉を荒げる場面は無い。これは一文字隼人という人物が理性的で落ち着いた人格であり、もしかすると本郷よりも年長者の可能性もある。つまり、本郷猛が不向きなリーダーシップを発揮せずとも、一文字隼人が自発的に行動するのに任せて良いわけです。本郷猛だけ見てるとルリ子さん無しで大丈夫かなと心配でしたが、最初から完成された仮面ライダーの一文字隼人が加わるなら、即席ダブルライダーでも十分に能力発揮できるように思えました。
これから大ボスと決戦に行くんだけど大丈夫?心の準備はお済みですか?と思って観ていたけど
「ありがとう一文字くん」
「くんじゃない!ここは呼び捨てだ」
心配要らなかったですね。とっくに覚悟完了してましたね。
あんたが仮面ライダー2号で本当に良かった。

 

では決戦。大ボス蝶オーグがお待ちです。
この仮面ライダー0号こと蝶オーグ、属性盛り過ぎに思えます。名前のイチローは「キカイダー01」の主人公?蝶モチーフの変身は「イナズマン」から?
戦闘開始は互いに生身状態から至近距離に近づいて、変身ポーズを取ってから始まります。1画面に3人が入った状態で3人が同時に変身ポーズを取る、冷静に見れば近すぎ・変身ポーズとか笑いどころになりそうな絵面なのに、私が連想したのは能楽でした。舞台の上で三者三様な舞と仮面。背景がどこか和風かつシンプルなセットだったせいもあると思いますが、50年続いた「仮面ライダー」とはもはや伝統芸能であり、今観ているのはバリバリの様式美の極地に思えました。
そして、古典芸能様式美の変身の舞が終わると、昭和東映TV番組のような殴り合いシーンに突入します。カメラフレーム内で派手に両手両足を振り、右へ左へ飛んで回って走って殴り合う、これも様式美です。

そうこうしてる間に2号の両腕の関節が極められました。外す間もなくへし折られる両腕。マズい、2号はもう戦えない。1号だけで倒せるのか。だが蝶オーグだってボロボロだ、だいぶ弱ってる。そこへ1号が「一文字!」「おう!」
蝶オーグの頭へ2号が渾身のヘッドバットを打ち込み、両者のヘルメットが割れました。
メットが無けりゃ蝶オーグの変な強化効果は消えます。ここで1号が蝶オーグのプラーナを放出させるギミックを作動させます。ヘルメット内に残されたルリ子さんの記録に教えてもらった戦法です。最後までルリ子さん頼りだったな、おめーは。しかしこの技は本郷のプラーナも大きく消耗するようで、一文字へ後を託し本郷も消滅してしまいました。

ここまで壮絶な戦闘場面が続いていましたが、その動機に正義や怒りは入っていません。蝶オーグ・イチローも本郷もルリ子さんも相手を救うために行動していました。そして、現状で最大最強の相手だった蝶オーグ・イチローに対し、ルリ子さんという支えを失った、性能スペック的には不利なバッタオーグ1号が、救済という最上成果をあげられた、ここで物語が区切られるのが妥当でしょう。本郷猛がここで死に、彼の物語が終了したのもちょうど良い位置だったと思います。

最初から思ってたけど、本郷猛と緑川ルリ子さんは一蓮托生で、どちらかが欠けたなら一方も長くは持たないように見えていました。劇中で2人は恋愛関係になることなく、どういう関係かの質問にも「信頼」だ、と答えています。私が感じた関係性は該当する言葉が見つかりません。脳と心臓は恋愛するでしょうか?信頼しあっているでしょうか?当たり前に互いが機能し、片方が潰えたらもう片方もやがて止まる、それだけの関係では?

 

 


そしてエピローグ。生き残った一文字はこれからも仮面ライダーとしてショッカーと戦い続ける決意を固めました。新しいヘルメットには「+1」が刻印され、込められた本郷の意思も共に戦い続けるようです。そしてこれまで思わせぶりにチラチラと画面内に登場していた政府関係者も協力すると約束してくれました。名前はそれぞれ役職の高そうな方が「タチバナ」銃火器を持った実行部隊らしき方が「タキ」だって。これでようやくショッカーと戦う役者が揃った気がします。
仮面ライダー2号こと一文字隼人、おやっさんこと立花藤兵衛、FBI捜査官の滝和也、昭和仮面ライダーのレギュラー達が顔を合わせ、従来の仮面ライダー世界に収束していくのでしょう。この映画は主人公がぐいぐい動く展開ではないせいか、終盤まで雰囲気が重いのだけどラストはすげー爽やかに終わるのよ。なぜかグウの音も出ないほどハッピーエンドに感じるのよ。劇中描写的に、仮面ライダーが世間に認知される前に起きた、誰にも知られていない2人の戦いの物語としてキレイにまとまってるせいだと思います。ここまで書けば歴然ですけど「シン・仮面ライダー」に対する私の評価は100点です。

 

仮面ライダーに限らず、昭和の懐かしいTV番組が平成後期~令和にかけていくつもリメイクされてるけれど、どれも滑って当時の視聴者層に見向きもされていない現状で、この映画は一つの方向性を確立したと思います。私が観た昭和特撮TV番組リメイク映画で面白かったのは、この「シン・仮面ライダー」と「電人ザボーガー」だけです。両者の方向性は真逆だけど、元ネタに対するリスペクトは非常に強く感じました。

50年前の子供向けTV番組をそのままリメイクしても陳腐にならざるを得ません。そこを「電人ザボーガー」では陳腐であることを否定せず、馬鹿馬鹿しい内容を大真面目に作りました。しかもそこに不純物を極力混ぜず、元ネタにある素材をふんだんに使いながらも忠実に再現することで、どっからどう見てもザボーガー以外の何者でもない懐かしTV番組のお祭り映画として完成しました。全編ギャグ満載だけど、そのギャグは当時のものを今の視点でみたらギャグに見えるだけであり、実際本編はギャグ描写を大真面目にやるので、見どころ山盛りのうえに所々やたら格好良かったりと、振り切った傑作になっています。

一方、今回の「シン・仮面ライダー」は元ネタから抽出する要素を初期部分に絞り、50年の時差で陳腐化する設定を現代社会に照らして組み直し、現代で起こりうるショッカーの脅威とそれに立ち向かう者の小さな戦いに凝縮しました。ここに現代の客層を意識した「ウケる」要素を取り込まず、元ネタにある設定材料を活かす方向で精緻に物語を再構築したのが良かったと思います。例え本郷猛の性格が今風なリアリティを持たせたとしても、初期仮面ライダー的な世界に放り込めば、やはり仮面ライダーとしてショッカーと戦わざるを得ません。その戦いの過程や戦闘ギミックを50年間の蓄積から盛り込めばいいわけで、仮面ライダーの設定だけを使い、仮面ライダーとして戦った今作は「シン・仮面ライダー」にふさわしい内容でした。しかしこれは50年の差により、旧TVシリーズの世界が再現できなくなった証明でもあり、昔の仮面ライダーの展開そのままに視覚効果を現代技術で強化した劇場版を観たい人には合わないのも当然でしょう。だからこの映画の評価は0点か100点と言われるほどに大きく乖離するのだと思います。


