ニュースなはなし

気になるニュースをとりあげます

銀座です

2023年12月19日 23時03分18秒 | 日々の出来事
今日は、銀座からです。さすが、夜の街並が違いますね❗






11・19・2022
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すべてのもみじが紅葉するわけではありません

2023年12月19日 22時03分17秒 | 科学のはなし

以外と知られていない事実ですね。

私も、すべてのモミジが紅葉すると思ってました。庭にモミジの樹を植えて、すべてモミジが紅葉するわけではないことを知りました。

この画像のもみじの回りには、30本ほどのもみじがありますが、綺麗に紅葉しているのはこの樹だけです。

モミジの紅葉は、遺伝的に規定されているようですね。

10・23・2022
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青い夕空です

2023年12月19日 19時03分01秒 | 日々の出来事
曇りの夕方ですね⭐


12/16/2023
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専攻医の過労自殺、病院側と院長ら書類送検へ…休日取らせず長時間労働させた労働基準法違反容疑

2023年12月19日 15時03分21秒 | 医学部と医師の育成のこと

専攻医の過労自殺、病院側と院長ら書類送検へ…休日取らせず長時間労働させた労働基準法違反容疑(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース 






専攻医の過労自殺、病院側と院長ら書類送検へ…休日取らせず長時間労働させた労働基準法違反容疑
12/19(火) 5:00配信


読売新聞オンライン
研修で派遣されていた北海道の病院で、患者の治療にあたる高島晨伍さん(遺族提供)


 「甲南医療センター」(神戸市東灘区)の専攻医が過労自殺した問題で、西宮労働基準監督署(兵庫県)は19日にも、運営法人「甲南会」と具英成(ぐえいせい)院長、直属の上司だった医師を労働基準法違反容疑で神戸地検に書類送検する方針を固めた。関係者への取材でわかった。病院は勤務医の労働時間を適切に把握しておらず、労基署は不十分な管理体制が、長時間労働につながったと判断した。(田中健太郎)


【写真】「限界です」…高島さんが両親に宛てた手書きの遺書


 関係者によると、具院長らは2022年4月、専攻医だった高島晨伍(しんご)さん(当時26歳)に労使協定で定められた範囲(月95時間まで)を超える時間外労働(残業)をさせたほか、休日を取らせずに連続勤務させるなどした疑いがもたれている。


 高島さんは20年4月、センターの研修医となり、22年4月以降、より専門的な研修を受ける専攻医として診療に従事していた。同年5月17日の退勤後、神戸市の自宅で亡くなっているのを訪ねた家族が見つけ、兵庫県警が自殺と断定した。


 西宮労基署は今年6月、自殺は長時間労働などが原因だとして労災認定。認定によると、死亡直前1か月間の残業は207時間50分で、休日は100日連続で取得しておらず、労基署は上司からの指示があったと判断していた。


 一方、センターによると、高島さんが自己申告した残業時間は、月30時間程度だった。センターでは残業時間は自己申告に任せ、客観的な方法で把握していなかったという。


 遺族が昨年12月、甲南会や具院長を刑事告訴。労基署は、電子カルテの記録などを改めて精査し、高島さんの残業時間を算出した。その結果、労使協定の範囲を超えていたと判断した。


 センター側は今年8月、労災認定について「すべてが労働時間ではなく、『自己研さん』の時間も含まれている。長時間労働の指示はしておらず、指示の範囲では業務量は適切だった」と説明していた。


「死を無駄にしたくない」母と兄の思い
(写真:読売新聞)


 高島さんが労災認定された今年6月以降、母親の淳子さん(60)と兄(32)は、医師の労働環境の改善を国や自治体に働きかけ、各地で講演を重ねてきた。

 2人は8月、厚生労働省を訪問し、「自己研さん」の名目で若手医師らに長時間労働が課されているとして、客観的に労働時間を把握できる仕組みづくりなどを求める嘆願書を提出。地元の兵庫県や神戸市の議会にも陳情し、講演や記者会見は計9回に及んでいる。


