「他人に屈辱感を与える」ハラスメントが蔓延する社会 暴力性を抑制する“たった一つの方法”とは?(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
「他人に屈辱感を与える」ハラスメントが蔓延する社会 暴力性を抑制する“たった一つの方法”とは?
12/9(土) 11:12配信
3
コメント3件
文春オンライン
写真:©AFLO
〈「強硬派に対しても“境界線”を引かないほうがいい」イスラエル・ハマス戦争をめぐって内田樹が考える“暴力を制御する知恵”〉 から続く
【写真】この記事の写真を見る(6枚)
「ハラスメント」を理由とした離職は年間約87万人(2021年、パーソル総合研究所調査)とも言われるなか、会社組織から政界まで、日本社会にはびこる「他者に屈辱感を与える」病理の本質とは何か? 『 街場の成熟論 』が話題の思想家・内田樹が斬る。
◆◆◆
「屈辱感を与える」暴力性に対する警戒心が足りない社会
――最近でも、自見英子・万博担当相のパワハラや三宅伸吾・防衛政務官のセクハラ報道など、政治家の不祥事が相次いでいます。某パワハラ大臣の“対策マニュアル”の流出も近年話題になっていましたが、なぜこうした人権侵害が権力者のあいだでたびたび起こっているのでしょうか。
内田 「人に屈辱感を与えることをおのれの『得点』にカウントする習慣が日本社会に瀰漫した」ということだと思います。
キーワードは「屈辱感」です。ご質問は「人権侵害」についてですけれども、実際に例示として挙げられていたのは、不当逮捕とか令状なしの拘禁とか拷問とかいう人間の身体や市民的自由に対する侵害ではありません(さいわい、日本はまだそこまで未開国になっていません)。そうではなく、どれも相手に不要の屈辱感を与える行為です。
見た目には身体に傷がついているわけではないし、何か財貨を奪われたわけでもないし、市民的自由が侵害されたわけではない。でも、あきらかに自尊感情を損なわれ、生きる意欲を奪われている。人によってはそれが原因で精神的に病み、職場に行けなくなり、自殺する人さえいます。
今の日本社会は「屈辱感を与える」というふるまいが含むシリアスな暴力性に対する警戒心が足りないと僕は思います。
メディアに登場するコメンテイターたちの中には、あらゆる討論で「相手に屈辱感を与えることだけ」を目標にして発言する人たちがいます(誰とはいいませんが、わかりますよね)。この人たちの目標は「議論に勝つ」ことではありません。公開の席で「議論に敗けた」人を屈辱感のうちに追い込むことです。議論の中味なんか、ある意味どうでもいいのです。だから、このタイプの人たちは平気で食言します。虚偽を述べることも厭わない。別に面と向かっている相手と知的誠実さを競っているわけではないからです。彼らは自分に反対する人間には必ず屈辱感を与えるという断固たる決意によって論争に勝ち抜き、「メディアの寵児」となっている。
そういうことが可能になったのは、「他人に与えた屈辱感・敗北感」は与えた側の「得点」になるという思想が広く日本社会に根づいたからです。これがあらゆる「ハラスメント」の生まれる土壌をかたちづくっています。
政治家たちが「人に屈辱感を与えるテクニック」に長じるようになったのも、このような風潮のせいです。
12/9(土) 11:12配信
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文春オンライン
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〈「強硬派に対しても“境界線”を引かないほうがいい」イスラエル・ハマス戦争をめぐって内田樹が考える“暴力を制御する知恵”〉 から続く
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「ハラスメント」を理由とした離職は年間約87万人(2021年、パーソル総合研究所調査)とも言われるなか、会社組織から政界まで、日本社会にはびこる「他者に屈辱感を与える」病理の本質とは何か? 『 街場の成熟論 』が話題の思想家・内田樹が斬る。
◆◆◆
「屈辱感を与える」暴力性に対する警戒心が足りない社会
――最近でも、自見英子・万博担当相のパワハラや三宅伸吾・防衛政務官のセクハラ報道など、政治家の不祥事が相次いでいます。某パワハラ大臣の“対策マニュアル”の流出も近年話題になっていましたが、なぜこうした人権侵害が権力者のあいだでたびたび起こっているのでしょうか。