映画感想「オオカミ狩り」2023年の大量流血映画

2023-05-28 19:48:58 | 映画の感想

GWの血塗れ映画ハシゴ2本目「オオカミ狩り」を観ました。過激なバイオレンス描写でR15指定受けてます。大勢の韓国人犯罪者と監視の警官を船に詰めて、フィリピンから韓国まで輸送する途中で壮絶な殺し合いが起きる、というあらすじなんだが、その単純なバイオレンス映画なのに上映時間2時間以上あります。アクション映画にしちゃ長くないですか?しかし、胸焼けするほどバイオレンス描写を通り越した、残酷ゴア場面が満喫できるのは間違いないとの前評判です。期待しましょう。


1.残忍で狡猾な犯罪者チームVS残念で迂闊な警察チーム

舞台の準備と伏線を撒くパートです。でかい貨物船に連行されていく犯罪者達と荒っぽい警察官達に加えて医者が顔見せしていきます。ここで観客へ主要人物を覚えてもらう場面ですが、重要人物とモブの映し方が上手い。登場人物はほとんどおっさんばかりが50人以上ぞろぞろと出てくるけど、キーパーソンには目立つ言動させて強く印象付けしてくれるおかげで、大人数の殺し合い場面でも誰が何の意図で動いているのか、視点が迷子になることはありませんでした。

主要人物1.ジョンドウ


全身に蛇の入墨をいれた常軌を逸した残虐性を持つ男。頻繁にナイフを人の首に刺す。おっさん揃いのなかでアイドル顔のお兄さんだが、三白眼の迫力で圧倒的な悪役振りを披露してくれます。


主要人物2.ドイル


もう一人のアイドル顔お兄さん。ジョンドウ曰く「久しぶりだなナイフ使いのドイル、10年前からぜんぜん変わってないな」とのことですが、これが後半の大きな伏線でした。前半はあまり行動しません。


主要人物3.婦人警官ダヨン


婦人警官2人いるけど優秀な方の婦人警官。船内の異変にいち早く気づいたり、勘が良く行動力もある。警察側の主人公ポジション。

犯罪者を収容した監獄船が出港した頃に、船の航行を管理する管制室が謎の集団に乗っ取られたりするけど、まだ大きな動きはありません。
一方で船内では、ジョンドウが小さな針金を吐き出しこっそりと手錠の鍵を外していました。さらに船の乗組員にも内通者が居り、銃火器を持ち込んで操縦室を制圧してしまいます。そこから始まる大虐殺タイム。犯罪者達は乗組員を銃で脅して従わせるとか面倒なことはしません。片っ端から殺してしまいます。通信機器や救命装置も壊してしまいます。え、誰が操縦すんの?遭難するよ?漂流するよ?大丈夫?と心配になるくらい、彼らは後先考えず片っ端から人を殺します。船のスタッフに監視の刑事もバンバン殺し始めます。そのたびに派手に血飛沫が飛び散ります。銃で撃ったり、ナイフで何度も刺したり、特に多いのが喉をナイフで一突きする殺し方。一瞬で仕留めるので、刃物が人体に刺さっていく直接的な場面はありませんが、喉からナイフグリップを生やしたおっさん達が大量出血しながら倒れるシーンは頻発します。とはいえデカい船なので、犯罪者達が武器調達して反乱を起こしても、監視担当に付いていた刑事を始末しただけで、まだ控えの刑事達が残っています。少しづつ犯罪者側に有利な状況へ傾いていくのが前半の流れです。

これらと無関係に、医者が船底で隠されている謎のミイラへ投薬しています。ミイラ周辺にいる怪しい男たちは上で暴れているジョンドウ達とは無関係らしく、この船には犯罪者の移送以外にも何かの計画が仕込まれている様子です。

暴れまわるジョンドウ始め犯罪者集団に対し、いち早く異変に気づいたダヨン達警察チームも対抗して戦い始めました。紆余曲折あり、彼らは機関室で総員が銃火器を構えて睨み合う膠着状態に陥ります。誰かが引き金を引けば全員が一斉射撃を始めて何人生き残れるのかわからない至近距離での睨み合い。普通のアクション映画ならこれは最終決戦に持ってくる山場です。全員が最大火力を撃ち合うクライマックス手前の場面ですが、まだ映画上映時間の半分くらいほどしか経っていません。画面には誰も動けない緊張感が漲っています。

 


2.怪人乱入

全員が至近距離で銃火器を突き付け合う膠着状態に、突然乱入してきた奴がいます。その場にいる全員が「誰?」と戸惑っている間に、そいつは手近な者から惨殺し始めました。警察も犯罪者も相手構わず見境なしに片っ端から殺してしまう乱入者に向けて、両者が銃や刃物で反撃しますがまるで歯が立たず、死体が増えるだけでした。やがて何の予告もなく突然現れて大虐殺を始めた奴の容姿がハッキリ見えてきます。目はまぶたを縫い留められた異様な形相、歩く足音はやけに重く金属質な響きがあります。そして人体を素手でグシャグシャに破壊する馬鹿げた怪力と、銃で撃たれてもまったく怯まない頑丈な身体、これは怪人だ。宣伝にあった「怪人」がようやく登場です。あまりにやりたい放題の大暴れに、凶悪残虐ジョンドウ兄さんが絡みに行きました。前半に暴虐の限りを尽くし相手構わず大殺戮を働いたジョンドウ兄さんからすれば、後からしゃしゃり出てきた怪人にデカい顔されるのは面白くないでしょう。いつものようにオラ付きながら煽りますが、逆にボッコボコに叩きのめされました。今までの犯罪者や警察ならここで死んで終わりでしたが、怪人の凶暴性はさらに上なので、ボコられてダウンしているジョンドウ兄貴を機関室の機器に引っ掛けて立たせると、更に追い打ちを叩き込みます。服がはだけて全身の入墨丸出しになったジョンドウ兄貴は、三白眼の不敵な笑いを浮かべていましたが、怪人はその笑顔めがけてハンマー連打。何度も何度もハンマーを振り下ろし、ジョンドウの頭部は無くなってしまいました。画面でも血塗れなった胴の上には何も無いんだ。これは前半に大暴れしたジョンドウが粉々に破壊されて、後半はさらに凶暴性の高い怪人が引き続き大暴れする主役交代劇です。そしてジャンルも変更です。今までは出血量多めながらクライムアクションの延長でしたが、ここからはガチのモンスタースラッシャーです。

新主人公の怪人は素手で人体破壊できるうえに銃が効かないため、正面からずんずん歩いてきて、手当たり次第に人間を殺してしまいます。なぜ殺すのかはコイツが何も喋らないのでわかりません。
ここで前半は影の薄かった主要人物2のドイルが動き出します。ドイルさん強いんだ。怪人相手に対等に渡り合う超人的な戦闘力を発揮します。この人いったい何者?
乗員を一人残らず惨殺するのが目的なのか、怪人は人間離れした動きで船内を移動し殺戮を続けます。しかし、その間に数の絞られた主要人物達が集まり、この輸送船に仕込まれた謎を解いていきます。

怪人が着ていた囚人服がとても古い時期のものだと判明したり、船底でミイラを保管していた部屋へ向かうと、怪しげだったスタッフの男達は惨殺されており、ミイラが消えていたりと、状況証拠が増えていきます。怪人の正体は船底の部屋で保管されていたミイラが、人間の血を吸収して蘇ったものです。人間の血はジョンドウ達が散々殺した死体から排水溝などを通り、船底の部屋に流れ落ちていました。やっぱりジョンドウ達が殺されたのは自業自得だったな。