 遺族にとって講演で話すことは、家族を失った悲しみに向き合うことだった。淳子さんは登壇するたび、涙を流した。それでも講演を続けてきたのは「晨伍の死を無駄にしたくない」との思いからだという。


 高島さんが両親に宛てた遺書には「おかあさん、おとうさんの事を考えてこうならないようにしていたけれど限界です」と書かれていた。淳子さんは、早朝から深夜に及ぶ業務で疲弊する高島さんの姿を何度も見ていた。死後、息子を守ることができなかった自責の念にかられている。


 淳子さんは「晨伍は生前、『後輩を守れる優しい指導医になりたい』と話していた。その希望はかなわないけれど、晨伍の死が医師の働き方を変えるきっかけになれば、すべての後輩を守ることができる」と話す。


 過労死した医師の遺族との連携も進めている。家族会を結成し、20日には東京都内で初会合を開く。


 淳子さんは刑事告訴について「なぜ息子が死ななくてはならなかったのか、センターからは説明がない。再発防止のためにも何があったのか捜査してほしい」と話していた。


医師の働き方に関するご意見や情報をお寄せください。


メール  osaka2@yomiuri.com


LINE  https://lin.ee/FROjZBRd



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3億円事件の後、急に金回りが良くなった男を取り調べると」 捜査員は「犯人の1人」と確信

2023年12月19日 11時36分48秒 | 天候のこと
「3億円事件の後、急に金回りが良くなった男を取り調べると」 捜査員は「犯人の1人」と確信
国内 社会



2023年12月19日

3億円事件
時効まであと25日となった11月15日に取調べを受けた“最後の容疑者”とは(他の写真を見る)


前編【「3億円事件」主任刑事が悔やむ「モンタージュ写真そっくりの少年」】からのつづき


 1968年(昭和43年)に起きた3億円事件。発生直後に捜査本部が目を付けた地元の不良少年・佐伯徹(仮名)は、警察の取り調べを受けることなく自死してしまう。一度は捜査本部も捨てた「佐伯犯人説」だったが、時効を前に再びその可能性が検証されることになる。そこにはそれなりの理由があった。「急に金回りが良くなった友人」の存在である。この人物は佐伯少年と同じ、地元の不良グループ、通称「立川グループ」の一員だったのだ――。


(前後編記事の後編・「週刊新潮 2015年8月25日号別冊『黄金の昭和』探訪」掲載記事をもとに再構成しました)


 ***



佐伯少年の友人
 時効まで残り5カ月ほどとなった昭和50年7月。土田国保・警視総監と鈴木貞敏・刑事部長は特捜本部に対し、「佐伯少年とその周辺関係者」を巡る再捜査徹底の特別命令を下した。現場に燻る疑念や不満を汲み取った上での指示である。「佐伯犯人説」に否定的だった名刑事・平塚八兵衛は引退していた。


「最後の捜査の主たる対象は、むろん、立川グループでした。その中で、事件後、急に金回りが良くなった人物が浮上した。青田正(仮名)=事件当時18歳=という男で、やはり車の窃盗常習者です。しかも佐伯少年とは親密な友人関係にあった


 と、ある元警部補。


「青田の家は貧しく、父親は病気で入院していた。本人も定職がなく、スナックを経営する母親にしょっちゅうカネを無心していた。それが事件翌年、喫茶店を開き、不動産会社を設立。昭和50年当時は、六本木に事務所を構えて株の仕手戦を手がけており、家賃が10万円以上もする代々木の外交官が住む家具付きマンションが自宅だった。何百万円もするムスタングやコルベットなどの高級外車を次々と乗り回し、ハワイの高級別荘まで購入していました。我々の間では“最後の容疑者”と呼ばれていた」


別件逮捕で取り調べ
 警視庁が青田を別件の恐喝容疑で逮捕し、最後の大勝負を賭けたのは、時効まであと25日となった11月15日のことだった。青田の取調べ状況を知る元刑事が述懐する。