内田 「人に屈辱感を与えることをおのれの『得点』にカウントする習慣が日本社会に瀰漫した」ということだと思います。
キーワードは「屈辱感」です。ご質問は「人権侵害」についてですけれども、実際に例示として挙げられていたのは、不当逮捕とか令状なしの拘禁とか拷問とかいう人間の身体や市民的自由に対する侵害ではありません(さいわい、日本はまだそこまで未開国になっていません)。そうではなく、どれも相手に不要の屈辱感を与える行為です。
見た目には身体に傷がついているわけではないし、何か財貨を奪われたわけでもないし、市民的自由が侵害されたわけではない。でも、あきらかに自尊感情を損なわれ、生きる意欲を奪われている。人によってはそれが原因で精神的に病み、職場に行けなくなり、自殺する人さえいます。
今の日本社会は「屈辱感を与える」というふるまいが含むシリアスな暴力性に対する警戒心が足りないと僕は思います。
メディアに登場するコメンテイターたちの中には、あらゆる討論で「相手に屈辱感を与えることだけ」を目標にして発言する人たちがいます(誰とはいいませんが、わかりますよね)。この人たちの目標は「議論に勝つ」ことではありません。公開の席で「議論に敗けた」人を屈辱感のうちに追い込むことです。議論の中味なんか、ある意味どうでもいいのです。だから、このタイプの人たちは平気で食言します。虚偽を述べることも厭わない。別に面と向かっている相手と知的誠実さを競っているわけではないからです。彼らは自分に反対する人間には必ず屈辱感を与えるという断固たる決意によって論争に勝ち抜き、「メディアの寵児」となっている。
そういうことが可能になったのは、「他人に与えた屈辱感・敗北感」は与えた側の「得点」になるという思想が広く日本社会に根づいたからです。これがあらゆる「ハラスメント」の生まれる土壌をかたちづくっています。
政治家たちが「人に屈辱感を与えるテクニック」に長じるようになったのも、このような風潮のせいです。
「お前は私の前ではまったく無力なのだ」というメッセージ
――確かに屈辱を与えた側が「格上」に見えてしまう風潮があります。
内田 歴代の官房長官はある時期から記者会見で政府にとって不都合な質問には決して答えないようになりました。「それは当たらない」とか「個別の事案についてはお答えを差し控える」とかいう定型句を駆使する人間を一部のジャーナリストは「鉄壁」と称賛しさえしました。
でも、彼らはただ質問に答えていないだけではありません。同時に、質問した記者に屈辱感を与えてもいるのです。彼らは無言のうちに「お前が何を質問しようと、私は自分の言いたいことしか言わない。お前は私を論難することも、絶句させることもできない。お前は私の前ではまったく無力なのだ」というメッセージを発信しているからです。
そして、このメッセージを10年間にわたって浴び続けているうちに、政治記者たちは「生きる知恵と力」を深く傷つけられて、いつの間にか死んだようになってしまいました。
ですから、政治記者たちの「不甲斐なさ」「腰砕け」はもちろん彼ら自身の責任もあるのですが、日常的に彼らに浴びせかけられた「呪詛」の効果でもあると僕は思います。
――パワハラを生みやすい組織にはどんな特徴があると思われますか?
内田 パワハラを生み出しやすい組織の典型は、一言で言えばトップダウンの組織です。というのは、トップダウンの組織の多くでは、「どうやって組織のパフォーマンスを上げるか」よりも「どうやって組織をマネジメントするか」の方が優先されるからです。
組織が何を生み出すかよりも、組織がどう管理されているかが優先的な問いであるような組織では、上位者の命令が遅滞なく末端まで示達されることが重視されます。上位者のいかなる命令にも「イエス」と即答する忠誠心が最も高く評価されます。能力よりも忠誠心が優先的に評価されます。構成員全員に「イエスマンシップ」が求められます。あらゆる指示が途中でまったく抵抗に遭わずに現場まで届き、ただちに物質化する組織が「よい組織」だということになる。
そういうふうに言うと、なんだかすごく効率的な組織のように思えますけれど、そうでもありません。
なによりも、上意下達的組織では、すべての職位のすべてのメンバーが「上にはおもねり、下には威圧的」という人間に造形されてしまうからです。個人の資質とはかかわりなく、そういう「鋳型」にはめられてしまう。仕方がありません。上位者に「忠誠心」を誇示することが能力を発揮することよりも勤務考課上優先するんですから。
上司は、自分が上にへつらっている以上、下に対しても同じ態度を要求します。「私にへつらうこと」を当然の権利として求めるようになる。その結果、上司に阿諛追従し、下僚に阿諛追従を求めることがこの組織では「デフォルト」となる。かつての日本の軍隊と同じです。