さらに、現場に残っていた資料から怪人の正体がわかりました。太平洋戦争中に日本軍が人体実験で作り出した改造人間でした。狼の遺伝子とかけあわせて改造人間を作ったけれど、彼は精神に異常をきたしてしまったらしく、常時激怒状態のうえに全身が改造手術のせいで痛みに苛まれてるそうで、理性が働かず無差別暴力怪人と化してしまいました。

この改造手術場面がいかにも韓国人の考えた日本軍イメージで、昭和特撮の悪の組織そのままです。しかし役者は韓国人なので日本語イントネーションがおかしい。手術を「チュジュチュ」と発音するので、外国人が日本人役を演ずるのはなかなかに難しいようです。
それはさておき、怪物の正体である「旧日本軍の改造人間」は一人ではなく、他に2人居ることが資料からわかります。そして改造人間の特徴として、胴体中央を縦に走る大きな縫合痕と、左肩に番号の焼印が押してあることです。つまりシャツなどがはだけると一目でバレます。

それで新しくもう一人の改造人間の正体がバレました。ナイフ使いのドイルも改造人間でした。改造人間は年を取らないそうで、戦時中の怪人がそのまま暴れてるのも、ドイルの外見が10年前から変化しないのも、不老体質のせいです。

ならばドイルも戦時中から生きてるの?といえば違います。彼は現在進行系で行われている改造人間製作事業の被害者です。韓国では戦時中に日本軍が行った研究を引き継ぎ、現在でも身寄りの無い人間をかき集めては、人体改造実験を繰り返しています。それを指示しているのは、戦争を生き延び年を取らないまま社会的な高い地位に上り詰めた、別の改造人間だったりします。悪の大ボス的に指示を出している場面が映りますが、彼の胴体と肩には縫合痕と焼き印がガッツリ出ているからね。

そうこうしている間にも、船内の怪人は犯罪者チームの生き残り達を執拗に殺し続けています。警察が外部に救援を求めようにも、船の操縦室は破壊されて通信機器が使えません。犯罪者達が前半で真っ先に大事な装置を壊してまわってたからな。状況は絶望的です。

 


3.どうしてそんなに強いのですか?

ところが、連絡手段の無い洋上で遭難している船へヘリコプターが降りてきました。異常を察知して救助に来たのかと言えばさにあらず。彼らは前半パートで航行管制室を占拠した謎の集団に所属する戦闘チームでした。船の動きを監視していたら、通信機器破壊のせいでレーダーから消失し移動経路を追えなくなったため、周辺区域の航行データから位置を割り出し、制御から外れた船を鎮圧しに武装盛り盛りで駆けつけて来たわけです。
怪人から必死に逃げて来た、生き残り達が保護をお願いしても彼らの反応は冷たいものでした。冷たいどころか邪魔だとばかりに婦人警官ダヨンを射殺してしまいます。これには驚きました。ここまで危機に立ち向かい続け、劇中で最も頑張っていた主人公ポジションのキャラがあっけなく退場。てっきりダヨンが最後まで生き残ると予測していたので、観ていて混乱してしまいました。

そのまま鎮圧特殊部隊は生き残りを掃討しつつ怪人を探します。そしてついに怪人と遭遇。怪人の戦力を知ったうえで乗り込んで来ている連中なので、怪人相手でも引けを取らない強さです。というより、彼らも改造人間です。怪人のように精神に異常をきたしておらず、集団行動が取れる超人部隊です。到着前に変な薬をドーピングしてる場面あったし。このチームの所属する集団は、既に改造人間を製造し実用的に運用するノウハウを確立してると思われます。そして旧型改造人間の怪人は徐々に押されていき、ついに戦闘チームに倒されてしまいました。仕留めたのはチームを指揮するリーダーのおじさんです。

実はこのおじさんが、この映画最大の謎です。
途中でコンクリートの壁を素手で砕いたり、常人ではない描写こそあるけれど、改造人間ではありません。胴体に縫合痕も見えません。それなのに特に武装もせず普段着にナイフだけの格好で怪人を倒してしまいました。つまり周囲の全身防具+銃火器武装+ドーピング済の改造人間達より、素で圧倒的に強い。メチャクチャ強い。手がつけられないほどに強い。劇中最強キャラです。しかし劇中で強さに関する説明や根拠描写が皆無です。どうしてそんなに強いのですか?

怪人を倒した特殊部隊は、次に口封じのため生き残りの抹殺を始めます。せっかくここまで生き延びた、お人好しぽい医者や、犯罪者だけど温厚な老人なども死んでしまいます。彼らは殺伐とした物語内でコメディ部分の担当でもあり、この人達なら何とか生き残るのではとも予測していたのにまたハズレました。今作では登場人物が頑張っても(比較的)善人でも容赦なく死にます。物語進行のキャラクターへの突き放し具合が、なかなかお目にかかれないレベルで冷めています。精神の有り様と肉体ダメージになんの関連性は無く、銃で撃たれると善人悪人問わず皆死にます。

誰も彼も死んでしまい、残っているのはドイルだけです。そしてドイルは怪人の死に怒っているようでした。残虐狂暴な殺人鬼でしたが彼はそもそも非人道的人体実験の犠牲者であり、今まで何十年と眠っていたのを起こされて、いつものように暴れていたら邪魔だとばかりに殺処分されてしまったわけです。自身が狂暴殺人鬼ではないにしろ、ナイフ使いのドイルと呼ばれるくらいには、暴力稼業に染まっていた自身から見ると、怪人は自分の境遇とよく似ていました。

だから、ドイルは特殊部隊へ戦いを挑みます。どのみちコイツらを倒さないと自分が殺されてしまいます。完全武装の特殊部隊達を圧倒的な速度のナイフ捌きで次々と片付け、リーダーへ迫るドイルですが、このリーダーが強い。めちゃくちゃに強い。さらにこのリーダーのおっさんはかつて任務として、ドイルの家族を始末していたことが判明しました。そもそもドイルが家族の復讐として戦い、逮捕されていたのもコイツのせいでした。激怒したドイルのナイフ捌きがさらに速く苛烈になっても、リーダーは平然と対処してきます。ここのナイフコンバット場面は、殺陣の速さとカメラアングルの巧さもあり、かなりの迫力があります。互いに逆手に持ったナイフを至近距離で振りまくるうえ、舞台が船内通路や狭い船室なため、一手ミスると大怪我する高速戦闘アクションが展開されました。そして両者は目まぐるしく戦場を変えながら、最後には2人とも甲板から海へドボン。
こうして船内に動く者は一人もいなくなりました。

最後は何処かの浜辺へ海から上がって来るドイルの姿。戦いには勝ったのでしょうか。そして続編を匂わす「ドイルの息子」の存在を映して映画は終わりました。

この映画のオオカミとは狼の能力を組み込まれた改造人間達のことでした。つまり「オオカミ狩り」とは、怪人やドイルを始末しようとする謎の組織と特殊部隊チームとの戦いでした。もちろん前半に暴れ狂った犯罪者集団をオオカミと揶揄する意味もあるのでしょうが。