「事件のあった時期以降、青田が動かしたカネは1億円近くになっていた。裏取りした結果、43~46年当時のカネが問題とされた。その間、彼は母親に750万円を渡していた。しかも事件の年の暮れに、友人に新聞紙に包んだ現金数百万円を貸していることも判明したんです。こうしたカネの出所を集中的に調べました」


 青田は、母親に渡したのは、家と喫茶店を売ったカネだと説明したが、時期や金額が合わない。友人に貸したカネの出所についても、秩父の知り合いから借りたものとしたが、警察がその人物に確認すると、嘘だということが判明した。


「奴が犯人の1人で間違いない」
「取調室では激しい攻防が続きました。しかし不測の事態が生じた。おかしな点を追及していると、彼が突然、ウワーと叫び、机や床に頭を打ちつけ始めたんです。調べ官が“出所を説明しろ”と更に迫ると“言えない”とだけ答え、また頭をぶつけ始めた。“なぜそんな苦しい思いをする。カネの出所を説明すれば済むだけのことだろう”と叱責したが、それには答えず、自傷行為を繰り返しました。自殺を図ろうとしているようなものです。マスコミに漏れたら、大変な問題になる。聴取にならず、時効の問題もあり、上層部の判断で取り調べは打ち切られました。結局、怪しいカネの出所ははっきりしないまま終わった。時間がなかったのが残念です。奴が犯人の1人で間違いない。もう少しで逃げ切れるので、必死にあんなマネをしたのでしょう」


 12月4日、青田は釈放された。10日が時効成立の日だったが、事実上、このときが3億円事件の迷宮入りが決定した瞬間だった。


 先の捜査幹部が、改めて佐伯少年について振り返る。


「彼は“サツズレ”していて、警察が来たくらいで死ぬタマではない。普通なら自殺する理由がないんです」


 昭和43年12月15日の夜、少年は父親と激しい口論となり、その後、謎の自殺を遂げた。彼は可愛がっていた妹宛てに便箋2通の遺書を残していたが、実はもう1通、別人の遺書が、部屋から発見されていた。彼の母親が書いたもので、〈私の遺骨は実家の墓に入れて下さい〉とあった。


「2人の遺書について、特捜本部の刑事が母親に質すと、“息子が便箋がほしいと言うので渡したが、まさか遺書を書くためとは思わなかった。私の遺書はずっと以前に書いたもの。息子を巡って以前から夫婦仲が悪く、死のうと思ったことがあった。遺書はその時のもので、便箋の中に挟んだまま、捨てるのを忘れていた”と苦しい釈明に終始しました。捜査員の多くが、“少年が、激怒する父親に3億円事件の犯行を告白し、両親は一家の将来を絶望した。母親は息子に『一緒に死のう』と諭した。しかし死んだのは少年だけだった”と思ったのも無理からぬことです。現場となった少年の部屋にはコップが2つあり、1つからは青酸カリの反応が出たが、もう1つからは何も出なかった」(同)


遺書/3億円事件
少年の遺書には、概要こう記されていた。〈死ぬというのは美しい。この世は醜悪だ。父も母も世間体ばかり考え、虚栄心だけで生きている〉 (※写真はイメージ)(他の写真を見る)


 少年の遺書には、概要こう記されていた。


〈死ぬというのは美しい。この世は醜悪だ。父も母も世間体ばかり考え、虚栄心だけで生きている〉


 最後に、鈴木元主任警部は捜査をこう顧みた。


「私は、“捜査は広げ過ぎてはいけない”“ツボを押さえた捜査をすれば、絶対、ホシにつながる”と上層部に意見したが、聞き入れてもらえなかった。それを徹底していれば、必ず犯人に行き着いたはずなんだ。本当に悔しいね。私は、今でもあの少年が真犯人だったと思っています。そう思わなきゃ、刑事じゃないよ」


 静かな語り口だが、細い金縁眼鏡の奥の眼光には、未だ刑事としての矜持が宿っているように見えた。

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