一日経ちました。
前日の記事を見る限り、私はけっこう美園先生に惚れてたぽい。今日も「聖☆高校生」の話です。
お別れラストでけっこう凹んでる。よく凹むなあ我ながら。美園先生がある場面で主人公を見て「私が産んだみたい」と言う場面があるのですが、その時にねイヤーな予感がしたんですよ。この人の愛情が振り切れてしまって、なんだかなぜかもう傍にいられなくなるような気がして。そしたらやっぱりだ。メーテルのように「あなたを忘れない」オチ。実はこの感覚が幼少時から理解できない。最初に999を見たときから理解できない。好きでも一緒に居られないのは諸所事情があるんだけど、この話にその事情を感じない。いいじゃん懲役7年くらい、主人公なら待つよ、きっと。それで出てきてハッピーエンド、それじゃいかんかったのか。モデルがメーテルなのでラストの決断はあれしかなかったとあとがきにありました。するとこの作品も999の呪縛を受けた作品のようです。美園先生のモデルにメーテルをとった時点でラストも決まっていた、そういうことらしいです。でも話が終わって英国で美薗先生と友人のチカさんが飲んでる絵があるのですが、それがすごい救いになってる。美園先生はちょっと泣いてるんだけど友人に囲まれて今までと違って普通に泣いたりできるようになって、みんなこれで生きていける、しんどいかもしんないけどとりあえず元気にやってる、登場人物はみんな元気です、と。ラストにハッピーエンドと書いてあるのでそうなのでしょう。主人公の聖も友人が出来てにぎやかに過ごしているし、いつか美園先生に遭えたとしてもそれはまた別の話。もっかい読み直すとなんだか納得がいきました。一度目はショックで悲しくて面白かったけど好きだったけど、合点のいかない感が大きかったのです。これはやっぱり卒業の物語。ありったけ教わったから次に行きましょう。次には次の幸せが待ってる。そんな話。ありがとう、さようなら、寂しいけれど先へ行こうという話。
メーテルリベンジはなりませんでした。自分で書くしかないの?最初の女の人を追っかけて追っかけて捕まえる話。昔読んだ本でそんな話があったような気もするけど、随分と説教臭い内容だったから楽しくなかった覚えがあります。
前日の記事を見る限り、私はけっこう美園先生に惚れてたぽい。今日も「聖☆高校生」の話です。
お別れラストでけっこう凹んでる。よく凹むなあ我ながら。美園先生がある場面で主人公を見て「私が産んだみたい」と言う場面があるのですが、その時にねイヤーな予感がしたんですよ。この人の愛情が振り切れてしまって、なんだかなぜかもう傍にいられなくなるような気がして。そしたらやっぱりだ。メーテルのように「あなたを忘れない」オチ。実はこの感覚が幼少時から理解できない。最初に999を見たときから理解できない。好きでも一緒に居られないのは諸所事情があるんだけど、この話にその事情を感じない。いいじゃん懲役7年くらい、主人公なら待つよ、きっと。それで出てきてハッピーエンド、それじゃいかんかったのか。モデルがメーテルなのでラストの決断はあれしかなかったとあとがきにありました。するとこの作品も999の呪縛を受けた作品のようです。美園先生のモデルにメーテルをとった時点でラストも決まっていた、そういうことらしいです。でも話が終わって英国で美薗先生と友人のチカさんが飲んでる絵があるのですが、それがすごい救いになってる。美園先生はちょっと泣いてるんだけど友人に囲まれて今までと違って普通に泣いたりできるようになって、みんなこれで生きていける、しんどいかもしんないけどとりあえず元気にやってる、登場人物はみんな元気です、と。ラストにハッピーエンドと書いてあるのでそうなのでしょう。主人公の聖も友人が出来てにぎやかに過ごしているし、いつか美園先生に遭えたとしてもそれはまた別の話。もっかい読み直すとなんだか納得がいきました。一度目はショックで悲しくて面白かったけど好きだったけど、合点のいかない感が大きかったのです。これはやっぱり卒業の物語。ありったけ教わったから次に行きましょう。次には次の幸せが待ってる。そんな話。ありがとう、さようなら、寂しいけれど先へ行こうという話。
メーテルリベンジはなりませんでした。自分で書くしかないの?最初の女の人を追っかけて追っかけて捕まえる話。昔読んだ本でそんな話があったような気もするけど、随分と説教臭い内容だったから楽しくなかった覚えがあります。