それはともかく、2時間以上の上映時間はアクション映画として、かなり長い部類になります。しかし2時間内に並のアクション映画3本分の展開を詰め込んでいるため、鑑賞中に中だるみや冗長さをまったく感じませんでした。過激な暴力描写は多いけれど、ほとんどが一瞬で息の根を止めるスピード感のある暴力シーンであり、犠牲者を執拗に痛めつける粘着質な暴力シーンは少なく、画面上の出血量に対し意外なくらい見やすい映画でした。過激な暴力描写に注目されがちですが、観客への情報提示も上手で、主要人物の印象付けで注目するべきキャラと状況情報が理解しやすく、伏線回収もきっちり済ませる手堅い造りでした。混迷した反乱劇から三つ巴の戦いへ収束していく展開を情報過不足なしに、観客の集中力をを2時間維持させる構成はかなりハイレベルに思えます。

また、あれだけ登場人物がいながら1人しか生き残らない展開は新鮮でした。欧米映画や邦画だと婦人警官ダヨンは生き残っていたと思うので、女子供でも容赦なく死ぬのは甘っちょろい道徳観ルールへ忖度しない真剣な映画製作姿勢に感じて、個人的にはたいへん好印象です。だからホラーやモンスターパニック映画はもっと女子供がバリバリ死ぬ展開やってください。弱い者に手加減する脅威なんて興醒めすんだよ。

 

この日は「哭悲」「オオカミ狩り」を連続ハシゴ鑑賞したわけですが、双方とも前評判どおりの大量流血映画でした。「哭悲」では凶暴化ウィルスに感染発症した残虐暴徒の群れが大暴れしていましたが、一方の「オオカミ狩り」ではウィルスなんぞに頼らなくても素で獰猛狂暴な犯罪者集団が、手慣れた様子でバンバン人を殺していくので、もしも両者が衝突したならば・・・多分、オオカミ狩りの犯罪者チームが勝つ気がします。凶暴性が同レベルでも手際の良さが段違いというか、ジョンドウ兄貴はナイフ捌きだけじゃなく知恵もまわるので、あの犯罪者集団を哭悲パンデミックに放り込んでもいつも通りに片っ端からぶち殺して、なんなら感染発症しても元からあんな感じだから平常運行のまま勝っちまいそうでさ。


映画感想「哭悲」2022年の大量流血映画

2023-05-27 03:31:56 | 映画の感想

GW中に近場の映画館で面白そうなプログラムで上映していました。去年に内容の惨劇具合で評判になった「哭悲」と、今年の過激な流血バイオレンス映画No.1候補にエントリーしている「オオカミ狩り」どちらも、アジア発の徹底したゴア描写が売りの映画です。それが同日に観れるプログラムでした。上映時間を調べると「哭悲」の上映終了直後に「オオカミ狩り」が始まるタイミングです。いいじゃない。はしごして4時間どっぷり大流血映画を楽しむことにしました。世間だと「ダンジョンズアンドドラゴンズ」や「スーパーマリオブラザーズ」が評判よくて、友人家族と映画をはしごするGWの過ごし方もあるでしょうが、私には愉快で楽しいファミリー向けホームドラマを一緒に楽しむ仲間が居ませんし、自分以外に血塗れ映画を4時間も喜んで観る人間に心当たりがなかったので、自分一人で観ました。

まず1本目「哭悲」
宣伝文句が「史上最も狂暴で邪悪」「内蔵を抉られる衝撃」「二度と見たくない傑作」と、なかなかに仰々しいです。でも内容に対してそれほど大きく喧伝してるわけじゃないんですね。史上最もかどうか知らないが登場人物はどいつもこいつも狂暴な殺人鬼ばかりですし、内蔵を抉る殺傷場面もありますし。それで二度と見たくない件についても同意します。観るのは1回でいいと思いました。ちなみに台湾の映画で、日本とも香港とも違う素朴さの残る街並みの中、惨劇が起こりまくる画面の雰囲気は独特な湿度の高い陰惨さがありました。
そんな映画の感想を3つのポイントから書いていきます。

 

1.ゾンビ+サイコスリラー=変態殺人鬼の集団発生

この映画はいわゆるゾンビパニック映画の亜種です。バイオハザード以降のウィルス感染した患者が凶暴化して人間を襲うタイプのゾンビ映画と同じフォーマットですが、哭悲のウィルスは人間をゾンビ化ではなく単純に凶暴化させます。食欲で襲っているわけではなく、攻撃衝動を抑えきれなくなる症状なので、知能が落ちることもなく、感染者達はそこらへんにある刃物を手にし、見事なチームワーク連携を組みながら非感染者を襲います。このウィルスは空気感染力するうえに、感染者達が凶器を振り回して見境なく他の人間を襲うので、血液感染しまくる機会にも事欠きません。
このウィルスの厄介なところは、感染から発症までが異常に早く、先程まで被害者だったのが傷口に血が入ると、わずか数秒で狂暴な殺人鬼に変貌してしまうところで、まったく時間の猶予がありません。さらに発症後には攻撃衝動や性欲が異常に促進され、理性が効かなくなるのに知性は下がらないため、感染前からやべー奴はタガが外れて手が付けられない凶暴性を発揮します。
ここまでがゾンビ的な危険度。

この映画のメイン悪役のおっさんは、パンデミックが起きる前から女主人公に粘着質な絡み方を続け、拒絶されるとブルブル震えながらブツブツ独り言で怒る、人格的に困ったおっさんです。それがウィルス感染すると、殺人レイプにいっさい躊躇しない狂暴変態おじさんにクラスチェンジしてしまいました。そして女主人公をレイプしようと執拗に追いかけてきます。
これが変態ストーカーによるサイコスリラー成分。

ゾンビよりも数段賢く、チームプレイの上手い感染者から、数秒で発症するウィルスがどんどん広まっていき、対策がまったく取れないまま状況は悪化の一途を辿ります。市街地に流れる緊急放送ではイキリ立った感染者が暴言を吐きまくり、臨時ニュースの国営放送内で大統領が護衛の兵士に惨殺されます。もはや街には正気な奴など誰もいません。

 

2.危機に立ち向かえない登場人物たち

この映画には主人公が2人います。OL勤めの女主人公「カイティン」と、その彼氏の男主人公「ジュンジョー」の2人。物語を要約すると、暴徒パニックが起きた街で狂人から逃げ回る彼女と、それを助けに向かう彼氏の話です。けれど主人公達にはあまり共感できませんでした。


女主人公は今どき珍しい、泣いて逃げ回り助けを求めるばかりの弱い女性。80年代からホラーアクション映画の女性は皆戦うヒロイン化が進み、自ら積極的に危機に立ち向かう姿を見慣れてるせいか、今作のカイティンさんは泣いてばかりで自助努力が足りない気がします。最後に1回だけ戦うけど、他はずっと泣いてばかりです。


一方で男主人公は助けに行くとは言うものの、行動がモタついてなかなか話に絡んできません。寄り道しているのか、通りすがりの狂人達にちょっかい出して、逆に殺されそうになり逃げ出したりと、本筋に影響しないような動きがちらほら見えます。彼女を助けに集団殺人鬼がウロウロしてる市街地を突破しなきゃいけないのに、武器は拾った草刈りカマ、防具は何もなしの軽装、乗り物はスクーターと、甚だ心もとない軽装備で行っちゃうんだ。それで到着した頃にはとっくに感染発症していたという、まったく頼りにならない彼氏でした。