繰り返し言いますけれど、これは個人の責任ではありません。組織原理がそう命じるのです。その「鋳型」にはまり切らなければ、「異物」としてはじき出されてしまう。
――なるほど。
――確かに屈辱を与えた側が「格上」に見えてしまう風潮があります。
内田 歴代の官房長官はある時期から記者会見で政府にとって不都合な質問には決して答えないようになりました。「それは当たらない」とか「個別の事案についてはお答えを差し控える」とかいう定型句を駆使する人間を一部のジャーナリストは「鉄壁」と称賛しさえしました。
でも、彼らはただ質問に答えていないだけではありません。同時に、質問した記者に屈辱感を与えてもいるのです。彼らは無言のうちに「お前が何を質問しようと、私は自分の言いたいことしか言わない。お前は私を論難することも、絶句させることもできない。お前は私の前ではまったく無力なのだ」というメッセージを発信しているからです。
そして、このメッセージを10年間にわたって浴び続けているうちに、政治記者たちは「生きる知恵と力」を深く傷つけられて、いつの間にか死んだようになってしまいました。
ですから、政治記者たちの「不甲斐なさ」「腰砕け」はもちろん彼ら自身の責任もあるのですが、日常的に彼らに浴びせかけられた「呪詛」の効果でもあると僕は思います。
――パワハラを生みやすい組織にはどんな特徴があると思われますか?
内田 パワハラを生み出しやすい組織の典型は、一言で言えばトップダウンの組織です。というのは、トップダウンの組織の多くでは、「どうやって組織のパフォーマンスを上げるか」よりも「どうやって組織をマネジメントするか」の方が優先されるからです。
組織が何を生み出すかよりも、組織がどう管理されているかが優先的な問いであるような組織では、上位者の命令が遅滞なく末端まで示達されることが重視されます。上位者のいかなる命令にも「イエス」と即答する忠誠心が最も高く評価されます。能力よりも忠誠心が優先的に評価されます。構成員全員に「イエスマンシップ」が求められます。あらゆる指示が途中でまったく抵抗に遭わずに現場まで届き、ただちに物質化する組織が「よい組織」だということになる。
そういうふうに言うと、なんだかすごく効率的な組織のように思えますけれど、そうでもありません。
なによりも、上意下達的組織では、すべての職位のすべてのメンバーが「上にはおもねり、下には威圧的」という人間に造形されてしまうからです。個人の資質とはかかわりなく、そういう「鋳型」にはめられてしまう。仕方がありません。上位者に「忠誠心」を誇示することが能力を発揮することよりも勤務考課上優先するんですから。
上司は、自分が上にへつらっている以上、下に対しても同じ態度を要求します。「私にへつらうこと」を当然の権利として求めるようになる。その結果、上司に阿諛追従し、下僚に阿諛追従を求めることがこの組織では「デフォルト」となる。かつての日本の軍隊と同じです。
繰り返し言いますけれど、これは個人の責任ではありません。組織原理がそう命じるのです。その「鋳型」にはまり切らなければ、「異物」としてはじき出されてしまう。
――なるほど。
「どちらがボスか」を部下に思い知らせる行為
内田 パワーハラスメントというのは、この定型化したふるまいのうちの「上司が部下に向かって、当然の権利として、自分にへつらうことを求める」ことで下僚が受ける精神的な傷のことだと僕は思います。
上司としては、当然の権利を行使しているつもりでいるわけですから容赦がない。単にきちんと挨拶をするとか、敬語を使って話すくらいでは物足りない。すり寄り、おもねり、へつらい、尻尾を振って来ることを求める。それができないという人間は「この組織のルールがわかっていない人間」ですから教化しなければならない。「どちらがボスか」ということをきっちり教え込まなければならない。
そして、今の日本社会では(もう軍隊じゃないので)殴りつけたり、外に立たせたり、営倉に放り込んだりという直接的な暴力は禁じられていますから、できることは限られている。だから「屈辱感を与えること」が拷問の代わりに採用される。
上司から理不尽なことを言われても、意味のないタスクを命じられても、部下は抗命できません。抗命すれば「業務命令違反」「就業規則違反」として咎められる。だから、黙って従うしかない。その屈辱の経験を通じて「どちらがボスか」を部下に思い知らせる。