この映画はゾンビパニックと殺人鬼スラッシャー系映画の定番演出がそこかしこに見えるのだが、特に顕著なのがうっかりミスは必ず死亡フラグに直結する点。後ろがガラ空きならば後ろから殴られて殺されるし、つま先が出過ぎていればそこを攻撃されるし、落ちた斧を放置しとくと敵が拾って後から襲ってくるんだよ。そういった小さなミスが命取りになって、味方の人員や対抗手段がみるみる減っていきます。総じて登場人物全員が迂闊な行動を取るので共感して一緒に怖がるよりも、状況判断の甘さにイラッと感じる場面のほうが多いくらいでした。ドジな人達が勝手に自滅していった側面もあります。

基本的に「立ち向かう」意志を持った登場人物がいないため、ただ怯えて泣いているだけの人達がそのまま惨殺されていくのは自己責任ではないかと思えてなりません。殺人暴徒から運良く隠れた男がいるんだけど、そいつは隠れながらただ耳を塞いで怯えるだけなんだよ。それで後から別の暴徒に見つかり引きずり出されて惨殺されるんだけど、時間的な猶予はけっこうあった筈なのです。なだれ込んで来た暴徒達が殺戮しまくったあとに乱交モードに入ったあたりから、斧なり鉄パイプなりの武器で1人づつ背後から仕留めて行くやり方もあっただろうに。ゾンビゲームの攻略はそうするもんですが、その男はしないので相応の惨たらしい死に方をしました。

ちなみに最も気持ち悪い宿敵だったレイプ殺人鬼化したサラリーマンおじさんは、女主人公から頭が無くなるまで消化器殴打をくらって死にました。ここでメインウエポンの斧を落としたので、主人公が拾っておけば後に起こる悲劇も防げたハズなのに。

 

3.最後まで救いのない物語

終盤に女主人公はウォン博士という閉鎖区域に立てこもった研究者に助けられます。ウォン博士は現状のパニック発生前からウィルスの研究を続けており、危険性を社会に発信していたのに誰も真剣に聞くことなく、悪い予測は的中してしまいました。やっと現状に立ち向かう意志を持ったキャラクターの登場です。

彼がウィルスの性質やパニックへの対策など全部まとめて説明してくれました。女主人公が発症しないのは抗体をもってるおかげらしく、それを元にワクチンを作れるかもしれません。外部に救助連絡は伝えた、もうすぐ屋上にヘリコプターが迎えにくるから脱出だ、博士と女主人公が閉鎖した研究室から出たところで早速襲撃を受けます。ストーカーおじさんをブチ殺した時に落とした斧を拾った奴がいます。またこのパターンだ。迂闊なドジが死亡フラグ。曲がり角からわずかに踏み出していたつま先を斧で叩き切られて博士がダウンします。全身防毒服で覆っていても、刃物で切られたら意味ないんだ。博士ウィルス感染。そこにすっかり感染しきった男主人公も到着し、役に立つ味方はどこにもいません。いや、博士は死ぬ直前まで必死に正気を保っていた。もう逃げるヒロインしか残っていませんが、彼女がヘリの待つ屋上へのドアを通って姿を消した直後に機関銃の銃声が鳴ったので、彼女も死んだようです。

 

それではエンディング。スタッフロールを眺めながら内容を思い出すと、この「哭悲」ではゾンビ映画からもう一歩悪趣味度合いを進めて、暴徒が一般人を殺すだけではなく、残虐にいたぶり拷問強姦の果てに殺すという、胸糞悪い要素を増やしているので、事前情報を仕入れた時点では若干気後れもあり、鑑賞には覚悟を決めて観ました。しかし実際の場面は画面外での動きや音での演出が主であり、宣伝で煽るほどの直接的な残虐シーンは多くありません。流血量は半端なく多いし、一部はもろにグッサリ刺さる場面もあるけど、それらが意外と抵抗なく見れたのは、被害者達に対してぜんぜん共感できなかったのが大きい理由です。ひどい目に遭ってるけど可哀想とか助かって欲しいとかちっとも思えず、話の通じない狂人集団相手なんだから、隙あらば自分から殺しに行く積極性がないと敵の数ばかりが増えてジリ貧です。今まで観てきたゾンビ映画では、こんなに立ち向かわない人達は居なかったので、哭悲では誰にも共感できず応援する気にもならず、半分過ぎたころにはすっかり感覚が麻痺して、流血殺傷シーンに慣れてしまいました。だから宣伝文句の「二度と見たくない傑作」は半分該当します。二度見る楽しみを見い出せませんでした。誰視点で見ればいいの?カイティン?私はああいう泣いてばかりの女性は嫌いです。

2022年の最大流血量映画だったらしい「哭悲」を観終わりました。それで約10分後から2023年の最大流血量映画候補の「オオカミ狩り」が始まります。次の映画ではドジな死亡フラグは控えめでお願いしたいところです。登場人物の皆さんは危険と真剣に向き合ってください。真面目に抵抗してください。


「愛のテーマ」が嫌いです。

2023-05-11 01:34:46 | 好き嫌い趣味

昔の映画には必ず「愛のテーマ」なる、かったるいBGMが付き物でして、私はそれが大嫌いでした。きっかけは幼少時に買ってもらった「映画音楽集スペクタクル・アクション編」というカセットテープでした。まだCDが一般的じゃなく、自動車内で聞ける音楽はカセットテープが主流だった時代です。

買ってもらったその日のうちから、帰りの自動車の中でテープを流してもらいました。しかし、どの曲もタイトルのスペクタル・アクションの題名からは程遠い印象のゆったりした退屈な曲ばかりが続きます。しかも収録されてる映画タイトルも全体的に古臭い。「ベン・ハー」「ポセイドン・アドベンチャー」「タワーリング・インフェルノ」他にも聞いたこと無い古いタイトルがメインで、そうしたタイトルに限ってどれも収録されているのが「愛のテーマ」ばかり。くっそ退屈でつまらない音楽ばかり、半分以上が聴きたくもないハズレ曲揃いの残念ラインナップでした。

たまに「レイダース(インディ・ジョーンズ)」や「スターウォーズ」に「スーパーマン」など派手に盛り上がる曲も混じっているけど全体的に少数派でした。それで今と違いCDじゃないので聴きたい曲を即頭出しもできず、早送りを手作業で進め、好きな曲の位置まで毎回調節うするのも面倒でな。おかげで私にとって「愛のテーマ」てのは鬼門です。忌避対象です。大好きなメタルマックスの「愛のテーマ」すらかったるくてまともに聴く気になりません。

それでも唯一例外的に好きな「愛のテーマ」が一つだけ存在します。映画「さよなら銀河鉄道999~アンドロメダ終着駅~」で主人公・星野鉄郎くんがメーテルと再会する場面でかかるあの曲。神々しいほどに美しいメーテルと再会した鉄郎の歓喜の表情、そして互いの深い思いが交錯するのにふさわしい盛り上がり。この「愛のテーマ」だけは別格です。

そしてこの「愛のテーマ」は再会場面だけではなく別れの場面でも流れます。当時小学生だった私はこの別れが見ててあまりに辛く、エンディングが流れている間まばたきをしませんでした。だって映画が終わったらもうメーテルに会うことはできません。網膜に焼き付けるつもりで必死に凝視し続けました。そのくらい銀河鉄道999の「愛のテーマ」は私の人格形成の根本に突き刺さったまま、未だに抜ける様子がありません。

使い方といい流すタイミングといい、この「愛のテーマ」は効果が強すぎる劇物です。今でも聴くと、幼少時にトラウマと性癖をひん曲げられた衝撃を思い出します。

この映画、メーテルの登場が半分あたりからのうえ、鉄郎は黒騎士ファウストとの戦いも努めなければならず、どうしてもメーテルの出番と台詞が少ないのですが、本人が出てこなくとも故郷の星ラーメタルの古城に肖像画がかかっているなど、前作では終始謎の女だったメーテルの周辺事情が見えてくるため、本人がいないのに気配はやたらと濃密だったりします。そして999乗車後にはメーテルの方から「どこかの星で死ぬまで一緒に暮らしましょう」とアプローチしてきます。これ前作で鉄郎が機械伯爵を倒した後に「君さえ良かったら・・・いっしょに暮らして欲しいんだ・・・」とメーテルに告白した構図の裏返しになってます。劇場版2作は互いに鏡合わせのように対象的な構図があちこちに見えて、特に顕著なのがラストシーン。前作では999号に乗って去っていくメーテルを見送る鉄郎の姿で終わり、さよならでは鉄郎を乗せて飛び去る999号を見送るメーテルの姿で終わります。そいで、これまでどうにも内面の読めない謎の女だったメーテルが感極まった様子の独白を流します。

「あなたの青春と旅したことを私は永久に忘れない」

「さようなら、私の鉄郎」

普段のクールな態度から随分とギャップのある執着が見えます。案外重い女だったメーテルにクソデカ感情をぶつけられて映画は終了、しませんでした。ここからさらにダメ押しの名エンディングテーマ「SAYONARA」が始まります。歌詞に込められたメーテルの悶々とした超特大感情、セピア色の回想場面、故郷へ向けて歩き去っていくメーテルの後ろ姿、私の知る限りでこれほど緊張感みなぎり心休まらないスタッフロールを他に知りません。少年の心をザックザクにえぐり、性癖をがっつり歪ませてあの人は去って行きました。なんつー映画だ。

 

というわけで、自分にとって「さよなら銀河鉄道999-アンドロメダ終着駅-」は他のアニメ作品などと違い、幼少時のトラウマに直結する特別な映画です。こないだの休日に劇場版「銀河鉄道999」「さよなら銀河鉄道999」を連続で観たので、あの頃の記憶が蘇り、作品についてあれこれ考察してしまいました。999にはTV版・漫画版・劇場版があり、それぞれが3つとも別作品扱いなので、どれが原作だの正史というわけではありません。基本的にどれもが最後の星へ到着後に鉄郎はメーテルと別れて、一人で地球に帰る内容は同様です。
しかし、劇場版だけがその後にもう一度旅立ち、メーテルと再会する展開に続きます。もう2度と会えないと思っていた人と再会できる。それは鉄郎くんじゃなくても再起するさ、言えなかった言葉、伝えられなかった思い、いっぱいあるだろうさ。そして再会したら今度こそ完全に取り返しのつかないような劇的な離別を経て諦めるんだよ。そういう苦い物語なんだよ。999に限らず、もう会えないと思っていた人と再会できる場面は心に刺さるんだよ。脱線するけど「水の森」という漫画で、主人公の兄妹が1年前に亡くなった養親の墓参りしてると、そこに死んだ養親(叔母)がひょっこり現れる場面があります。これは作中に奇跡を起こせるキャラが居て、そのキャラが養親の亡くなる前の1日だけを1年後に飛ばす奇跡を起こした結果で、彼らは生前に伝えられなかった思いを交わし、満足してお別れが出来ました。何が言いたいのかつーと、一度完全にお別れした人との再会は強烈にメンタルを揺さぶられるシチュエーションです。自分にとっては999に植え付けられた性癖です。
そこで再会した後にまた別れるのかよ、メーテルさん。ひでー女だな。幼少時にまぶたに焼き付けるつもりで凝視した彼女の後ろ姿は、今でもありありと思い出せるほど鮮烈でした。


そーいや、コミックス1巻表紙のメーテルは、後のイメージと違って若干幼い顔立ちだったのを思い出し画像検索しました。

「銀河鉄道999 ANOTHER STORY アルティメットジャーニー」

なにこれ。
あらすじになんやかやと設定が書いてあり、最後に「そして、鉄郎は3度目の「銀河鉄道999」での旅に出るのだった…」え、3度目の旅立ちですか。そしてメーテルとまた再会するんですか。劇場版「さよなら銀河鉄道999」から続く物語なんですね。

もう会えないと思い、映画のエンディングテーマ「SAYONARA」をまばたきもせずに見つめていた当時の私がバカみたいですね。感動して損しました。


実装石スレッドなんて見たの何年ぶりだろう

2023-01-16 04:12:26 | 好き嫌い趣味

ふたばの虹裏で珍しいものを見ました。
「実装石スレ」
ずいぶん昔にグロ裏へ追放されてすっかり下火になっていたキャラクターのスレッドが立っていました。そしてレスも多く、書き込み内容も穏やかなものでした。

2005年頃はカタログが緑色に染まるほど、ふたばの虹裏で隆盛だったネタですが、主な題材が「虐待」という公序良俗に沿わない傾向のジャンルでした。当時の実装石ジャンルの本拠地は作品傾向ごとに分かれた「保管庫」へ、各々が絵や物語を書いてアップローダーに上げるやり方で、ふたばのスレは定時に立てて、絵を貼ったり雑談や作品の感想を書き込む出張所のような場所だったと記憶しています。しかし虐待という扱いのきわどいネタは、けしからん悪徳としてバッシングされやすいのも事実で、ふたばのスレには頻繁に荒らしが湧き、マジレス画像やウプレカス画像、無意味な文字列連投、荒らし個人の話題ばかりを書き込むなど、穏やかに進行することのほうが少ないくらいで実装石スレとしてはあまり機能していなかったように思います。それでも日々の進捗のように保管庫には毎日作品が上げられ、ふたばのスレでも実装石についての考察や思いつきの軽いネタなど、交流の場があり、ジャンルの文化は続いていました。

しかし、虹裏でスレが削除されるようになり、グロ裏へ移動するとともに実装石ネタは一気に停滞してしまいました。その原因が何かだったか全てはわかりません。何故なら私もその頃には実装石ネタから離れつつあったからです。現場にいなかった者に状況説明はできませんが、グロ裏は今まで居た場所とは雰囲気が違いました。いつも罵り合う書き込みばかりで実装石の話ができる場所ではなかったような覚えがあります。
その頃、実装石の物語を書きかけていたものの、モチベーションが薄れその話は途中でフェイドアウトし保管庫に投下した分も削除し、今でも止まったままです。

その後、私は体調を崩し何らかの創作活動のようなものが一切できない状態になり、そのまま10年以上が経ってしまいました。その間、書きかけの実装石が頭の僅かな片隅に残り続けていましたが、向きあい続きを作る気力が湧くこともありませんでした。他にやることたくさんあったし。

今にして思うのは、ネタ傾向の健全・不謹慎などに関係なく、文化は棲み家を破壊すればそのまま潰れます。虹裏での実装石スレはいつも荒らされていましたが、それでも一種の文化を支える受け皿として十分な働きをしていました。こうした嗜好品の文化は繊細なバランスに支えられて成り立っているものです。だから気に入らない表現物を潰すなら、発表の場を壊してしまうのが簡単かつ確実で、供給の無いジャンルに新規が参入することはなく、いずれ忘れられて消えてしまいます。実装石は消えませんでしたが、今でも細々と続いている状態は往年の勢いがまるで無く、居場所を追われた文化の脆さをひしひしと感じます。