そういうやり方が上意下達的組織では日常的に行われるようになります。パワーハラスメントがこれだけ横行するのは、別に日本人が全体として意地悪になったわけではありません。そうではなく、「組織はトップダウンで編制されなければならない」という信憑が広まったせいです。その方が効率的で、生産的だと誰かが言い出した。でも、それは端的に嘘ですよ。
「やまとことば」にない3つの言葉
――確かにトップダウンの組織は生産性が高いと広く信じられています。
内田 歪んだトップダウンの組織というのは、「やりたくないことをやらせる」ための組織です。上位者の命令に対して「それ、ちょっとおかしくないですか」とか「悪いけど、その指示まったく無意味です」とか言って「常識的に抗命する人間」を一人も存在させない組織です。「私はそれをやりたくない」という個人的反抗を決して許さない組織です。
でも、そういう組織ではトップが誤った指示を出した場合に、誰もそれを止めることができません。トップが致命的な誤りを犯した場合に、誰もそれを途中で補正できない。だから、壊滅するときは一気に壊滅します。「フェイルセーフ」も「リスクヘッジ」も「レジリエンス」もそういう組織には存在しない。
現に、僕が今挙げた三つの単語はどれも日本語訳がありません。それぞれ「装置が正しく作動しなくても安全を保障する機構」、「すべてを失わないように両方に賭けること」、「一度崩れた機構を復元する力」という意味です。どれも「プランAがうまくゆかなかった場合に最悪の事態を回避するためにプランBを用意しておく」というふるまいにかかわる言葉です。これに対応する「やまとことば」がないのはもちろんですが、「略語」さえありません。
内田 パワーハラスメントというのは、この定型化したふるまいのうちの「上司が部下に向かって、当然の権利として、自分にへつらうことを求める」ことで下僚が受ける精神的な傷のことだと僕は思います。
上司としては、当然の権利を行使しているつもりでいるわけですから容赦がない。単にきちんと挨拶をするとか、敬語を使って話すくらいでは物足りない。すり寄り、おもねり、へつらい、尻尾を振って来ることを求める。それができないという人間は「この組織のルールがわかっていない人間」ですから教化しなければならない。「どちらがボスか」ということをきっちり教え込まなければならない。
そして、今の日本社会では(もう軍隊じゃないので)殴りつけたり、外に立たせたり、営倉に放り込んだりという直接的な暴力は禁じられていますから、できることは限られている。だから「屈辱感を与えること」が拷問の代わりに採用される。
上司から理不尽なことを言われても、意味のないタスクを命じられても、部下は抗命できません。抗命すれば「業務命令違反」「就業規則違反」として咎められる。だから、黙って従うしかない。その屈辱の経験を通じて「どちらがボスか」を部下に思い知らせる。
そういうやり方が上意下達的組織では日常的に行われるようになります。パワーハラスメントがこれだけ横行するのは、別に日本人が全体として意地悪になったわけではありません。そうではなく、「組織はトップダウンで編制されなければならない」という信憑が広まったせいです。その方が効率的で、生産的だと誰かが言い出した。でも、それは端的に嘘ですよ。
「やまとことば」にない3つの言葉
――確かにトップダウンの組織は生産性が高いと広く信じられています。
内田 歪んだトップダウンの組織というのは、「やりたくないことをやらせる」ための組織です。上位者の命令に対して「それ、ちょっとおかしくないですか」とか「悪いけど、その指示まったく無意味です」とか言って「常識的に抗命する人間」を一人も存在させない組織です。「私はそれをやりたくない」という個人的反抗を決して許さない組織です。
でも、そういう組織ではトップが誤った指示を出した場合に、誰もそれを止めることができません。トップが致命的な誤りを犯した場合に、誰もそれを途中で補正できない。だから、壊滅するときは一気に壊滅します。「フェイルセーフ」も「リスクヘッジ」も「レジリエンス」もそういう組織には存在しない。
現に、僕が今挙げた三つの単語はどれも日本語訳がありません。それぞれ「装置が正しく作動しなくても安全を保障する機構」、「すべてを失わないように両方に賭けること」、「一度崩れた機構を復元する力」という意味です。どれも「プランAがうまくゆかなかった場合に最悪の事態を回避するためにプランBを用意しておく」というふるまいにかかわる言葉です。これに対応する「やまとことば」がないのはもちろんですが、「略語」さえありません。
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