今回見たふたばの実装石スレは定着したものではなく、突発的に立ち、当時を知る古参としあきが久しぶりに集まる同窓会的な内容でした。当時を懐かしみ楽しい半面で、今の寂しさを少し悲しくも感じました。経年劣化なのか、ふてぶてしい表情で汚物に塗れる実装石の絵を見ながら、こういう不快度を強調した姿が現在の実装石のスタンダードなのかなとも。私は実装石を儚く哀れな居場所のない者のカリカチュアと捉えており、その不幸な境遇から大事なものを見誤り破滅していく悲劇の演者としての姿を見たいので、そんなん自分で書いて供給するしかありません。実装石ジャンルでもさらに狭い偏った嗜好なので、他人の作品で満足できたことがあまり無いです。


読書感想 「冷たい檻」

2022-07-10 05:18:34 | 読書感想

去年の読書その2
「冷たい檻」
また伊岡瞬の作品。

北陸地方にある村の駐在所から警官が失踪した。から始まる、地方社会を舞台に医療問題をエッセンスに加えた今風な警察小説でした。現代の社会問題に誇張された凄惨さを足して、特別捜査官が謎を追う小説が読みたかったので。

内容や事件の真相などは正統派サスペンスだけど、主人公の描かれ方が少々おかしい。よくある警察サスペンスだけど、現代の事件に挑むはずの主人公が纏う80年代臭がすげえ濃い。作者のセンスが古いんじゃなくて、わざと狙って80年代マッチョ主人公を書いてるフシがすげえ高い。そして作者は80年代アクション主人公を少しバカにしてる様子もある。

というのも、表の主人公である秘密調査官・樋口透吾という人物の出番どれもが「ケンカが強くて女にモテる口の悪い一匹狼」型キャラクターの典型的な発言と行動ばかりです。そしてその全てが滑ってる。昔は通用したかもだけど今じゃイタいサムい馴染めない20世紀のカッコよさを、全身から溢れ出させてるものの、彼はあまり劇中で活躍しません。

だって、冒頭から秘密機関から司令を受ける主人公は人妻とベッドイン中で、仕事が入ったと切り上げて女性から不満を買う、古き良きハードボイルド小説主人公のごとき登場をします。野獣死すべし、伊達邦彦かよ。大藪春彦かよ。
そいで、赤い外車に乗ってとある村の駐在所にやってくるのさ。しかも女に運転させて遅刻して。赤い外車からサングラスした樋口さんが降りてくるのさ。もちろん車内の女もサングラス。あまりに露骨な狙い過ぎ感に笑っちゃった。絵面にしたらすげー80年代臭い場面しか思い浮かばないんだ。ハートカクテルかよ。いまだにバブル引き摺ってんのかよ、おめでてーな。そんな時代錯誤なハードボイルド主人公樋口透吾さんは年齢設定48歳で、20世紀の青春をいまだに忘れられずに、当時そのままライフスタイルを続けている、生きた化石のようなキャラクターでした。作者は絶対にわかって書いてると思うのよ、現代に80年代感覚のカッコよさをそのまま置くと滑稽な姿になることを自覚してるとおもうのよ。でないと、この出で立ちからのミスマッチを起こす描写までしっかり書けないからさ。

この古臭い旧時代ヒーローが遅れて現れたところを出迎えるのは現地の警察官・島崎智久29歳。バブルの幻影を纏いし樋口さんの妖しさに対して、新婚子持ち住宅ローンを抱えた地方公務員と、現代社会家庭人ロールモデルの如き地に足の付いた地味さ。そして当然この2人の会話は噛み合いません。主に樋口さんが原因で。樋口さん頭が古いんで会話スタイルが皮肉や挑発主体の昭和刑事口調なんだ。全体的に言葉足らずで説明不足なうえに、目下年下には煽るような物言いだから、余程察しの良い気配りさん以外では会話が難しいです。当然ながら島崎さんとはギクシャクした関係からスタートです。当たり前だよ、こんな80年代俺様主人公は周囲がすげーすげーと盛り上げてくれるから成立するわけで、初対面の人間へぶっきら棒に単語で話し、通じなければ皮肉や煽りで相手を貶す、そんな古い会話スタイルが通じる時代ではありません。劇中でも容姿の描写では格好良さげなんだけど、周囲との会話シーンで少々浮いて見えるんだよ樋口さん。ただでさえ口数少ないうえに主語を省いたぞんざいな物言いをするため、相手が意図を理解できずに困惑する場面が実際にあります。会って間もない相手でもお構いなしの察しろとばかりのデカい態度、しかも戸惑う相手を見下す様子さえ隠そうともしません。なにこのモラハラ捜査官。読んでて私も当惑しました。平成末期か令和初頭かの時期に、昭和の軽井沢シンドロームみたいな会話されても困るじゃない。

この小説は本編587ページもある長編で、登場人物も多い群像劇なんだけど、初っ端の時代錯誤主人公のインパクトが大き過ぎてなかなか内容が頭に入ってきませんでした。そして一般人目線代表のような現地警官の島崎さんとのぎこちないやり取りを読みながら、案の定滑ってるのを見て当初とは別の期待が湧いてきました。はじめは田舎舞台の現代病理による医療サスペンスを期待していましたが、今では登場舞台を40年間違えた骨董ハードボイルド男が現代犯罪に通用するのか、という興味です。

結果から言えば通用しませんでした。この小説は群像劇なので、事件究明に係わる複数の物語が同時進行しており、樋口さんは親子愛・人情パート担当です。樋口さんには、幼い息子を誘拐されてしまい、捜索するも手がかり無く家庭も失ったという苦い過去がありますが、うん、まー、子供の消えた家庭でこんな口も態度も悪い男と暮らせないだろ、離婚も当然だわ。そいであまり事件の核心にも迫れませんが、事故発生を防ぐことは出来ました。

この小説を要約すると田舎にある大型医療施設の児童・老人養護施設内で、違法薬剤の研究と人体実験が行われてました、という内容。群像劇らしく複数の主人公視点で話が進みます。

しかし群像劇にする必要あったか疑問です。本は厚いしボリューム多いけれど、各視点で話の進みが遅く、組織や施設構造を複雑にした設定が物語の深みに寄与してるとも感じません。先述した古い主人公の樋口さんは事件の解決に届かず、周辺で家族ドラマを演ずるだけでした。施設内部の視点になる小学生の主人公・小久保貴くんは事件を間近で見るほぼ当事者ですが、無力な子供なのでやはり解決には繋がりませんでした。思わせぶりに何度も登場する青年・レイイチは、秘められた過去と中二的多重人格キャラですが、やはり事件とは関係なく、樋口さんの誘拐された息子の成長した姿で、家族ドラマ要員でしかありません。

そもそも、この小説では「どんな問題と事件が起こっているか」描写が淡白で、警官失踪・老人転落死・不良青年惨殺、とあれこれ異常事態発生しながらほとんど報道されず、主人公も外側から調査するためなかなか核心が見えてきません。その間に島崎さんが謎の襲撃を受けて拳銃を奪われたり、地元の有力者達がゴルフをしながら癒着会話を長々を続けたり、内容が事件捜査から逸れまくります。
田舎で何か起こってるらしいけど、視点が外野か、内部でも情報の少ない子供視点なので、概要を把握するには常時情報不足な小説です。なにせ悪役の姿は見えず、被害者の存在も伝聞でしかないのだから、あとは田舎風景描写が淡々と続き、物語への掴みと引き込む力が極めて弱い。読んでて真相を知りたくなる謎や陰謀が出てこない。実は謎も陰謀もあるけれど、それはまた別の登場人物が解決します。ハニートラップで。内通者から情報を得て。つまり調査と推理に依るサスペンス的面白さに著しく欠けています。田舎の医療施設で起きた事件の謎を解き明かしていく楽しさはまったくありません。

真相は医療施設がアルツハイマー治療の新薬を開発しており、施設内の児童養護施設の子供に投与して人体実験していた、というもの。その新薬を投与された子は興奮状態になり、徒党を組んで気に入らない者を襲うことがありました、というのが起きた殺人事件の概要。

でもどちらも設定でしかなく、劇中描写では殆ど描かれません。じゃあこれなんの話なの?家族の再生の話です。昔に誘拐された子供と父親が再会する話が主題です。なんだそれ。そういうの期待してなかったんだよな。
でも樋口さんは同性には当たりのキツい不遜な性格で、しかも目下にはモラハラ気味に接するから、誘拐された挙げ句に養親から虐待され、更生施設で陰鬱に暮らすレイイチ君と上手くやってく姿が想像出来ないんだ。父と息子とはいえ、20年間離れて互いの性格は知らないし、父は子育て経験ほぼ無し、なおかつ口の悪いハードボイルド、かたや息子は危険なもう一人の人格を抱えており、すぐキレる真性中二病。巨悪と戦うバトルファンタジーなら協力もできそうだけど、日本のホームドラマやるのは無理でしょ。どっちも家族のふれあいスキル皆無だし、今から覚えるにはどちらも歳を取り過ぎてます。
最後は、ぶっちゃけ家族が再会したよ、ハートフルな心暖まるラストに仕上げましたよ、のつもりかもしれませんが、絵空事綺麗事の家族ネタで誤魔化された雑で陳腐な終わり方だと思いました。

せっかく薬で凶暴化した児童集団が出てきたのだから、小久保貴くん視点で子供バーサーカー達が暴れ狂う現場を描いて、これは早く解決しないと不味いくらいの状況理解を読者に促す文章が必要だったと思うのですが、誰が犯人かわかりきってるのに事件の発見情報を事後報告的に出すだけだから、そちらの事件も終始影が薄いままです。

先にも書いたけど、複雑な設定と多数の登場人物が互いに干渉せず別個に動くため、物語としてまとまりに欠けています。同じ舞台のオムニバス話を細切れにして時系列に沿って並べただけでした。その時系列順記述が刻一刻と状況変化する臨場感演出等にまったく繋がっておらず、頻繁な視点変更のせいで感情移入できる人物もおらず、事件概要が見えないまま停滞した物語が最後にホームドラマの前フリで終わってしまいました。それだけの話でした。

表主人公の樋口さんは、最終場面で凶暴化した子供達を追って拳銃で撃たれてしまい、結局は事件の解決に繋がる活躍はしませんでした。いつも嫌味なくらい格好つけてるけど、決定力に欠ける終わった旧世代ヒーローなのは相変わらずでした。というか、こんな古臭いキャラでは現代の事件に通用しないと描く裏テーマがあったのではないかと勘ぐっています。なぜなら中盤からやたら優秀な裏主人公が登場するからです。

裏主人公の深見梗平という人物は、職業はブローカー、施設の女性職員を篭絡し情報を引き出す等、やってることはどうにもしょぼい悪党ぽいのですが、外見はゴリラ、しかも目には知的な光があり、常に落ち着き紳士的に振る舞うなど、外見や言動にギャップのある面白い人物に描かれています。そしてブローカー職も女性篭絡も強い目的のために割り切って使う手段であり、どうも本職はまた別にありそうです。樋口さん曰く、同業な別組織の調査員らしいようで。しかし樋口さんのように人を食ったような態度ではなく、普段から礼儀正しく本人も可能な限り誠実であろうと努めているフシも見えます。調査終了後、利用した女性に対し謝罪の手紙と事件概要を報告しています。協力してくれたことへの礼と、伏せていた情報の開示と、最後に公表する判断を委ねます。汚れ仕事でもしっかり働き関係者への敬意も欠かさず、自分の行動への自覚と潔さも備えています。外見の残念さに対して中身がキレイ、とくに周囲を下げないのが気配りの要求される現代のヒーロー像を体現してる様子です。

つまり、この物語を深見梗平視点ならば、施設で進められる陰謀と周辺で起こる事件の概要を順当に追っていく、わかりやすくも複雑で濃厚な犯罪サスペンス小説になったと思います。なんでまとまりないオムニバスもどき群像劇にしちゃうかな。最後の終章で種明かしされても、それ主人公と関係ない話ですよね?としか感じませんでした。

主人公交代でも構わないんだけど、読了後は消化不良感が強く残りました。作者の中に「深見梗平物語」本編が存在するけど、それは別に取っておき今回はスピンオフ周辺外伝を1本にまとめてお出しされたような、中心の情報を伏せられたまま関連設定だけを読まされたような、作者の作品を網羅してる読者向けの内輪作品を間違えて手に取ってしまったような、そんな場違い拒絶感が読書中ずっと消えませんでした。

自分の好みに合わなかったんだよ。


読書感想 「乙霧村の七人」

2022-07-10 05:17:07 | 読書感想

去年の読書
「乙霧村の七人」
作者は伊岡瞬て人。

戦慄のホラー・サスペンス、とあらすじにありますけど既にここからトリックが始まっています。
まずは、都市伝説風に昔とある村で起きた惨殺事件を紹介し、現場となった村をへ大学生の男女7人が訪ねて調査に向かうところから話が始まります。ただ、それだけだと昔の2ちゃんオカ板洒落怖スレの肝試しテンプレ話と変わるところがありません。もちろんプロの作家がサスペンスを書く以上、ありがちなスタートからいかに物語をひっくり返せるかが主題であり、これもその変化球を狙った小説です。叙述トリックが仕込まれています。

ありがちな導入から始めて、惨劇のあった村で大学生達がトラブルに遭遇するのが前半の第1部。そのトラブル中に読者に違和感を与えるのが目的のパートです。惨劇の起きた村で、今夜また新たな惨劇が……と思わせて、あれ?これ惨劇じゃないなといくつも引っかかる伏線を撒いています。

本編は参加した大学生7人の側面を掘り下げていき、事件の真相を明らかにする第2部のほうです。ここで見えてくる参加者7名の人物像がなかなかに癖があり、基本的に好ましくない嫌な人物が揃っています。ただし単純に悪人ではなく、それぞれに嫌味具合が違い、傲慢や卑劣、狡猾や貪欲、しかしそれぞれ性格が多少曲がるのも理解できそうな苦労も抱えており、唾棄すべき極悪人ではなく、長所短所が同居する少々情けない小悪人のように書かれています。これらを調査していく探偵役が実は……のトリックもありますが、それは勘が良い読者なら1部で気づいてるネタ。

この小説のひっくり返す範囲はもっと大きいです。しかしそれが物語を大化けさせるどんでん返しとまでは機能しておらず、むしろ狙ったのは物語ではなく読者への疑問提示効果ではないかと思います。
つまり「噂の証言や資料にも恣意が含まれる」そもそも前提の噂は正しいの?という疑問です。よくある典型的な都市伝説の原典にも最初から錯誤が含まれているかもよ。